#totdy タロット フレーム
#TooOldToDieYoung のタロットカードの側面を考えてみます。
視聴者のものになる領域を広く取っている
物語を、筋(ストーリー)/画面/構成(フレーム)に仮に別けると、私の考えではタロットカードはフレームに当たります。
#TOTDY は、10話構成の各話にタロットカードが選定されており、おそらく1~10話をカードとしても読み取れるようにしています。
またすでに説明されている通り、1~10話へと話が進むに連れてストーリーに対する性別の濃度、男女比が、1話=男性から、10話=女性に移行する構成となっています。
(女性濃度が濃くなる分岐点が5話目のフィルムノワールをなぞる探偵もの仕立てであるのは唸ります。まさか、レフン監督が、フィルムノワール仕立てという鉄板の物語推進力をここまで覆す人であったとは!)
TOTDYは、物語のフレームを強くするべくタロットカードを使って視聴者の読み取りを視覚や言語以上のところに飛躍させたり、「 #totdy 構造 」で述べたようにスクロールすることで時間を止めるといった画面の複雑化をしており、シリーズを見た後に視聴者のものになる領域を広く取っています。
一方で、ストーリーそのものはまっすぐ前に進んでいくだけであり、越し方行末が明確です。ヤリッツァを除けばシンプルな因果応報譚といってもいいかも知れません。複雑な仕立てに対して、ストーリーは特にシンプルにしてあるのであり、時代を経ても視聴に耐え抜く強さを選んだような気さえします。
選定されているカードと、ストーリーの対比
以下の1から10が、各話に選定されているタロットカードです。
横に書いたのは、タロットカードのメタファーに迫るべく、セリフ等実際に画面に出たものから私が辻占的に初見時に直感で拾った、各話を象徴すると見做した言葉の対比となっております。
1)悪魔 自業自得
2)恋人 悲しみが和らぐ
3)隠者 時間、必要なプロセス
4)塔 STABBED、頂点に立てる
5)愚者 英雄、アメ車
6)女教皇 過去
7) 魔術師 殺人
8)吊るされた男 fascism/godism
9)女帝 生み直し、再会
10)世界 共生
タロットカードというものは、読み取りに当たって対になっているカードがあるそうで、
ホドロフスキー翁の著書「タロットの宇宙」の目次に掲載されているタロットにおけるカップルは次の通りです。
愚者 ― 世界
大道芸人 ― 力
女教皇 ― 教皇
女帝 ― 皇帝
戦車 ― 星
正義 ― 隠者
月 ― 太陽
このカップルの中で #totdy に出て来るのは、
愚者(5話) ― 世界(10話)
のひと番です。また、女教皇、女帝、隠者、が単独で出てきます。
ホドロフスキー翁はタロットカードについて「カップル」という言葉を使うんだなあ、と少し面白かったのですが、「カップル」と言えば「登場人物の役としてのカップル」もあります。 #totdy の公式ポスターに描かれている人物は6人であり、3組の番となっています。
この3組6人を、人を指すカードで拾い直してみるとこうなります。
1M)吊るされた男=マーティン・ジョーンズ [偽王]
1F)恋人=ジェイニー
2M)?=ヘスス [王]
2F)女教皇=ヤリッツァ
3M)隠者=ヴィゴ
3F)魔術師=ダイアナ
当て嵌めてみると、人っぽいカードの余りが2枚あることに気が付きます。「愚者」と「女帝」のカードです。
「愚者」については、選定されている第5話の愚かしさを直截に言っている、で或いは良いように思います。
もう1枚の「女帝」については、誰を指しているのかを次のように踏みました。
0F)女帝=予め亡くなっている母親達
カードリーディング
以上の前置きを以て、#totdy がフレームの読み解きに託しているものを考えてみたいと思います。
まずは、私が重要だと踏んだ「予め亡くなっている母親(または母親達)」についてです。
3組6人のカップルは、1組目のジェイニー、2組目のヘススがトラウマを抱える形で母親を失っており、3組目のヴィゴも病身を抱えながら生き続ける理由であった母親の死をストーリー上で迎えます。
この、「女帝」カードに表される劇的でありテンプレ的である母親達(母親達の死)は、どうして置かれているのでしょうか。これは、タロットの絵の成り立ち、とりわけカモワン・ホドロフスキー版のマルセイユタロットの成り立ちに繋がっていくのだろうと思います。深淵。
