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「だいじょうぶだよ」に救われたり、救われなかったり
好き嫌いなく食べる子になってほしい
「好き嫌いなく食べる子」になってほしい
と思っていた私は、好き嫌いなく食べない3歳のわが子に困っていた。
というか、イラついていた。もっといえば恥じていた。
「どんな子でも食べる献立」的な本を何冊か買って
作ったけれども、もちろん食べない。
もがけばもがくほど、効果がでないことに焦りを募らせる。
不安だったのだ。
栄養が偏るのではないか
私の作り方が悪いのではないか
私は、なにか重要な過ちをおかしているのではないか
「あそこの親は食育ができていない」って思われるんじゃないか←特にこれだったんだと思う
※ちなみに、私の育児が苦しかったのは「だめな親だと思われるのではないか」ということが大きな原因だった。できない自分が悔しかった。
「いい親」になりたかった。今後書く昔の出来事には、この思いが共通すると思います。
「うちの子○○しか食べなかったけど元気だよ!」
雑談の中で「うちの子野菜食べないんですよ~。」「こんな工夫したり、こんなことしてるんですけど」と、自分は何もやってないわけじゃないアピールも入れつつ軽い感じで相談をすると、
先輩からこういうことをよく言われた。考えすぎないで!!
「だいしょうぶだよ」と。
うちの子は○○しか食べてなかったけど、今身体大きくて健康で、もう中学生だよ!
そのうち食べるようになるよ。
友達の子は、△△しか食べなくて、学校のお弁当にも△△もっていってたんだよ!!(△△は持ち運びするようなメニューではない)
とたくさん例を上げて、子どもが食べるたべないでそんなに悩まなくて
いいんだと励ましてくれた。
不安を感じている私に対して、(不安にならなくて)「だいじょうぶだよ」
(私も苦しいときがあった。でも子どもはそれなりに育っている。だから)「だいじょうぶだよ」と安心させてくれようとしていたのだ。
今なら本当にその優しさが嬉しいし( )の言葉が想像できる。
いろんな背景があっただろうけれど、「だいじょうぶだよ」という言葉に
集約させて伝えてくれたのだと思う。
なのに、当時の私はそう言われる度に更にモヤモヤを募らせてしまった。
無責任に「だいじょうぶ」って言わないで。
うちの子は違うかもしれない。
私は違う、ちゃんとできるはずた。
プライドが高いし、不安が強い。
あの頃の私、自分を見失っていたし、無知だった。
※子どもの偏食は、子どものわがままでもお母さんの努力不足でも
なく、感覚過敏などの理由があったりもします。
学んで、経験した今なら「そのうち食べるようになる」もあながち
間違えではないと分かる。今回はそのことがメインではないので
書きませんが、困っていて話を聞いてほしいなと思ったら
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「うちの子はこうしたら好き嫌いない子になったよ」
かと言って、
うちの子は、小さいときから何をあげるときも
「おいしいね」「おいしいね」って言ってあげてたから
なんでも「おいしい」って食べるよ。とか
こんな風にすると食べるよとか、
具体的なアドバイスをもらっても、結局食べないわが子や
今、実践できていない、過去に実践できなかった自分がだめだと落ち込むだけだった。
何言われてもだめじゃないか。みんな親切に言ってくれているのにね。
こだわりたいなら、こだわっていいんだよ
そんなときに、「こだわりたいならこだわっていいんだよ」と言ってくれた先生がいた。
お母さんが、一生懸命食べさせたいって思っているなら、
色々やってみたらいいんだよ。頑張っていることは無駄じゃないよ。
大事にしていること、大事にしていいんだよと。
その言葉にとっても救われた。そうか、私は、食べないことに悩んでいたんじゃない。なんとかなるさとど~んと構えてゆったりした雰囲気で子育てできもしない、かと言って本に載っているみたいな子育てもできない自分を恥ずかしいと思うと同時に、こんなに頑張っているのに、
なんでみんな、頑張っていることを悪いみたいに言うんだろう。
って思っていたんだ。
それでも、今の私があの頃の自分に声をかけるなら、「だいじょうぶだよ」
と声をかける。頑張っているね。だいじょうぶだよって。
食べることが大事だって思ってるから子どもの偏食が気になっちゃうんだよね。
でも、だいじょうぶだよ。あたなもあなたの子もだいじょうぶだよって。
「だいじょうぶだよ」って声をかけたくなるくらい、あのときの私は目がバッキバキだった。
光の速さの「だいじょうぶ」
それからしばらくして、また「だいじょうぶ」に出会った。
その日は、いつものように子育て広場で子どもを遊ばせていた。
NPO法人がやっている、数百円で2時間程度遊べる場所で
飲み物を飲むこともできて、話し相手になってくれるスタッフさんがいた。
一軒家の一階、広いスペースではなく、その日の利用者は私たちだけだった。
少しだけ人の目があって、でもたくさんの人の目にさらされていないその空間は、リラックスして過ごせる場所だった。
私たち家族は数ヶ月後に、1年間の海外移住を控えていた。
馴染みのスタッフさんだったこともあり、不安をもらした。
「あっちにいっても、こうやって助けてもらえる場所があるかな。○○さん(その日のスタッフさん)みたいに、助けてくれる人がいるのかな。」
そしたら、光の速さで
「だいじょうぶ!いる!!」という返答があった。
あまりの速さと勢いに、笑ってしまった。涙がでた。
なんかわからないけど、きっと大丈夫だと思えた。
すっごく励まされた。そのスタッフさんは、私たちが移住する国に
詳しいわけじゃないし、調べたわけじゃないのに、
その言葉にとっても説得力があった。
不思議なものだ。
だいじょうぶ
どんな言葉もそうだと思うけれど「大丈夫」って
いろんな意味になるなと思う。
大丈夫だよ(祈り)
そんなの大丈夫だよ(考えすぎだよ~的な)
大丈夫?(心配)
大丈夫(心配しないで)
大丈夫(任せてね)
大丈夫(太鼓判)
あ、大丈夫です...。(結構です)
だいじょうぶだよ(信頼)
などなど
「だいじょうぶ」に傷つくこともあれば
「だいじょうぶ」に救われることもある。
今回思い出した二つの「だいじょうぶ」は
どちらも優しさの大丈夫だった。
はじめの「だいじょうぶ」は、拒否してしまったけれど
今改めて感謝している。
苦しんでいる人に、困っている人にかける言葉は難しい。
もしかしたら、傷つけてしまうかもしれないし、
無責任なこと言わないでって思わせてしまうかも知れないけれど、
それでも私は、昔の私のようなことで苦しんでいる人がいたら
「だいじょうぶだよ」と声をかけたい。
そして、「大丈夫そうだ」と思ってもらえたら嬉しいし、
「大丈夫じゃないよ!!」って返してもらえたら、
一緒に考えたいし、苦しい気持ち、少しもってあげられたら
いいなと思っている。
岸田奈美さんの「だいじょうぶ」
この記事書きながら、そういえば私が大好きな岸田奈美さん
の著書に『国道沿いで、だいじょうぶ100回』という
エッセイがあったなと思い出した
本棚から取りだして
改めて読む
めちゃくちゃにあたたかくやさしい「だいじょうぶ」だった
悲しみも苦しさも悔しさも感じる「だいじょうぶ」だった
noteにもみなさんが読める形で記事がまだあったので
ぜひ読んでほしい
本になっている文章とnoteの記事は少し違うし、
表題のエッセイ以外もめちゃくちゃよいので
本もおすすめです
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