塩尻の葡萄明治にの終わりから
理喜治が桔梗ケ原の地に植えた葡萄畑に遊びに行っていたのが林五一、現在の五一ワインの創設者、五一さんがこの地に滞在するきっかけが静岡県の興津で肺結核で入院していた時この施設にいた方から今後何をしたら良いのかと議論をして果物などを作ったらどうかと言う事になり当時の林家には桔梗ケ原の地に土地を持つていたので親にその土地を譲ってくれないかと話しこの地に視察に来た際出会ったのが理喜治である。理喜治は葡萄は儲かるぞと五一さんに話す、だが理喜治の会社は倒産してしまう。その後に林五一はこの地に来る。来た時には理喜治はこの地にいなかったです。五一さんは最初梨を作る、その後葡萄栽培へと転換していきます。本格的に醸造に、この頃塩尻の桔梗ケ原には土地を開墾して桑畑をする人が多い来た。だが桑畑ををするも絹糸の暴落が起こり葡萄栽培へと切り替わる人も多くいた。だが葡萄栽培へとに転換しても葡萄の売り上げは良くなく塩尻の土地を売って岡谷や諏訪に帰省する人も多くいた。今現在桔梗ケ原の果樹園の多くは諏訪や岡谷などからこの地に土地を開墾して来た人の残りである。
次回は桔梗ケ原の地で葡萄栽培をした北原名田造さんについてお話しします