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3拠点生活を通して、身近な人に感謝を伝えたくなった
私は、平日の8時半〜16時半までは事務仕事。
土日祝で副業のWebライターの仕事とフリーランスカメラマンの仕事をしている。
平日の仕事が2024年12月28日〜2025年1月5日までという長い年末年始休暇に入った。旅行に行く予定も立てられず、ライターと写真編集という仕事が溜まりに溜まっていたため「グットニートハウス」という不思議な名前のシェアハウスで期間限定の住人になることにした。
この9連休で感じたことを言語化したくなり、この「note」に自然と思いを書き記していた。
『自由』になった。
私は約2年前の2022年9月に五島にUターンして、もうすぐ3年目を迎えようとしている。
実家は、私や弟が家を出るタイミングで建て直しをされており、個室が無く、6畳のキッチンと6畳のリビング1Kの作りとなっていた。
そこに、私と弟が帰ってきたことにより、祖父、祖母、母、私、弟の5人が住むこととなった。
5人の荷物が全て詰め込まれて、実質、動ける可動範囲は3畳ほど。
トイレやお風呂を利用する時、すれ違うときは必ず接触する。寝るときは、リビングの狭い空間に机を挟んで川の字で寝ていた。
私は、プライベート空間が全く無く、自分のペースで動けない実家にストレスを感じていた。
年末年始くらいは家族から離れたい一心で、グットニートハウスの年末年始住人になる事を決意。
飲み会やイベントがある度に、グットニートハウスを利用させて頂いていた為、すんなりと住人になる事が出来た。
(12月28日)
地元のお祭り「富江町漁民祭」へ。
(12月29日〜12月30日)
実家からグットニートハウスへ荷物のお引っ越し作業等。
(12月31日〜1月1日)
実家の年越し蕎麦を食べる→グットニートハウスに帰って2次会→集まった皆で除夜の鐘をつきにお寺参り→初日の出を見に行く→初詣イベントの撮影(お仕事案件)→お友達のお店のプレオープンお祝いへ。
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分単位で動き回り、忙しなく年越しが終わっていった。
気づいたら、常にカメラを持ち歩き、常に走り回って、シャッターを切っていた。
いつ、どこで、誰と、何をしているのかなど誰にも干渉されず、自分のやりたいことを自由に選択し、自由に動き回った。
自室が確保されることにより、趣味でもあり、仕事でもあるカメラの仕事を遊びと遊びの隙間時間で、誰にも邪魔されることなく行う事が出来る事に幸せを感じた。
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(1月2日)
自分のやりたい時間やタイミングで、自分の好きなコト、モノが出来る事に幸せを感じ、2025年は自分の好きなことをもっと追求して、それを大好きな写真で表現していきたいと思い、書初めに『自由』と記した。
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2拠点生活で気づいた事。
前段で、実家に対するストレスを沢山書いてしまったが、同時に親や家族に対して「感謝の気持ち」も芽生えた。
グットニートハウスでは、ご飯の食べるタイミングとかも全て自由なため、ご飯は基本的に自炊だ。(ご飯のタイミングが同じになれば、おこぼれを頂くこともある。)
仕事から実家に帰ると、温かいご飯を食べるだけの状態で既に用意されていたが、それが当たり前ではない事に気付かされた。
また、高齢の祖父母に合わせた時間で動いているため、朝ごはんは7時、昼ごはんは12時、夜ご飯は17時半、お風呂は19時〜21時、就寝が22時〜24時だ。
グットニートハウスは若者が多いため、実家よりも2時間ほど生活リズムに時差があった。家族に口うるさく言われてきた、靴並べや、米とぎ、お皿洗い、お風呂の準備をグットニートハウスでは、何も言われず、自然と実行していた。
当たり前だと思うことを、当たり前のようにしただけなのに、オーナーをはじめとする住人の皆に感謝されるようになったのだ。
美味しいご飯を毎食用意してくれていた母親、口うるさく「家事をしろ」と言ってきた家族に感謝を伝えたい。
2拠点生活から3拠点生活へ。
(1月3日)
朝起きたら喉に違和感を覚え、身体がゾクゾクとして悪寒を感じた。
そんな時、12月31日〜1月1日にかけて年越しを一緒に過ごした友人Tから、流行り病にかかったと連絡があった。友人Tによると、2日の夜から症状が出たという。
これは、「私もではないか!?」と思い、急遽、母親と住人さん達に相談。農機具や米の保管時に寝泊まりだけをするための小屋に隔離される事となり、3拠点生活になった。
血縁のある第1の『家族』が、寝床を用意してくれたり、温かくて栄養のある食べ物を運んでくれた。
家族のように受け入れてくれる第2の家族『グットニートハウスの住人の皆』が体温計を用意してくれたり、車の手配をしてくれた。
グットニートハウスで出会った大好きな『お友達』が「必要なものとかあったら届けるから何でも言ってね」って心配して連絡をくれた。
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1人、部屋に隔離されて、沢山の人に支えられて、私の事を心の底から心配してくれる家族や友人がいる事に愛情を感じ、幸せすぎて涙が止まらなくなった。
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言うまでもなく、
1月3日〜5日は療養期間であっという間に9連休が終わった。(なんなら、冬休み伸びた😶)
新年がどんな年になるかは、年始めの過ごし方で決まるとよく言われている。
2025年は、忙しくも、休養を取りつつ、
きっと愛が溢れる1年になるだろう。
また、当たり前の事を当たり前だと思わず、身近な人に感謝を伝える1年にしていきたい。