女帝カードを考えていくために必要な、息子のヘススに選定されているカードがいまいち断定できませんが、ヘススは何者なのでしょうか。
#totdy で最終話まで生き残るヘススの物語のルートは、「偽王殺し」を含む『王の再生ルート』です。
その上、王となる物語の前に「死ぬことで豊穣を授ける母親神の話」が配置されています。ヘススは母の死により一度恵みを失い、疑似的に母と交わること
(この辺は、OnlyGodForgives のお母さんをも連想します)
で豊穣神の恵みを復活させ、新しい一族の祖となります。この「産まれ直し・始祖ルート」は、「アジア各地に広がり、ユーラシア全域にもあったと見られる母子神の話」が下敷きとなっています。
もし、母子神の話を下敷きにする意図が無いとしても、そのように見えます。
予め死んでいる母、とは聖書よりも古い豊穣神のナラティブの類型であるという話から、『王の再生ルート』に話を戻すと、ヘススには母の恵みの復活のほかに「偽王殺し」の宿命が宛がわれています。このためヘススには、マーティン・ジョーンズの「吊るされた男」カードと番になるカードが選定されていると思われます。
マーティンがヘススの母親を殺した復讐、という正当性はストーリーに書かれていますが、皮をむいて吊るす必要はないはずです。しかしマーティンは、射殺ではなく鞭打たれて皮を剥かれ、吊るされます。
敵の皮を剥いて吊るす話で有名なのが、ギリシャ神話のアポロンの竪琴の話です。「アポロンの竪琴がマルシュアスの笛に勝った」楽器の上手を比べるギリシア神話には、第一には、負けた半獣神マルシュアスが、アナトリア中西部のプリュギアのカレーネーの洞窟で生きたまま皮剥ぎの目に遭い、その血はマルシュアース川となり新しい命を育んだ、という話があります。
第二には、この凄惨で血みどろな神話が敢えて書かれた隠された意味があり、それは「ギリシャ人による周辺民族の制圧と、土地と信仰の力関係の書き換え」だそうです。
アメリカはロサンジェルスの神話を描いているTOTDYで、ヘススはメキシコの血を持つ周辺の民族であり、ヘススが米国人のマーティン(古き良きウエスタンの主役的な価値観を持つ人物)を吊るすことは、このアポロンの神話とは逆打ちに成ります。
曰く、『周辺民族がアメリカを制圧し、土地と信仰の力関係を書き換えた』と。
ヘススルートが内包する「吊るす」「王殺し」の2点のうち、「吊るされた神」のことは以上のように想像しました。さて次に、「王殺し」はどうでしょう。
金枝伝説を引くと、宗教的権威を持つ王が弱体化すればそれを殺し新たな王を戴く『王殺し』の風習が、聖なるオークを司る司祭にもあるそうです。司祭が交代する際には必ず前職の司祭を殺し、新しい司祭・森の王に成るそうです。聖なるオークの司祭・森の王を代替わりをさせ若返らせることでオークの生命を寿ぐためには、金枝を折りオークの宿木を再生することと、森の王殺しという「2つの条件を満たさなければならない」(金枝篇)と言われます。
ヘススのストーリー上の行動を、金枝篇・アナトリア・フレームから捉え直すと、ヘススが新しい一族の始祖となるには、「豊穣神の蘇り(「死」と再生)」と「王殺し」の2つの死が必須条件となります。
米国の周辺民族のヘススは、豊穣神たる「死」した母の恵みを復活させて、弱体化した米国の王を吊るして2つの「死」を達成し、アメリカの土地と信仰の力を書き換えた、のでしょう。
マーティンは女帝を殺して偽王になったので、吊るされて剥かれなければならない運命を自ら招いた、といえましょう。
さらに自由に想像するならば、ヘススにはタロットカードの絵のように、
『ギリシャ神話よりもさらに古代、
無理矢理見通すならば女神の生まれ故郷であり書き換えられた周辺であるアジア
に、元ネタが見えるナラティブ』
が凝縮しています。
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金枝篇映画と言えば「地獄の黙示録」ですが、
金枝伝説の肝要が『必須条件が2つあること』
だと見ると、「地獄の…」はワルキューレに
乗って森を焼く者と、王殺しをする者が違うので
