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自分探ししてもなんの意味もない奴

生きる意味の見つけ方を知りたい。自分探しの流行りが廃れてからもう何年経つのかは知らないが、もうそういう熱に浮かされる人たちは居なくなってしまったのだろうか。実際探しても見つからない気がする。偏屈な人間ほど自分探しで人生が変わって、生まれ変われると思っている。人生探しを壮大でかっこいい活動だとと思ってる。ただそういう人間はもっと身近にあったり、自分の中にあったりするものを探すことをしない。歪んだレンズを外して自分と向き合うこと割と苦しく、そして時間がかかる。分かりやすく変われそうな自分探しよりも大変だ。燻って、今の環境から飛び出そうとする人間ほど逃げがちだ。難しいことは置いといて、今はやりたいようにやれ。いい経験になると言われたらそうだが。ただそういう人間ほど変化を受け入れること、自分の良いところ悪いところを認め前を向いてあるくことが苦手だ。誰よりも変わりたいと思ってるくせに、いざそれを飲み込む時にどうしても吐き出したり、なんか口に合わないからもういいやってなったりする。誰かに何か言われたり、見たりしただけで生きる力意味を見いだせるような人間はいきなり自分探しなんかしなくても時の流れとともに何も考えず、割り切り生きていけるようになる。結局最後までそれをできないようなやつらが自分探しをやめられなくなる。他の人が持っていない何かをきっとこんな自分でも見つけられる。そう思って旅に出てもきっと思い出や経験値は残るがなにも見つけることはできない。誰よりも上でありたい。他の奴らができないことを自分はできていたい。そんな考えを持ってるやつが探したところで見つかるわけがないだってそんなものは存在しないから。どこにもないし、持ってないから。だけどそれを受け入れることができない。理解したくないから自分と向き合えない。やっぱり割り切れない奴らはそういう思春期みたいな脳の檻に閉じ込められて一生でてこられない。身体だけが大きくなって感性、価値観だけがおいてかれてしまったから。誰もそいつらを救えない。誰の言葉も咀嚼できない。自分と向き合うこともできない。一生気持ちの悪い人間だ。
なんてことを前から思っている。多分自分も将来こうなるだろうなと思っています。見てくれている方の考え方や、自分探しの体験、実際にその流行の中にいて感じたことなどよかったら教えてください。ということで今回はここらへんで。最後まで見てくださってありがとうございました。おやすみなさい。

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