御言葉の黙想 サムエル記上2章25節 2024年9月8日
本文:
仮に人が人に罪を犯したとしても、神が間に立ってくださる。しかし、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれようか。」しかし、息子たちは父の声に従おうとはしなかった。それで主は彼らの命を絶とうとされた。
黙想:
世界にとって最も大事なものは主である。自分の子供よりも主が大切である。主よりも自分の子供を大切にする者は、神に仕える者としてふさわしくない(2,29)。
主はむしろ、自分の独り子を私たちのために犠牲にするほど、私たちを愛している。それにもかかわらず、私たちは主よりも自分の子供を愛する者である。他人の罪には厳しい者でも自分の子供は特別扱いする。この罪は必ず罰せられる。
エリには悔い改めるチャンスが何度もあった。しかし、主に反逆する自分の子供を、自分で統率することを放棄してしまった。その結果は凄惨なものとなった。
主はご自分を軽んじる者との約束を撤回される(2,30)。エリの家は滅び、残された者も悲惨な状態に置かれる(2,36)。これが生ける真の神を侮った者の末路である。
あまりにも厳しい御言葉と示された現実に不安と恐れを抱いてしまいますが、大切なことは、主が本日の御言葉通り立てられた(2,35)忠実な大祭司(ヘブライ人への手紙5,10)、私たちの主イエスの十字架の業にすがり続けることであると信じます。主イエスが私たちのために、すべての呪いを自ら引き受けてくださいましたので(ガラテヤの信徒への手紙3,13)、私たちはただ主イエスを愛して、従っていきましょう(コリントの信徒への手紙一16,22)。