漫画レビュー 冬目景「羊のうた」
以前、Amazonで公開していたレビューです。少し修正して掲載します。
私の最推し作品である「羊のうた」です。
冬目景という作家は寡作です。
これは、執筆をさぼっているというわけではなく、ほとんど自分で描いているからです。インタビューを見ると、インターネットも使わず、こもって漫画ばかり書き続けているようです。そこから産み出される作品群はどれも人の心のひだに入り込むような優しくも怪しい魅力があります。
※現在では、冬目景先生はホームページを開設されています。2025/1/11現在病気療養中で休載告知のみとなっています。
「羊のうた」は、冬目景先生が漫画家として有名になるきっかけとなった作品です。コミックバーズという雑誌で看板作品であり続けました。冬目景という作家が完成した作品といってもいいと思います。
テーマは重苦しく、変わったギミックや、魔法のように物事を解決するものもありません。他人の血を吸いたくなるという奇病に冒された姉と弟、そして周囲の人間の心の動きを丁寧に描いています。絵柄は4巻頃で現在の冬目景先生の絵柄に落ち着きますが、それまではやや粗っぽい絵柄でした。この作品を描くのにあわせてふさわしい絵柄に変わっていったのでしょう。
さっと流し読むだけでは、この作品の魅力はわかりません。ひとつひとつ味わうように見ていくと、それぞれの心の動きが丁寧に描写されていることがわかります。登場人物は皆理性的で、内省的です。特に主人公である高城千砂は感情を表に出しません。登場人物たちはしばしば独白しますが、それが正しいかはわかりません。自分のことは自分でもわからないものなのです。
冬目景先生は、表情、仕草、服装、距離感、声の調子、言葉の選択等々、非言語メッセージの表現が巧みです。人の気持ちは自分でもわからないものであり、言葉では表現されないものがあります。これは、本音と建前といった話ではありません。自分が自覚している「本音」は、自分が脳の底から求めている「本音」とは異なるものです。そういったものは行動や態度の端々に出てきますし、読み取れる人はそのまま読み取れます。冬目景先生はそれを漫画という表現に落とし込める希有な方です。
この作品で面白いのは、高城千砂の顔が(微妙に)安定しないことです。もちろん、全ての場面で美女なのですが…。最初はただぶれているだけかと思ったのですが、違いました。これは、見る人によって違った表情を見せる千砂という女性の表現なのです。そこにリアリティーがあります。リアルとフィクションの狭間でぐいっと手をフィクションの世界に引き込んでくるような、、、そんな不思議な魅力があります。強さと脆さ、厳しさと優しさ、賢さと愚かさ、老成さと幼さ、妖艶さと純真さ、一見相反するものが相まって存在する高城千砂の美しさは言葉にできないです。強靭な理性と知性、それでも抑えられない強い情念、そこに高城千砂の際立った美しさがあります。
20年以上前の作品ですが、古さを感じさせる小道具がないので、古いと感じません。むしろ、今の時代にこそ読まれるべき作品だと思っています。冬目景先生が、ご自身の内面に深く向き合って生み出された作品ですので、そこに表現された心情には圧倒的なリアリティーがあります。この作品は、冬目景先生自身が「一言で説明できない作品」と述べているように、複数のテーマが絡み合っています。読み手によって発見されるものですので、読み直す度に違う見え方がします。オススメいたします。
追記 レビューをみると評価は割れているようです。確かに万人受けする作品ではありません。
ある人にとっては★を10個つけてもなお足らず、別の人にとっては★1つでしょう。作品は、それ単独ではインクのしみに過ぎません。読者が受けとることによって完成します。何を感じるかは読者次第です。この作品が、その真価を感じとれる人に届くことを祈ります。
【以下、ネタバレ注意】
1巻感想
高城一砂と、高城千砂が初めて巡り合う物語の導入部の巻です。
高城一砂は、「衝動的に他人の血を吸いたくなる」という高城家の病を発病したことに気づき、どうすればよいのかわからず、姉である高城千砂の下を再度訪れます。
高城一砂は、高城千砂から、高城家の歴史、高城家の病を隠さなければ生きていけないことを説明されます。