森が再生しない。次の王になることができない。
とも言えるな、と思いました。 閑話休題
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メキシコからのカップルは北米大陸の"土地と信仰の力関係の書き換え"というマジックを行い、視聴者はこのマジックを見ることで自らの意識を書き換えられます。TooOldToDieYoung には、そのような意識の変革という願い、マジックが込められています。
レフン監督は、本作の撮影時にこれ見よがしに「make TV great again」と書いた帽子をかぶっていましたが、テレビ番組の変革ということだけでなく、「メイク ラテンを含むアメリカ グレート アゲイン 」を目指していたのではないでしょうか。
マジックによる人の意識の変革にも本気で踏み込んでいたのです。こういう「本気度」が、レフン監督を信頼する所以です。
ザ・ドライヴァーの変奏、死の女教皇
さて、
もうひとりの南米人であるヤリッツァの「死の女教皇ルート」を見てみましょう。TOTDYは男女比が入れ替わる物語であり、男女比については前半の主人公はマーティン、後半の主人公はヤリッツァとなります。
「死の女教皇ルート」は、巌窟のマリアより生まれた無原罪のヤリッツァが、"生命の樹"ジャンパーを得てリアルヒーロー(♪ A Real Hero -College & Electric Youth)となり、メキシコ麻薬ビジネスのファミリーの次の王と結婚して、信仰と土地の力が再生されるべきアメリカに乗り込む、という流れです。
その歩みでは「女性の豊穣」と「女性の性搾取からの解放」が描かれています(麻薬売買は良くて人身売買はダメということは無いような気もしますが)。
と同時に、ヤリッツァルートではタロットの意匠の読み解き直しや、ルーツが表現されているのではないかと思います。
それというのが、タイトルに掲げた「ヤリッツァと足を組む売春婦の絵」です。足を組んだ彼女らは、脚の美しさを誇り見せつけるというよりは、かしづいている、または疲労し諦めているように見えます。
かしづいているという側面を拾うと、足を組んで控える人物のイメージには「ドライヴのハンマーシーン」よりも前に「ミトラス神の脇侍」があります。ミトラス神が牡牛を屠る後ろに控えて松明を持ち、松明の炎の向きの上下で太陽の運行をあらわすそうです。
ミトラス教は、紀元5世紀頃に地中海エリアで流行った宗教ですが、元ネタは古代インドのミスラ神や、ゾロアスター教のミトラ神でありながら、アジアからローマに伝播する過程で多くのものがこぼれ落ちた神様だと思うのです。
タロットカードの寓意画は、(エジプトは置くとして)紀元前のプリミティヴな信仰そのものというよりは、ローマまで伝わり色々な物が零れ落ちた神様に纏わる何かを伝えているのじゃなかろうかと思います。
しかしレフン監督は、更にルーツに遡って、ミトラ神(弥勒菩薩)の同盟して戦う神様としての性質を、脇侍と共に示したのではないでしょうか。
「女教皇」は「修道女」だとホドロフスキー翁は来日時に言ったそうです。修道女の読み解きとなると、まあ普通に考えれば処女ということですが、
修道(教育)を受けた知的な人物とも言えましょう。
女教皇=知的な女性であるヤリッツァは、「ドライヴ」のザ・ドライヴァーと同様にジャンパーを得ているので不死身です。
そして、女性を不当に苦しめる不届き者に死をもって報いながら、険しい道のりをすり足で歩いて行きます。
(カミサマはすり足で歩く)
知的な女性がメリケンサックで殴りまくる、ということはあるのです。
メリケンサックで殴りまくる、というのは、ドラマのエンディング曲であるジューダスプリーストの「Rocka Rolla」の歌詞のことですが、「女教皇」を音楽で表し「ロックな女」に接続したのは、レフン監督ならではの話術です。
この、音楽に話りを任せている部分を、見る者が受け取ることが求められています。
タロットカードを考えてきてTOTDYが立体的に明らかになったのかというとそうではなく、
やはりどうしても、レフン監督作品は音楽面を見る必要があります。
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