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普通ではない自分を認めたくなかった私へ

思春期のころ、普通ではない性格だと認めるのが怖かった。学校は閉鎖された環境で、逃げ場がない。私が学生の頃は携帯もなく、本当に学校以外に居場所がなかった。もし学校で「変わり者」とレッテルを貼られたら、もう人生終了… 逃げたくても、閉鎖的な町ではそれも難しい。そんな環境の中で、親もまた「普通であること」を求め、それを子どもに押し付けてくる。本当に辛かった。早くここから抜け出したい、そればかり考えていた学生時代だった。

高校を卒業し、都会に出て初めて気づいた。私が生きてきた世界は、数ある価値観の中のたったひとつにすぎず、それがまるで唯一の正解のように主張されていただけだったことを。多くの人は、その中で浮かないように、バレないように、自分を守るためのキャラを作っていた。でも私は、我が強すぎて合わせることができなかった。学生時代、私は自分の主張が多すぎた。学校で求められていたのは「協調」だったと、大人になってからようやく理解した。

社会に出れば、協調する“ふり”はできる。でも、それを長く続けるのは難しい。無理をすればするほど、疲れて一人になりたくなる。生まれ持った内向的な性格のせいだと、今ならわかる。

学生時代が苦しかったのは、何よりも「人の目を気にしすぎたこと」、そして「内向的な自分を認められなかったこと」、さらには「親の期待を裏切れなかったこと」だった。解決方法は、本当はシンプルだった。内向的な自分を認め、親の期待に応えないこと。 大人になれば、そうした気づきが増えていく。でも、今まで生きてきた中で染みついた「脳の癖」を変えるのは、簡単ではないんだよね。感情(思考の癖)は過去で止まっているのでね

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