ここで少し作品の時代背景について説明しますが、羊のうたが連載開始されたのは1995年12月、その翌年にようやく優生保護法は廃止されました。高城千砂が生きてきた17年間は、そういう時代です。
Wikipediaより引用。
【優生保護法(ゆうせいほごほう)は、1948年(昭和23年)から1996年(平成8年)まで存在した日本の法律である。
優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)、人工妊娠中絶の合法化、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものであった。国民の資質向上を目的とした1940年の国民優生法を踏襲した。
1996年の法改正で優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除され、法律名も「母体保護法」に改められた[1]。
2024年7月3日に、最高裁判所大法廷が、本法の各優生条項が憲法13条、14条に違反していたとする判決を言い渡した[2]。】
1巻の最後で、高城千砂は、高城の病に苦しむ一砂に、自分の手首を切って血を与えようとします。このシーンが『羊のうた』という物語の本当の始まりであり、ここからすべてが動き出します。冬目景先生もこのシーンが特に重要と思われているようで、OVAの表紙や、文庫版の表紙で同じシーンを描き直されています。
2巻感想
1巻では、投げやりで攻撃的なところを見せていた千砂ですが、1巻の最後で一砂に血を与えようと腕を切った後、その血を吸う一砂を見て笑顔を見せます。
この巻で、千砂と父親との間がただならない関係であったことが匂わされます。普通の親子とは異なる「特別」な関係があったのです(後述するように、私は肉体関係はなかったと判断しています)。
その父親の影を弟である一砂に求める千砂。
「私を一番理解してくれる人間は父しかいなかったのだし 私は何の疑問も持たずに父を愛した」
「例えそれが禁じられたものだとしても 私には関係なかった」
千砂の独白です。
一砂に一緒に暮らすことを誘う千砂。なんだか楽しそうです。この時はまだ一砂は千砂を知りません。元の生活で恋人関係になりかけていた八重樫との生活を続けたいと考えています。しかし、その八重樫の前で発作が、、、ここで2巻は終わりです。日常から非日常へ、ここが分岐点でした。
この後、作品は高城千砂という女性の内面がじっくり描かれていくことになります。千砂にとって父とは何だったのか、そして一砂は何だったのか、読者に考えさせるものになっています。
冬目景先生は、何度かインタビューでこの作品を振り返っていますが、この作品の骨である高城千砂と、父親である高城志砂との関係については、ほとんど語ろうとしません。語らないことに意味があるのでしょう。
3巻感想
発作で病院に運ばれた一砂。
そこに千砂が訪ねてきます。一砂の親代わりとして世話をしてきた江田夫妻に強い言葉で拒絶の態度を示します。一砂と一緒に暮らす、そういう強い思いを感じます。
一方で、一砂を心配する江田夫妻、とくに奥さんである江田夏子さんは一砂の様子がおかしいと気がつき、出ていこうとする一砂を引き留めようとします。この作品の素晴らしいところは、ある意味では2人の関係性にとって余計なものである、周囲の人のこともちゃんと描いているところでしょう。だからこそ物語に深みがでます。
この巻では、寝室や居間で、千砂が一砂に抱きついたり、背中に手を差し入れるシーンがあります。ぞくっとします。まるで読者である自分が抱きつかれたかのような…。素晴らしい体験でした。
4巻感想
他の巻のレビューに考察は書いていますので、この巻についてはどうしても伝えたい事だけを書きます。
この作品の一番の魅力は、高城千砂が、漫画的にパターン化されていない、等身大の、知的で、老成していながらも、悩み苦しむ女性であることです。気高く振る舞う一方で、一砂に近づく八重樫を追い払おうとする姿があまりにいじましく痛ましい。この巻の寝室での一砂と千砂のやり取りは、なんとも評価できないです。言葉を失います。千砂という女性の魅力が最大限に引き出されています。
