エチュード 作品番号x

 夏の朝に早く起きて、アイスコーヒーなどを啜りながらタバコを吸っていると、ありとあらゆる向精神薬や睡眠薬はまったく比べ物にならないぐらいの恍惚が押し寄せてくる。俺は普段は昼まで寝てるんだけど、一週間に2~3回ぐらいは朝にパキッと目が覚める。そういう場合、特に何もせずネットサーフィンをするときもあれば、本を読むときもあるし、勉強を始める場合もある。いずれにせよ、恍惚と陶酔は人が生きていくうえで必要である。朝の5時、外がまだ青い光に包まれているときなどに、手塚富雄のヘルダーリンの伝記を読むと本当にうっとりする。19世紀という偉大なエポックを今でもフレッシュに生きること、それは夏の朝にトップバリュのコーヒーとセブンスターのマリアージュを味わうという一見なんということはない取り合わせですぐに可能になる。いつになっても恋をして、いつになっても音楽を聴くことしか、常に覚醒を要求される21世紀の中でまどろむことは可能にならないのだから。

 香水を始めた。菊地成孔がささいなガジェットで人生が変わることはよくあることだが、香水はそういった人生を変えるガジェットの中で最も忘却されているものだと言っていた。そして、これは俺も実感としてよく分かるが、「最初に何を手に取るか」は非常に難しい。特に周りにおすすめなどを聞けない場合。俺は、初めて飲んだ酒は黒霧島のロックだったし、初めて吸ったタバコはキャスターの5mgだったのだが、どちらも親の影響だった。ファーストチョイスとしてはどちらも妥当だったと思う。香水は、30mlで3000円ぐらいの安いフィンカの香水を買った。いきなり高いのに手を出して、いやあやっぱり香水って自分に合わないわ、となったら嫌だし、逆に3000円程度で気に入ればゲートウェイとしての機能を買うという意味であればお得だからだ。オヴェルタという銘柄で、タバコとバニラの香りである。
 結論から言って、これから香水は俺の人生において酒やタバコと同じものになるだろうという確信を得た。俺が酒やタバコを好むのは、アルコールやニコチンを摂取したいから(というだけ)ではもちろんない。味や香りというものに、記憶と人格と時間が強烈に結びつくからだ。ディプロマティコを飲めば四谷で大学院の予備校の帰りに通ったバーを思い出すし、ハイライトの香りには2017年の高田馬場の路地裏がすぐに想起される。記憶、人格、時間という大きなうねりの中に自らを絶えず位置付け直すということは、過去の思い出はもちろん、現在と未来の流れを体内にリズムとして取り入れるということも意味する。それは音楽だってそうだ。香水は、トップからラストにかけて香りが移るという嗜好性をもって芸術なのではない。まとうということで、過去、現在、未来という現実を同時に生き、人格を内面化し、時間の流れを制御することができる一種の魔術であるという点で、ひとつの芸術なのだ。これはつけてみて初めて分かることでもあったし、調度品を新しく自分の人生に取り入れる際のときめきというのもまた久しぶりに味わった。オヴェルタの香りは値段に比べて重く、遅い。俺はもう少し洒脱でありたいと思うので(洒脱でありたいと思って洒脱になれるのかは微妙だが)、より軽やかな香りをこれから探したい。香りを探す旅は、恐らく豊かだろう。それは自分がどういう人間なのかを問うことでもある。背中のタトゥーにしろ、ブリーチした髪にしろ、イヤリングやグラスチェーンにしろ、俺にとってそれらは同一線上の問題である。

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