大晦日は巻き寿司が食べたい

大晦日は必ず、母方の祖母の家で年を越す。夕飯で出るのは決まって巻き寿司。従兄弟がどの巻き寿司を取るか様子見しながら食べるのだ。
そして、こたつで見るのは紅白歌合戦。みかんとたけのこの里を食べながら見る。きのこの山は妹にあげる。私はたけのこ派だ。

母が「おばあちゃんちで何食べる?」と聞くが、私は巻き寿司一択だ。なんとなく、巻き寿司を食べる伝統を受け継いでいきたいのだ。大晦日は紅白ではなく、ガキ使を見る派が周りに多くなったりもしたが、我が家の末っ子は嵐が好きで、祖母は氷川きよしガチ勢なので、面白くなくてもこたつで寝っ転がりながら紅白を見る。どっちが勝つかとか、そんなことはどうでもいい。なんとなく、これからも紅白を見続けていきたいのだ。

最近、氷川きよしが「ありのまま宣言」をしたらしい。見た目もより、中世的になった。りゅうちぇるのように、性にとらわれずにかわいいを追求する芸能人を見てきている「孫世代」にとってはあまり抵抗があるものではないが、祖母はそんな氷川きよしの変化に気づいているのだろうか。

うちの祖母は、私が物心ついた頃はまだ、天童よしみが好きだった。気付いたら氷川きよしのことを好きになっていて、カセットテープをプレーヤーでかけて、まだ2歳だったうちの末っ子に、♪ずんっ ずんずん ずんどこ き・よ・し!
でお馴染みのあの曲を、振り付きで教え込んでいた。

私が大学生になると、遂にファンクラブに加入した。親戚や友達を誘って、年に一度、氷川きよしのコンサートにも足を運ぶ。私も一度だけそれに同行したことがあるが、実にキラキラした世界だった。もう一度行きたいとは思わなかったが。(自分の好きなものにだけ、時間とお金を使いたいので)

祖母は去年の大晦日、とりの氷川きよしを見るために、朦朧とする意識の中、テレビの前で待ち続けていた。氷川きよしを見るときの祖母は実に嬉しそうな顔をする。祖父は病院にずっと入院している。長年飼っていた犬も亡くなり、今、祖母は山の中にある一軒家で1人で過ごしている。叔母が毎日電話をしているが、孫たちも大きくなり、祖母の家を訪れることも昔より少なくなった。そんな中でも、氷川きよしを生きがいにして畑仕事に精を出している。彼のファンクラブ会報に載っている出演予定を見て、テレビやラジオをチェックする。仏間には、毎年買い続けている氷川きよしのカレンダーが、丁寧に、何枚も貼られている。CDも、包装しているビニールが破けないように開封し、ビニールに入れた状態で居間に飾られている。ガラケーさえも持っていない祖母は、彼がインスタグラムを開設し、「ありのままの自分でいたい」と公言したことを知っているのだろうか。頰にかかるほどの前髪を手ではらう姿や、艶々の唇を見て、何を思うのだろうか。

今、祖母は雲丹にはまっている。こないだまではチョココロネにはまっていたが、今は雲丹ブームなのだ。「おばあちゃんは雲丹の寿司を食べたがるのに巻き寿司?」と母に言われる。スーパーに売っているオードブルの寿司も、同じくスーパーに売っているオードブルの巻き寿司も大して変わりはない。というか、どちらでもいい。しかし、私は巻き寿司を食べたい。今までの恒例を捨てきれないのだ。巻き寿司を食べながら、山奥の一軒家で過ごすゆったりとした時間が毎年来て欲しいのだ。
祖母が笑顔で雲丹の寿司を頬張ることを取るか、今までの伝統を取るか。空前の雲丹ブームの狭間で、私の心は揺れている。

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