5巻感想
4巻の最後で心が通じあった千砂と一砂が一線を越えます。一砂が千砂を押し倒して無理やり首筋から血を吸うのです。普段は優しく、理性的な一砂がです。何故、無理やりしたのか…与えられるのではなく、この手で傷つけても欲しい血だった。一砂はそう独白します。それを受け入れ満たされる千砂。ここで、2人の絆は破られえないものになりました。千砂の「絶対に破られない約束」という台詞にはぞくっとします。
しかし、ここで終わらないところが本作品の卓越したところです。千砂は、一砂の血を求める自分を自覚しながら、一砂の血を拒絶するのです。一砂は千砂から血を求められないことに不満を持ちます。千砂に必要とされたいという強い思い、、、しかし、千砂はためらいます。「自分でもよくわからない……だけど……なんだか嫌なの……父さんに求めた事は……あなたにはしたくない……」
私はこの千砂の選択がずっとわかりませんでした。一砂の血で発作がおさまる可能性があるのであれば、試してみればよいと思っていました。ダメなら次の手を考えれば良い、と。ただ、今となると千砂の選択はわかります。千砂の人生はずっと「絶望」とともにあったのです。
声優グランプリ2003年8月号の『「羊のうた」座談会』で、高城千砂の声優を担当した林原めぐみさんは、こう述べられています。「千砂は3歳のときに発病して、奇病で苦しむ母も目の当たりにしているんです。そういう状態で奇病に向き合っていかなくちゃならないっていうのは、ものすごく精神力のいる作業ですよね。そういう経験をすることで、千砂はいろんなものを抑え込むようになっちゃったので、感情の起伏が表に出ない人なんです。彼女の存在意義っていうのは、父に愛されることだったんですけど、かんじんの父が死んでしまったことで、彼女の中になにもなくなってしまったんですよね。そして、父にそっくりな一砂に会うことで、一砂を生きがいにしていくんですよ」(この座談会では羊のうたについて本質的な分析がなされていますので、ファンであればバックナンバーを読む価値があります。)。
過去を断ち切って、自分自身の人生を歩むために、同じことを繰り返さない、そう決意したのでしょう…互いに強くひかれあい共依存になっていく2人。世間の論理では間違っていることなのでしょう。しかし、「世間が何を言おうと、私は2人の関係を肯定する。」そういう思いにさせられました。
※この巻では、夏子さんが2人に養子にならないかと持ち掛けるシーンがあります。それまでの千砂を見ると意外なことに、千砂は前向きな姿勢を見せるのですが、一砂は拒絶します。ここが転換点でした。千砂を守ろうと思うのであれば、自分も発病したことを話して、助力を求めるべきだったのです。一砂のエゴ(傷つけたくないという思い)が出てしまったことがかえすがえすも残念です。それゆえに千砂は一人で戦うことになってしまう・・・
6巻感想
5巻で千砂の死期が近いことが示されます。千砂はそれを一砂にあえて伝えず、二人で静かに暮らそうとします。終わりを感じさせながら、懸命に生きる千砂。自分が亡くなった後の一砂のことを考えて、無理に学校にも行きます。その姿には崇高さすらあります。人間はいずれ死にます。遅かれ早かれ。長く生きることではなく、どう生きるかこそが大事なのです(それでもなお、私は千砂には生きて欲しかった…)。
この巻では、千砂と一砂の父親である高城志砂の医院に勤めていた看護士がでてきます。探偵まがいの行為までして志砂の自殺の原因を探っていきます。あとでわかりますが、本当にろくなことではなかった…しかし、いずれ真実に向き合うべきときはきたのかもしれません。
不穏な空気を抱えつつ進む日常。読んでいるのが辛くなりつつも、目が離せません。
7巻(最終巻)感想
6巻からは読むのが辛くなりました。千砂の体がどんどん弱っていく姿が描写され、心も弱っていることが見せつけられます。4巻頃の強い姿は影を潜め、ほとんどの時間をベッドの上や布団の上で過ごします。死という逃れられない運命が近づいてきます。
