#totdy 画面の複雑化、スクロール
「"Too Old To Die Young"は、
あなたの携帯電話、コンピュータ、タブレット、
テレビなどでストリーミング配信
するためのものです」~マイルズ・テラー
スクロールに感情を見出す
TOO OLD TO DIE YOUNG (以下 TOTDY)というタイトルにある「若死にするには遅過ぎる」のは誰なのか。もちろん、主人公のマーティン・ジョーンズ氏(マイルズ・テラー)=30歳、である。
エルヴィス・プレスリーに似た、我々観客が目を託す乗り物である。
TOTDY は、13時間のストリーミング映画だ。
レフン監督がストリーミングでの映画公開方法として提示したのは、
・シリーズ1であり
・全話一挙解放
・集約インサートを省き、1話1話がすぐに始まる途切れなさ
・献辞はなし
ということである。さらに、#byNWR のマスターピースでもある。
わたくし実感で、スカパートで音楽を聞く人の様子には、明確に「ブロンソン」要素が更新されて入っており、プッシャーからネオンデーモンまでの良い所だけを惜しみなく出す総力戦の様相である。
皆さんが知っている「drive」で言うと、ショットガンシーンがep7に、ハンマーシーンがep10に散りばめられている。ep10は全く「ドライヴ」と同じと言って良いぐらいの展開である。
後半、女教皇が、円陣のように見守る"足を組む女性たち"を背負ってのアクションは、倒した敵の眉間を撃ち抜く所までdriveと同じである。
神のゆるぎない裁き行う人々
なぜフェルメールが?!な、こだわりの構図
フェルメールを喚起する画面。暖かな黄色い世界でありながら沈痛
画面作りも、更に一段、見え方をコントロールして、構図や色調に絵画との同調を図っていると思われる個所がある。
分かるだけでも、フェルメール、ベラスケス、ソールライター(out of focus)がある。ep3の朝のダイナーシーンは、猛烈にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を感じる仕上がりである。暖色の安心感とマーティン氏の独白の内容が猛烈に引き裂かれており、暖かな黄色い世界でありながら沈痛という、現代的なアンビバレントが画面にとどめられている。
色調は、従来の赤/青のネオン色に加えて、黄色が強い。オレンジ×ブルー、クリーム色×紺といったフランシス・ベーコン風の色味も繰り返し出てきて気が散るのである。スペイン語パートはもちろん赤土色が強く、レストランパートは緑色でまとめられている。
緑色でまとめられたらレストランシーン
と、ここまでは #byNWR 仕事の延長線上なのだが、前作の「NEON DEMON」で披露した、メスメライズド演出、およびスクロール演出のアップデート版がとにかく新しい。
NEONDEMONのスクロール演出が進化
人物の進行方向が左右である「スクロール演出」が、ジェナ・マローンのプールシーンに出て来る。
プールサイドを歩くジェナ・マローンにわたくしが感じるのは、
彼女の歩きが左右で違う印象を受ける、ということ。ゲームの前進に近く、時間が伴っているということ。右スクロールは前進、左スクロールは時間が止まる様な感じがする。
「一度でもゲームをやった事がある人間が、画面がスクロールすることから受ける感興がこんなにあるとは!」と、感動した。
しかも、左スクロールについては、その後の行動が「殺す」などであり、悪いことを起こすように作っている。ように思われる。Jホラー表現の反復による恐怖の予測を使った効果も使われている。極めてセリフはすくないのに、予見によって恐怖を感じさせるところが素晴らしい。
「NEON DEMON」で、主人公がファションモデルなのにランウェイを歩く姿を見せない、映画なのに運動が無いなど散々にブーイングを受けた足をトリミングした画面は、現在から見るとスクロール演出であったのだ。
スクロール演出の概念図(わたしから見た概念図)
ネオンデーモンの大不評シーンが生まれ変わった
メスメライズド画面も進化
もうひとつ痺れる画面が、進化したメスメライズド画面である。
ピントを合わせずに光源を中間色かのように入れ込むout of focus画面はep5で盛り盛りに盛り込まれるのだが、観察者が隠れている感じと、哀れな感じをもたらしている。
他にはないというか、ふつうは前面には押し出さない効果(リン・ラムジーさんが若干やっていたかなあ)を前面に押し出すことで、
主人公と視聴者が観察しているのだということに意識が行くように設計されている。
効果というよりはメッセージの如くout of focus をやっていることが楽しい。
(「観察」については渡部氏のコラムを読むべし)
煌めき、もう一段飛躍するとネオンに感情を見出し、更に煌めきにフォーカスしないことで観察、隠れる、などの乾いた情緒を盛り込んだのはとても素晴らしい。雨、夜に次ぐ発明と言ってもいいのではなかろうか。
out of forcus 丸くぼやける光源は、まるでヒトダマ(魂)のよう
と、かなりいろいろな事を詰め込んでいるけれども、"携帯電話で視聴するのに適した程度"というボーダーラインを自ら設けて視聴できないような画面の作り込みはしないように抑えている、ということが驚きなのである。
「drive」はエドワード・ホッパー的な美術が美しいことと、見る画面が小さくても十分訴求することを両立している。
(マンションから公園を散歩する親子を見るところだけはTVでは分かりづらい)
その後は美術の力に磨きをかけており、「Only God Forgives」の圧縮陳列提灯や壁美術、「NEON DEMON」のオープニング&エンディングのメスメライズド演出などは、スクリーンでないと見る幸せが伝わりづらい域にまで達した。
ところが、TOTDYのメスメライズド演出は、携帯電話の画面で十分伝わるのである。レフン監督が、画面の解像度をどこをどの程度下げて臨んでいるのかは、今後ストリーミング映画に挑むクリエーターには知りたい所なのではないかと思う。
(映画は作りませんが、私も知りたい)
レフンの鏡
「鏡に映し出される像は、人工的なもので、“死んだイメージ”です。この映画(NEON DEMON)の登場人物が求めているものは、決して手が届かないもので、それは“死んだ状態”と呼んでもいいでしょう」〜レフン監督
TOTDYは、マーティンを主人公として3組のカップル、都合6人の群像劇になっている。
1)
マーティン
ジェイニー (母親が自殺)
2)
ヘスス (母親が銃殺)
ヤリッツァ
3)
ヴィゴ (母親が老衰死)
ダイアナ
「ep0」という考えを私は持っていて、ヘススとジェイニーの母親が2人、死ぬところからこの物語はスタートしたのではないかと思っている。
その、ヘススの死んだ母親が登場するのが三面鏡である。母親本人は後ろ向きで、鏡に映った3つの顔として、顔を見せる。
母 マグダレーナ
子 ヘスス
人工的な美を扱った前作(NEON DEMON)では、鏡に映るのは「死んだイメージ」だとしていたが、今作ではまさしく死んだ人が鏡の中に現れた。
TOTDYは、時間の前後や過去の思い出のシーンが途中に入ることは無いが、現在進行形の夢として鏡に死んだ人が顔を見せる、という面白い形で過去を描いている。
もうひとつ、ep9のレストランシーンでも鏡が印象的に使われている。Rのかかったボックスシートの中でダイアナが座る位置が左右に動くのは、
シートの左側に座っているように見える時は現世、右側に座っているように見える時は鏡の絵なのではなかろうか(つまり鏡の中の死者と対峙している)。
「レフンの鏡」シーンは、時制を過去に振らずに、前に進みながら過去の振り返りをできるシーンとして、今回更新された。