『スター』 朝井リョウ
『スター』
朝井リョウ 2020年 朝日新聞出版
「プロとアマチュアの境界線なき今、作品の質や価値は何をもって測られるのか。」
彼がそのまま小説家人生に感じていることなんだろう、と読みながらずっと。
著者は、読者の意見が二転三転する構成を目指したと語る。私のなかで感想が湧きすぎて、まとまらないことに合点。
妥協点の探り合いじゃなくて、質の高いものを追い続けることを許されるのは特別な人間。
「神は細部に宿る」と信じて突き詰めても、それだけでは立っていられない世界。
わたしは信じた道をいくなら盲目で潔癖であるぐらいがちょうどいいと思う。
だが、そう言いきれたならどれほど楽か。そういうことだろう。
贅沢な時間。立場とか責任とか生活とか脱ぎ捨てて、こちら側が自分ひとりでいい時間。
ある人にとって、それは過ぎてしまった時間で。
差し出すとき、想定しない誰に届いても嘘がないことを。
あ、それだ、と私も思う。
少なくともここにしたためてきた中にひとつの取り繕いもない。ずっと心から大切にしたい価値観ばかり落とし込んでいる。
人とつかず離れず生きるとき、嘘のない世界にはいられない。いつでもそうあれたなら、と建前を夢に浸す。自ら耽溺していくに近い。潔癖症は大変である。
移り変わる世界で変わったり変わらなかったりする人の思いを連関させること、が著者の作風を物語る気がする。特に本作は分かりやすい。
思考は巡って戻って絡んでたまに飛んで、たどった道は見えないけれど「あ、繋がった」と直感したり、その一瞬あとに手と手が離れて触れなくなったり。
それは自分のなかで、は自明の理。他人との間で、もしかり。
ならば「連関させる」は誤りか。
彼は縦横無尽に連関していく思考を、誰でも辿れるよう整えることが上手だ。思いの交換をありのまま丹念に描く写実派の画家のようで、思考の道筋を整備する建設業者のようではないか。
小説家は物語から浮かんで執筆している瞬間ですら、自我をいったん置いておくのだ。
二重のなりきりは、なればこそ小説家を強く定義づけている気がする。
向き合いたい言葉が沢山あふれていた。
ひとまず、「誰かの言葉ではなくてその言葉から始まる自分の世界を大切に。」
ある人のこれを抱いて、しばらく生きようと思う。