最終話のひとつ前、一砂と千砂のやり取りは、この作品の集大成です。いずれこうなるところに行き着いた、そういう感慨深いシーンでした。「俺は……千砂を選んだ」。その言葉を聞いた千砂の表情はこれまでにない幸せそうなものでした。千砂の最期の時、一砂と千砂が何を話したのかは明かされないまま終わります。その時間は二人だけのものであって、他の誰かに覗かれるべきものではないでしょう。
最終話で、一砂は千砂の記憶を失い日常に戻ります。この展開がご都合主義とか、余韻を台無しにする、といった意見もありますが、これで良かったのだと思います。【千砂を愛した一砂】は、千砂が連れていったのでしょう。素晴らしい作品をありがとうございました。
※杉井ギサブロー監督が、アニメでは尺の関係で「千砂が生まれもって身についてしまっている魔性については描けなかった。原作は千砂自身にもどうしようもできない運命的な魔性とも千砂は闘わなくてはならないということもドラマを深くしている」と述べていました。この千砂の「魔性」については最終話の一つ前で夏子さんが「彼女自身気付いていないかもしれないけどあの子はただ単に綺麗な女の子じゃない……人をひき付けて破滅に導くような…………そんな危うさを持っている娘よ」と言う台詞があります。
私も理解できているか怪しいですが、この「魔性」をあえて言語化するとこういうことだと思っています。
…千砂は言葉と態度で人の心を支配できる才能を持っています。自分の外見や声の調子なども含めて、どの場所で、どう振る舞えば、何を言えば相手の心が動くか本能的に理解しています。相手の劣等感や罪悪感に働きかけることもあれば、相手の自尊心・保護欲・性欲に働きかけることもあります。一砂に見せる「母性」も、一砂の「親に捨てられた」という寂しさを感じ取って応えているのでしょう。夏子さんの千砂に対する印象が「怖い」というのはこのためですし、一砂が「千砂を守りたい」というのも(当初は)この部分が大きかったと思います・・・それだけでもないのですが。新さんが何も感じないのは鈍感(相手の気持ちを読み取る力が低い)だからです。そして、千砂はその才能を普段は理性である程度コントロールしています。看護師の風見を追い払った時や、病室で夏子さんを追い払った時は(一砂を独占したいという欲望がありつつも)理性で抑制しています(※凄く脳を使うので、その直後は疲れたと言って横になります)。
が、心の弱った時、理性の抑制が弱まった時にはこの才能が無意識に発揮されます。千砂の根源的な欲望(千砂のコアが、親に見捨てられて泣いている幼児であることは何度か作中で示唆されています)から来るので、千砂が理性で考えていることとは違うことを実現しようとします。例えば、千砂は最終話の一つ前で一砂に対し「今まで……あなたを一人占めにしてたけど……これで……返せるわね……八重樫さんに……」「傍に居てくれてありがとう。同情でも嬉しかった……」と語りかけます。千砂のこの時の気持ちは想像するしかないのですが、同情であることを一砂が強く否定することを期待しているのです。そして、一砂は同情でないことを証明するために後追い自殺することを決意します。これは、千砂の心がもっとも望んでいることでもあり、同時に千砂がもっとも恐れていることでもありました。
そして、水無瀬にせよ、一砂にせよ、そういう千砂を、その全存在をかけて理解し、そういう千砂だからこそ、自らの決断として(ここがもっとも大事です)、千砂を愛し、千砂に殉じます。八重樫が最終話で「全てを彼が思い出した時……私は彼女に勝てるだろうか」と独白するのは、その絆、本来一砂は自殺する人ではないのに、それでもなお自殺を選んだことの重みを感じていたからでしょう。なお…私はそういう解釈をしませんが…本作の凄みの一つは、それでもなお「一砂は八重樫を守るために自殺をした」という解釈もできるところです。
最終話では、水無瀬も救われます。千砂が千砂であるためには、一砂だけではなく、水無瀬も不可欠な存在だったのです。それが良くわかるエピソードでした。後で気がつきましたが、千砂は一砂にも水無瀬の傷の理由について嘘をついていますし、水無瀬との診療所でのエピソードも話していないのです。彼は、報われない人のように思われていますが、実は十分千砂にとっての「特別な人」ではありました。水無瀬だからこそ、高城千砂に人生を捧げることを決めることができて、それにより高城千砂は救われていたのだと思います。
