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御言葉の黙想 レビ記26章1節 2024年8月9日
本文:
あなたがたは自分のために偶像や彫像を造ってはならない。また、石柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を置いて、それにひれ伏してはならない。私は主、あなたがたの神である。
黙想:
この命令は極めて単純である。要するに像を作って拝んではならないということである。
しかし、人間は像を作りたがる。世界中いたるところに像がある。動物や人間、神を形作り、それを拝んでいる。
モーセがシナイ山からなかなか戻ってこないと、民は金の子牛を作って拝み始めた。主は彼らを滅ぼしつくそうとされたが、モーセは「昔の約束を思い起こしてください」と必死で宥めた。それでも裁きを完全に免れなかった。
それほど神の怒りを買う行為を、イスラエルはやめることができなかった。
おそらく人間には本能的に、超越者を具体化させようとする性質があるのかもしれない。具体化すると自分が制御できるものになる。人間が持ち運んだり、壊すことさえできるようになる。
人間の所有欲が具体化の動機であるのだ。
しかし、超越者は人間に所有されえない。「あなたは私の顔を見ることはできない。人は私を見て、なお生きていることはできないからである。」(出エジプト記33,20)。
主イエスを通して神を見ることを許された私たちは幸いである。主イエスと父はひとつだからである(ヨハネによる福音書10,30)。