「人生において意味のないことは何ひとつない」「全ての出来事に意味がある」という考えは本当に正しいの?
よく、「人生において意味のないことは何ひとつない」「全ての出来事に意味がある」という考えを聞きますが、本当にそうなのでしょうか。
今回はこのことに関して
検証していきます。
「意味のないこと」はたくさんある
これは特に「明確な夢を持っている人」に当てはまることなのですが、
夢を叶える上で
「やっても意味のないこと」は実はたっっっっくさんあります。
「これをやっていたから今につながったよね」
みたいなことは、確かにある場合もあるのですが、
それはあくまでも将来のことであり、
近道で夢を叶えるためには邪魔になる危険性があることをやっても
直接的には意味がないと言えます。
「全ての出来事に意味がある」は辛い時のアドバイス?
「全ての出来事に意味がある」も
人生を振り返った時や
辛い時に言われたり思うことであり、
「意味がない」ことや
「時間やお金を無駄にしたり、それをやったせいでチャンスを逃したり、心がすり減ったからやらない方が良かった」ということやはりたくさんあります。
「意味がないこと」を全力でやるとどうなるか
しかし、
「意味がないこと」を全力でやると
「意味があること」を全力でやった時に得られるものと
ほぼ同じものを得られたりします。
これは逆説のようですが、
どんなことでも
どんな場所でも
全力で楽しんでできる人は
やっていることが違くても
どんなやり方でも
いつも同じ到達点に行ける人と言えます。
逆に言えば
「意味のないこと」を
「意味のあることに変える」こともできるということです。
確かに
野球選手を目指しているのに
1日の使える時間の使い方が
野球の練習50%と絵の練習50%をしていたら
「野球選手になるには確実に意味のない時間なのに、絵の時間が多すぎる」
と誰もが思うのではないでしょうか?
ですが、
「両立」という形で「あれもこれもできる人」
になることもできます。
野球選手を目指して
毎日野球の練習を中心に打ち込みながら
・1日1枚は絵を描く
・土日だけ絵を描く
などを決めて
どちらも全力で両立させると充実した人生になります。
意味を見出せば何事も楽しくなる
ですが、さっきの例は
野球も絵も「やりたい」人の場合なので、
「野球選手という夢には邪魔なことかもしれないが、絵に意味がなくてもやれる」というケースだったので「両立」を選べました。
しかし、「やりたくないこと」の場合はどうなるのでしょうか?
例えば
「早く部活に行きたいのに、風紀委員の色々を決めるために居残りさせられている」といった場合です。
乗り気ではないことをやる時や
嫌なことをやらなくてはならない時、
ぼんやりとやったり
嫌な気持ちのまま進めるのではなく、
「意味」を見つけてみましょう。
・風紀委員の仕事をしている今も青春の1ページだと気づく
・風紀委員の先輩と仲良くなって人間関係を広げてみる
・風紀委員の担当の先生と仲良くなる
・風紀委員として学校で目立つ方法を考える
・風紀委員の様子を写真で撮るor自分を撮ってもらう
など、
たった些細なことでも
こんなにも意味が見つけることができ、楽しみが生まれます。
まとめ
検証したところ、
「人生において意味のないことは何ひとつない」は
「意味のないことはたくさんあるが、意味のあるように変えることはいくらでもできる」であり、
「全ての出来事に意味がある」は
「どんな出来事にも意味を探せば意味が生まれ、意味がないと思う人には意味が生まれない」という結果になりました。
「意味がなくてもできる人」は無意識でもそこそこの結果を得られますが、
意味を見つけて意識すればもっと向上します。
「意味がないとできない人」は意味を見つけないと何の結果も得られなくて損するので、必ず「意味を見つける」ようにして人生を充実させましょう。