こういった作中の人物たちの心に共感できるか、あえてこのレビューでは私なりに言語化しましたが、頭でなく、心で理解できるかが作品の評価を大きく変えると思っています。
※※冬目景先生はインタビューで「ある程度のところまで、描いて、そこから先は想像してくださいっていう方が好きです」と述べられています『冬目景画集 羊のうた 絵顧録』(幻冬舎)。自分の中に10あるとして、漫画に描けるのは2くらいだとも『冬目景画集 景・色』(講談社)。読者が好き勝手に想像することができて、そこに冬目景作品の醍醐味はあります。
ネットを見るといくつか考察もあるようです。ただ、ネットのレビューはいまいち納得できないものばかりでしたので、私なりに考察(妄想)しました。これは、もちろん数多あるうちの一つの解釈であり、「正解」ではないのですが、ファンの皆さんの考察に影響を与えられれば嬉しいです。
本作は、作中では描かれていない、主人公たちの両親である高城百子と石倉志砂との駆け落ち的恋愛から始まっています。聡明で優しく美しい高城百子に、名門の家に生まれた医師である石倉志砂が恋をして、彼は石倉家を捨てて高城姓になり結婚しました。志砂が百子を深く愛していたことは千砂から語られますが、遺伝性の精神疾患である高城家の病が有ることを知りつつ、あえて2人の子どもを産むことを決意するまではドラマがあったでしょう。
しかし、一砂を出産後、22歳の時に高城百子は発病し、それからなくなるまでの3年間の間に急速に症状が進みます。そして、千砂は生まれた時から体が弱く寝て過ごすことが多かったのですが、3歳の時には高城の病も発病してしまいました。その間に志砂は百子に血を与え、一生懸命治療にあたりましたが、治すことはできませんでした。そして、7巻で明かされたように、百子は千砂の首を絞めて心中しようとして、千砂に殺されます。
この光景を目撃した志砂は、千砂の心を守るために「なかったこと」にしなければならないと考えます。あるいは彼も妻の死を受け入れられなかったのかもしれません。そして、百子の死を隠して失踪したことにし、千砂に「お母さんは桜の木の下で自殺していた。千砂はそれを発見した」と偽の記憶を刷り込みます。おそらく、ここで千砂の魂が二人に分かれます。強靱な知性と理性を持って本能を抑圧し、「高城の病を隠さなければならない」とする大人の女性としての千砂と、4歳の、父親と母親の愛を求めて泣いている女の子としての千砂です。大人の女性としての千砂は、生きるために人の数倍の速さで老成し、4歳の千砂はそのまま取り残されます。
そして、一砂は江田夫妻に預けられ、千砂は志砂と2人で育ちます。「父さんは……母さんに似ているあたしを溺愛することで立ち直ったのよ」そう千砂はいいます。志砂は、無意識のうちに千砂に対して妻の影を求め(小さい頃から母親の和服を着せていたのもそうでしょう)、千砂もまた無意識のうちに百子の代わりになろうと振る舞います。千砂は百子になりたかったわけではないのですが、志砂の本心が求めているのが百子であることに気付いてしまっているのです(他人の心に対する生来の洞察力です)。
千砂が小学校に上がる前のころ、志砂は当時高校生であった水無瀬を、千砂の遊び相手として引き合わせます。高城の病を隠していた志砂が水無瀬を信頼したのは、水無瀬に自分に似たところを感じたのかもしれませんし、あるいはただ単に体が弱くて遊び相手もいない娘を不憫に思ったのかもしれません。年に似合わず大人びた娘には、高校生の水無瀬でないと釣り合わないと感じていたのかもしれません。
ともあれ、千砂は7歳のとき、水無瀬といる時に、発作を起こして水無瀬の顔を傷つけ、血を飲みます。この時点で水無瀬は高城の病を知らなかったはずですし、志砂も千砂が水無瀬の血を求めることは想定していなかったと思います。千砂は、水無瀬の血を飲んだ後に妖艶な表情を見せ、その後落胆したような表情に変わります。そして、水無瀬は千砂に選ばれたことにより、千砂の虜になります。水無瀬が医師になったのもそのためです。千砂が何故水無瀬を選んだのかははっきり描写されていませんが、水無瀬もまた千砂に必要な人間だったのでしょう。
