御言葉の黙想 サムエル記下21章1節 2024年7月12日
本文:
ダビデの時代に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデが主に伺いを立てると、主は言われた。「サウルとその家に責任がある。ギブオン人を殺害し、彼らの血を流したからである。」
黙想:
飢饉とサウル王の誓約違反(ギブオン人虐殺、ヨシュア記9,15-20)との間に、本当に因果関係があるのか。ダビデのサウル一族の粛清の一環として見るべきではないのか。
歴史的真実を確定するのは困難であるが、「聖書自身が証言している事実は誠実である」とする前提に立てば、答えは容易である。
神は約束が遵守されることを望んでおられる。それは人間が神に示すべき誠実さの基本である(民数記30,2)。しかし、人間は約束を守らない。そのことは聖書を通して一貫して示されている通りである。
そして、神はその契約違反の代価を求めておられる(21,14.申命記23,23)。
主イエスは誓願そのものを禁止された(マタイによる福音書5,34)。「『然り、然り』『否、否』と言いなさい」と言われた(マタイによる福音書5,37)。そもそも誓願は軽々しくたてるべきではない(申命記23,23)。
しかし、神は約束を守られる(民数記23,19.ヨシュア記23,14.詩編89,35.イザヤ書55,11)。神の約束は主イエスにあって完全に実現し(「然り」となった)、私たちはアメンと唱えることで神を賛美する(コリントの信徒への手紙二1,20)。