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『どうすればよかったか?』藤野知明
「どうすればよかったか?」をやっと見てきた。以下ネタバレを含みますのでご注意ください。
この映画を知ったきっかけは瀬尾夏美さんのコメントだった。以下にそのコメントを引用する。
姉、弟、父、母。
一緒に暮らしているがゆえに、どうしようもなく孤立していく人たち。
聞こえてる? 聞こえてるよね。
25年間にも及ぶ、すれ違う会話の集積が問いかける。
では、家の中に閉じ込められた困難に、社会は、他者は、何ができるのか。
どうすればよかったか。――わたしたちはこの映画から、対話を始めたい。
孤立、すれ違う会話、困難、そして対話という言葉に興味を惹かれた。また私自身統合失調症および統合失調症患者との関わりが全くないため統合失調症とは何かを知りたいという興味もあった。
映画を観終わった今、まず思うのはお姉さんは幸せだったのかな?ということだ。最後のシーンでお父さんは彼女を病院へ連れて行かず何十年も家に閉じ込めていたことを失敗ではなかったと語っていた。対照的に弟である監督はお父さんに対してどうすれば良かったと思う?と尋ねていることからおそらく姉のためになるより良い手段(早くに病院に連れて行くということ)に出ればよかったと悔いているのだろうと感じた。お姉さん自身が幸せと感じていたかどうかは今となっては分からないことであるし、他者である私には計り知れない。それでもお姉さんはあの状況を、あの症状をどう感じていたのだろうと考えてしまう。
また映画の中で特徴的だったのは弟と姉との対話と、父や母と姉との対話の対比だ。弟の使う言葉は「お姉ちゃんの話し相手になってあげる」「子どものころは良く面倒を見てくれたよね」「聞きたいことはある?」など姉のことを慮っているように感じた。それは態度にも表れていてお姉さんが返事をしなくても待っていることだったり、お姉さんのことを決めつける言い方をしないことが印象的だった。それに対してお父さんの使う言葉には「バカ」や「嘘」など相手を信頼していないと思われるようなものがあった。お母さんの態度は弟が姉に対して投げかけている質問に答えたり、年齢を聞いてそろそろ結婚しないとねのような発言があり同様に相手を信頼していないのだろうなと感じた。お父さんとお母さんの態度は独善的に見えてしんどかった。
退院後のお姉さんの表情や言葉の受けごたえの変化は明らかで私は「きっと入院前はしんどかったんだろうな、早く入院出来ていたらよかったんだろうな」と思わずにはいれらなかった。カメラで写真を撮るシーン、パワーストーンを買うシーン、同窓会に行く返事をFAXで送るシーンなどお姉さんの意思が垣間見えるシーンに安心した。
また最後にいわゆる感動ポルノとして消費したくないという葛藤があることについて書く。お姉さんの苦しみそしてご家族の苦しみは計り知れないものであり、それらを作品として消費するのは申し訳ないと思ってしまう。でもこの作品を知らなければ彼らの苦しみの存在すら知ることはできなかったのだ。だからこそ瀬尾さんのコメントにあるように消費して終わるのではなく、どうすればよかったか?という問いのもと対話をしたい。そして統合失調症への偏見について勉強をしながらどう彼らと共生するか考えていきたい。