見出し画像

「鵞鳥湖の夜」 男性性と女性性の分岐があるネオノワール/中国版白鳥の湖

「鵞鳥湖の夜」は、
ヒロインの髪型をヌーベルバーグよろしくセシルカットと見るか、いたましい懲罰坊主と見るかで、
見る側のポリティカリーコレクトネスが試される映画である。
男性に買われ易いようにロングヘアが多い水浴嬢(陪泳女)という世界に生きているはずのヒロインの
ボーイッシュと言うにはイビツな感じを受けるベリーショート。あれは、
「懲罰のための坊主刈りが伸びた髪型」
であると私は受け取った。

ヒロインは一体どういう反則を冒したのか、が、ラストの微笑に繋がっていくのじゃなかろうか。

原題は「南方车站的聚会」。邦題および英題は、「鵞鳥湖」。
湖というからには、もちろん「白鳥の湖」要素があるはずなのである。
警官殺しのチョウを挟んで、妻と、水浴嬢のアイアイがあり、彼女らは白鳥と黒鳥の位置関係になるのだろう。
夜に絞ったタイトルであるから、チョウと黒鳥の逢瀬、駆け引きということだろう。

アイアイは、仕事がなく堕胎し、水浴嬢になった「そうであったかもしれない妻」とも言えるだろう。
水着姿も、バレエレオタードのようであると言えなくもない。
白鳥の苦悩については、中盤で明らかになる。

これらを踏まえると、「鵞鳥湖の夜」は欧米人に身近な物語である白鳥の湖がストーリーの軸にあり、田舎ノワールのサスペンスの先にある、追うべき秘密は「黒鳥の意図はなんぞや」ということになる。

WILD GOOSE LAKE の黒鳥の片手アン・オー。「瀕死の白鳥」。片羽で飛び立とうとするかのようなポーズ。
ー------------------ー
この物語の秘密に迫るに当たって考えたのが、
「鵞鳥湖の夜」は、2019年の長編ネオンノワール「TOO OLD TO DIE YOUNG」の構成と同じく、男性性/女性性の比率が前半と後半で入れ替わる構成なのではなかろうか?ということである。
つまり、主人公が男性(チョウ)から女性(黒鳥たるアイアイ)にスイッチしたのではないか。分岐点もあるのではないか?ということである。

私が分岐点だと見たのは、高評価の2回目の船上シーンでなはなく、1回目の船上シーンである「仲間の水浴嬢のロングヘアのかつらをアイアイが脱がす場面」だ。

カツラをひっぺがされた仲間の水浴嬢は後ろ頭が映るのだが、刃物で斬り付けられた跡が、髪の毛を刈られた坊主頭に見て取れる。
客との刃傷沙汰があって、見せしめとして坊主にされたのだろう。
この場面は、
アイアイが元締めのホアと出来ているとからかわれ、ムッとしてからかった水浴嬢のカツラをひっぺがし、坊主頭を剥き出しにされた水浴嬢に「500元返しなよ!」と迫り、
(500元にこの執着。当時の南方の30万元の高額さが分かりますね)
元締めのホアが別の水浴嬢に客との関係を注意してアイアイに助け舟を出す、という流れだ。

問題が次次に移っていくのでカツラをひっぺがされた坊主の水浴嬢とて特に悲惨には見えないのだが、からかう側も、からかわれる側も坊主頭の女性。異様である。
懲罰坊主は、水浴嬢の世界では日常茶飯事でカジュアルなことなのだと知り、ゾッとする。
あれは、ワザと仕込まれている暴力表現だ。

日常化された暴力は、それに相対しているウチワの人にとってはふつうの事でも、外部から見たらまごうことなき暴力なのである。
すごく違和感を覚えて記憶に残った。

そして水浴嬢の坊主頭は、日本のアイドルが自ら坊主になった事件を思い出させた。
つい最近YouTubeで、髪を切った時点ではカジュアルに反省の表現として坊主にしたことがアイドル本人から告白されたが、
「女性を懲罰坊主にすること」は、現代にも、日本にもあり我々はもう明確に、この種の暴力とそれを日常化している人間を目の当たりにしているのである。古の囚人でなくとも。
(飛躍すると、
彼女にとって懲罰坊主は、見たことのある、カジュアルな反省行動だったのではないか)

「鵞鳥湖の夜」は totdyと同じく、男性性/女性性の比率が前半後半で入れ替わる物語なのであろう。
主人公が女性にスイッチする地点に、
「カジュアルな懲罰坊主を目撃すること」
「日常化された暴力を外部から俯瞰で見ること」
が、象徴的に置かれている。

映画を見る者どもは、水浴嬢たちに感情移入することなく、遠くから見ることで分岐点を乗り越えさせられ、切れ目なく元締めのホア(男性)のアップへと収斂する。
このような女性性への分岐点の乗り越え方は、
激しい暴力の場面なのに見る者の感情を揺さぶらず、非常に低温で圧が少ない形にやわらげているが、批判も込めているのだろう。
「あなた方は傍観することで懲罰に参加している」と。
良く出来ている。

それにしても、
上映時間は2時間を切る111分(ゾロ目は意図的だろうか?)。totdy 13時間。
よくぞ納め切ったものだわ。良く出来ている。

#movie #感想
#鵞鳥湖の夜 #totdy

追記1:
アイアイさんはモミアゲのあるベリーショートでしたが、あれでモミアゲが無かったら。
武漢の女性医療関係者の皆さんが、コロナ対策ですぐに髪を切り落としてモミアゲの無いツーブロックにし、坊主にした方まで居たことを思い出さずにはいられません。

追記2:
妻と水浴嬢は、脇役とファムファタールというよりは2人セットで白鳥と黒鳥なんじゃなかろうか、という感じが強くなってまいりました。
現在、日本の人が映画のインプレッションでよく使いがちな「シスターフッド」という言葉とは別物の、もっと現実的な協定ではないかと思う。だから教条的になり過ぎず、後味が良い。
死を美化する方向や恨み節に行かず、居場所に拘らずにあっさりと急激に前を向けるふっ切りの良さが、フランスやハリウッドの、また日本のフィルムノワールには無い、イーナン監督の切れ味なのでしょう。

でも、いくら死を美化しないとはいえ、バディスチュータのユニフォームで無様に死ぬ運命はちょっと嫌だわぁ。微笑。
(落ち着きのある人物という演技に徹してきた胡歌さんの積み上げが、ここで効いてくるといういうね。すごいね)

いいなと思ったら応援しよう!