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『海がきこえる』 スタジオジブリ
『海がきこえる The Ocean Waves』
スタジオジブリ 1993年
せわしない3月に舞い込んだ劇場上映のお知らせに心がほぐれた。
平熱感覚を縦糸に、東京と高知を行き来して若人の刹那を紡いだジブリ作品。
揺らぎ。狭間。ひと昔前のすぐそこに、10代後半という時間が融けだす。
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「あ、いまジブリを浴びてる」と思う瞬間の詰め合わせだった。
風に顔背ける吉祥寺駅のホーム、スプライトを煽る真夏の屋上、隣のテニスコートを駆け回る女子に視線注ぐ体育。
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大胆と繊細が交感する描写は、私たちを作品が持つ空気感に引き込む。というよりゆっくり落とし込まれるという方が近いのか。ジブリが共有してくれる唯一無二の感覚。
一方で、まっすぐでフラットな拓の語り口や気分屋な里伽子の言動に新しい風を感じた。
里伽子はヒロインとして魅力的かというと、意見は割れるのではないだろうか。
まっすぐ媚びない態度で、寂しさゆえに多少周りを振り回しつつ自分の足で立とうとする。事実、同性に好かれない描写だったが、10代後半の人間味という光がさんざめく彼女、教室の中に姿を探したくなるのは私だけではないだろう。
平熱感覚について考えてみる。
だれかと笑い合い、平和そのもののように時間をなぞっていても、ふと蔭りを持ち日常の狭間に身を置くひとときがある。感傷は私をかたちづくる紛れもない思いだ。
人が見せないそういう瞬間を想像できるか否かで、世の中の見え方は変わる。
感覚の大小は人それぞれゆえ、同じ郷愁を持ち合わせていないなあと思う人も周囲にいる。だからどう、という話ではない。ただ自分のすべてを見せるのは難しいと思うなら、他人のすべてを見ている気にならないことだ。余白が色を付ける人生を歩む人もいるのだ。
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高校生の溌剌な青さゆえか、登場人物たちは決して平熱を保っていない。どちらかというと熱する瞬間が多いように思う。
それでも私たちが『海がきこえる』の熱を測り、平熱と記録したくなるのは、彼らが余白を持つからだろう。
日本人の血脈にジブリという養分が流れ続ければいいな、と思います。大好き。