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エッセイ 「夏の寄る辺」

アウトプットの練習不足だしエッセイ書くぞ、の気持ち!どうぞお手柔らかに。

仕事終わりの無防備な心で見上げる空、朝一番窓を開けたら髪をさらう風、洗濯物の香りに透けるお天道様。
外を歩くだけで今日も1日頑張るかあと思う夏のお話。

昔から理由もなく夏が好きだったと思う。しっかりこの季節が好きだと思ったのは中学生くらいだろうか。
夏は一年に一度じゃないの、一生に一度。6月の薄暮に耽溺するとき、二度とないと毎度思う。

小学生の夏休み。それは慣れない早起きとともに始まる。腕を大きく振り上げイチ、ニ、サン、シをやるのはもっぱら町会のおじさんたち。私たちと言えば終わってからが本番で、ついでの鬼ごっこに全力を注ぐ。帰りついてワレワレハチキュウジンダー、扇風機の前にて。汗の残り香とともに一息つく頃、ようやく街が動き出す気配が濃くなる。そうだ、ラジオ体操行ってきたんだっけ。朝が長く感じられたものだ。

プールのあとの現代文。髪の濡れた女の子と、ほぼ乾きつつある男の子。森鴎外の静かな文体が教室に散っていく。頭が落ちるのが早いのはサッカー部。すまし顔の私も例外ではない。
塩素の匂いが漂っていてほしいな。さすがに記憶を飾りすぎか。

朝。目を開く前に分かる。すでに外は白い光を湛え、それをこぼれ落とすまいとカーテンが膨らんでいる。布団のなかでもぞもぞ、久石譲のSummerに心を傾け、余韻を楽しむ。この世界に私と鳩しかいないような時間。沈み込む意識を叩き直し、一息に布団を跳ねのける。

こうして思い出を綴ると、あの頃はやっつけ仕事だった絵日記が一瞬のうちに埋まる予感がした。でも、はじめればきっと三日坊主。それもまた風物詩なり。

しかし本当に楽しいのは、初夏だったりするんだな。これから夏が来るという期待がいつも心に棲み、日増しに伸びる夕暮れの時間を謳歌する。最近は気候が暖かいから、4月後半くらいから夏のピアノ曲メドレーを流しては、季節が巡り来たる予感に心が軽くなる。
梅雨さえも夏への気持ちを助長して。青空映す水たまりをスキップで跳び越える。それは嘘にしても、梅に雨と書くこと、雨の季節に夏至が来ること、薄明るい室内で雨をBGMに本のページを繰ること。私はそういう情緒に生かされてきた。

夏は思い出の彩度を高くする。無限の夢が匂い立つ。
四季のある国に生まれたからには、ほかの季節もそれぞれに愛している。それでも、茫漠たる真っ白なキャンバスが眼前に広がるあの感覚。暑気があるからこその没入感。何ものとも代え難い。

貴方のひと夏が良きものとなりますよう。

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