高熱を出して見た世界
久しぶりに高熱を出した。
最高39.2度。
さすがにここまで高熱だともうよくわからない。
動けないし、思考も停止。
声も出ない、笑顔作れない、座るのも大変。
とにかく寝たい。
寝ていたい。
けれど、寝るわけではない。
ただ、寝てぼーっとしていたいだけである。
当然食欲も全くわかない。
というか若干気持ち悪さがある。
そんな中でも、唯一口にできたもの。
「白湯」であった。
沸騰させたお湯を、少し冷ます。
そして水筒に入れてもらい、いつでも飲めるように布団の横に置いておく。
その白湯が、唯一の飲み物であった。
普段からも割と白湯を飲むが、「うめぇ」という気持ちにはならない。
白湯って大体そんなものだろう?
ただ、「喉が乾いたから」とか「日常的な水分補給として」としか飲まない白湯。
しかし、その白湯が、39度の熱を出した時に、無性に美味しく感じたのだ。
まさに「うめぇ」。
体が、心が、本能が、叫ぶ。
何これ。白湯ってこんなうまかったんか?
何度も何度も飲み下した。
じっくりと、白湯を味わった。
やっぱり、「うめぇ」。
そして健康な時の自分を思い返す。
何で私、あんなにもチョコレートをバリバリムシャムシャ食べてたんだっけ?
よくもあの油と塩まみれのポテトチップスを一袋も平らげてたな、と。
あり得ない。思い出すだけで、不快だ。
だって、この白湯、こんなに美味しいのに。
そうして1日半、固形物を食べることはなく、ただ白湯と、時々アクエリアスで糖分補給をして、なんとか生き延びた。
本当に、白湯のうまいこと。
ただの沸騰した水が、こんなにおいしいなんて。
1日半の水以外の断食を経て、私の体の中はすっからかんになったようだった。
水以外、体の中に何かが入っている感覚がまるでない。
ただ、私は肉体と水分でできてるだけだ、という感覚があった。
普段はまったく意識しない境地だ。
そして1日半ぶりに固形物を食べた。
夫が作った卵とお麩のお味噌汁。
まだ食欲はなかったけれど、37度台まで熱は下がっており、お腹がほんの少し空いたのだ。
味噌汁はいつもの4分の1ほどの量であった。
味は風邪で味覚がやられ、ほとんどしなかった。
しかし、美味しかった。
あ、ご飯をじっくり噛むって、味がなくてもそれだけで美味しいってわかるな。
噛むことは、美味しい。
これも新しい感覚だった。
体がすっからかんになると、なんだか体の感覚がいろいろ敏感になるようだ。
30分かけて、じっくりと味わった。
普段元気な時って、惰性で食べてるものが多いんだなっていうことに、気付いた。
お腹が空いてるわけでもないのに、間食したり、味の濃すぎるものをなんとも思わなかったり。
風邪を引いて、体が回復してきたころにウズウズしてきた。
食べたくなったのは、ただの味噌汁と、塩っけのあるほかほかご飯だった。
あぁ、私って、日本人なんだなって、感じた。
本当に生命活動を維持するのに必要なご飯って、味噌汁と塩おむすびとかなのかもしれない。
本能が求める食事って、こんなにシンプルなものなんだろう。
しかし、食は人間の楽しみでもある。
それだけじゃつまらない。
行き過ぎも良くない。
そのさじ加減が、健康的な時にできていなかったなぁと、反省したのである。
食べることに対して、もっと大事に扱おう。
今年も暴飲暴食の時期がやってくる。
その時期になる前に、自覚できて良かった。