千砂が中学生になり、水無瀬は医学部生になったころ、水無瀬は志砂と千砂の関係性の危うさに気がつきます。千砂が育つことにより、より百子に近づいてきたのです。千砂も、自分が百子の身代わりとして愛されていることをだんだん自覚していきます。このままでは、千砂は自分の心を殺して百子になってしまうことを感じた水無瀬は強引に口づけをして連れ去ろうとしますが、千砂に拒絶されます。水無瀬だけでは、千砂の心を埋められなかったのです(だからこそ水無瀬は苦しみ続けます)。おそらく、理性的な大人の女性としての千砂は、水無瀬を必要としていましたが、4歳の、父親と母親の愛を求めて泣いている女の子としての千砂は志砂でないとダメだったのです。
千砂は高校生になり、ますます百子に似てきます。そして、志砂の妻になろうとしてきます。しかし、おそらく最後のギリギリのところで志砂は踏みとどまります(千砂は風見を追い払う時に「身代わりにした」と言っていますが、これは風見を追い払うための「嘘」と思います。千砂は嘘をつける人です。この告白の瞬間だけ千砂の目を描いていないことで、どちらにもとれる「含み」を持たせています)。そして、百子の死の真相を水無瀬に伝え、千砂を託して自殺します。千砂にわかるように自殺したのは、百子の身代わりとして育ててしまった千砂に、自分を断ち切るようにという思いがあったのかもしれません。
※キャラクターデザイナー2003年秋号「キャラクターデザインマンガサイド」で、冬目景先生は、高城志砂について【基本的には普通の人なんだけど、千砂って存在のせいで、なんとなく、普通でいられなくなる自分に嫌悪している感じです。客観的にも「危ない」っていう感じがあったかも。】とコメントしています。
最終話ひとつ前の話で、夏子さんが「志砂さんは千砂ちゃんを恐れていた」と述べています。千砂は実は志砂に支配されていたのではなく、志砂に「支配させていた」のです。支配と被支配は、支配側の一方的行為のように見られがちですが、実は一見「支配されている」側が決定権を持っていることもあるのです。つまるところ、この作品には一人として「悪人」はいなかったのです。皆がか弱い「羊」でした。
志砂の期待どおり、水無瀬は千砂の自殺を食い止め、千砂が、投げやりながら生きようとすることを支えます。このままであれば、水無瀬が千砂を支え、千砂の心が回復する展開もあったのかもしれません(映画版はその方向を匂わせています)…がそうはならなかったのです。後は作中で描かれた出来事がすべてです。
※ドラマCDについてのレビューも転載します。
ここまで豪華な声優を使っていいのかという顔ぶれです。
特に、主役の高城千砂の演技が凄い。林原めぐみさんですが、千砂の厭世感が、かすれた低めの声で良くでています。こんな女子高生がいるわけないでしょ(でも高城千砂ならこうだよな)…と感じさせる迫力です。後日、羊のうたスペシャルボックスについているインタビューを聞いたのですが、林原めぐみさんの役作りが凄いです。これがこの声に繋がったのかと…正直、他の方では出せない声だったと思います。収録時に周囲が怖がっていたとか、収録のあとにぐったり疲れていたというのも良くわかります。
インタビューでの、千砂に心をあわせていけば、「声は後からついてくる」という話にも震えました。林原めぐみさんは不世出の天才ですが、その林原めぐみさんをもってしても、若い頃ではできなかった役という話もしっくりきました。
映画版の評判はいまいちですが、あれは小栗旬さんを撮るための作品なのでいたしかたなしです(私はエンディングは好きです)。花堂純次監督が原作のためにきっちり真剣に仕上げたのがこのドラマCDだと思います。オススメします。
現在は購入できませんが、「関智一のお茶会 -夏休みスペシャル-」
配信日時:2024年8月12日(月) 19:00
にて、関智一さんが「羊のうた」のドラマCDの思い出について語っていました。重苦しい現場で、印象深い作品だったそうです。林原めぐみさんとのエピソードも印象的でした。
高城千砂 林原めぐみ
高城一砂 関智一
八重樫葉 雪野五月
江田新 小杉十郎太
江田夏子 佐々木瑶子
水無瀬 三木眞一郎
高城百子 井上喜久子
幼年の千砂 杉井咲子
木の下 鈴村健一
エミ 長沢美樹