Lapin Ange獣医師の「ネットで見たんだけど・・」 #11: ワンちゃん時間とは?
万物流転,諸行無常,この世のあらゆる物は絶え間なく変化し続けるという事実に対して,古今東西を問わず多くの人が様々な感覚,感情を表してきました。 どんな生命にも限りがあり,全ての人,全ての生命との別れが,やがて必ず訪れます。 それはやはり単純に残念なことで,「時」は無慈悲に流れ続けるので,愛する人やワンちゃんとの限りある日々を精一杯大切にしたいものです。 ただ,この「時」というもの,不思議で理解が難しくもあります。 マッハの「相対時間」やアインシュタインの「時空」の概念は私の手に余るので,ここでは「時間感覚」,「ワンちゃんは時間をどのように感じているのか」についてのお話です。
時刻?時間?
亡き飼い主を慕って毎日渋谷駅に通ったという伝説の秋田犬は,実は大好きな焼き鳥を貰うのが目的だったという説はともかくとして,毎日同じような時間帯に出かけていたのは事実のようです。 ハリウッドで映画化されるようなお話でなくても,毎朝ベッドに上がってきて散歩をせがむワンちゃんに起こされる("#いぬすたぐらむ" の定番ですね)という方は少なくないと思います。 これらの例は「時間」や「時刻」の感覚というよりも,朝夕の明暗の認知によるものなのかもしれませんが,ママさんがお買い物される間,店の入り口に繋がれて待っているワンちゃんは,どう感じているのでしょう? デパートやアウトレットモールのベンチで沢山の荷物とともに座っているおっちゃん達のように「はぁ〜,いつまでかかるんやろ? もしかして閉店までいるつもりやろか?」とは思わないのでしょうか?
そんなワンちゃんの時間感覚について,前回に続き,米国のErika Lessa 女史がPetMDに寄稿した記事"Do Dog Have a Sense of Time?" を紹介します。
イヌには時間の感覚があるのか?
イヌは我々と同様に時間を理解しているのか?
どうやって時間を認識するのか?
イヌと人の時間
時間の経過を理解するか?
どれくらい長く不在にしているかを認識するか?
イヌにとっての1時間とは?
結論
ワンちゃんの時間の感じ方については諸説あり,まだまだ研究の余地があるようです。 上記の記事では「私たちの60分は,イヌにとっては約75分に相当する」としていますが,世の中には,ヒトとイヌの寿命の差(約5倍)に基づいて「ヒトの1年はイヌの5年」と言う人も多く,ネットには「最近の研究によるとイヌは約7時間周期のリズムで生きており,ヒトの1日はイヌの3日」との説明も見られます。 身体の大きさや心拍数と寿命の間に相関性があるという研究も多く,何が正しいのか分からなくなりそうですが,要は,何で比べるか,「時間をどう感じるか」の指標を何にするかなのだと思います。 Erika Lessaの論説では,イヌの代謝,身体機能に基づく議論をしており,視覚機能としてCFF(中心フリッカー検査)すなわち点滅する光の点滅速度を上げていき(点滅間隔を短くする),点滅していることを認識できなくなるところ(あるいはその逆)を調べた結果を用いています。 ヒトには点滅していることが判らないほどの高速でも,イヌはそれが点滅していると判るので,同じ時間内に得る情報量が多く,ヒトよりも長い時間と感じているという考え方です。 単純な寿命の比較よりも科学的なように見えますが,「1日,1年という時間の大切さ」というような一般的なお話の中では,寿命比較の方がしっくりくるような気もしますね。
「ヒトの1年はイヌの何年?」という話の意義をどう考えるかは,人それぞれですが,総じて,ワンちゃんはヒトと同様あるいはそれ以上の情報を感知しながら生きており,事実としてヒトよりも寿命が短いので,ワンちゃんとの日々の暮らし,時間の過ごし方を精一杯大切にすることが大事,というのは間違いないですね。
雑記
上に述べたように,イヌはフリッカー検査においてヒトよりも高速の光の点滅を認識できるようです。 また前回(#10)の記事の中で,イヌは暗闇でも見えるけれども,色覚は弱く解像度も低いことを述べました。 暗闇でも見える夜行性の動物の多くが,暗いところで眼が光るのは,皆さんよく経験されていると思います。 眼が光る理由も,最近ではTVなどでよく紹介されており,網膜の下に,光をよく反射するタペタムという構造があることをご存知の方は少なくないと想像します。 光を感じる視細胞はもちろん網膜にあるのですが,網膜は非常に薄く(よく「濡れたティッシュのよう」と表現されます),瞳孔(瞳)から入ってきた光は網膜を透過し,その下のタペタムで反射するので,暗闇の弱い光でも効率的に視細胞で感知することができるのです。 ちなみに,このタペタムには亜鉛が豊富に含まれているのですが,ZPT(ジンクピリチオン)という物質を大量曝露されると,ZPTがタペタム中の亜鉛と結合してしまうため,タペタムが変性して網膜症を起こします。 このZPT,私と同年代の方なら誰でも歌える「♫◯◯⚪︎◯,モイスチャーリンス」の,荒木由美子さん出演のTV CMで「ジンクピリチオン配合!」と高らかに謳われていた有名な物質でした。 男女を問わず,多くの方がお気に入りのシャンプー,コンディショナーを使って毎日髪を洗っている現代と違って,スーツの肩にフケを貯めたおっちゃんが多かった時代,あのシャンプー,リンスは一世を風靡しましたが,今はZPTを配合していないそうです。 ただZPTが網膜症を起こすのは,とんでもない大量曝露を継続的に行った場合であり,通常使用でそのような害を及ぼす可能性はなく,ましてタペタムがない人間には起こらない変化ですので,誤解なきようにお願いします。 あのシャンプー,リンスがZPTの配合をやめたのは,おそらく時代が変わって「フケ取り効果」のインパクトが乏しくなったためかと思います。 念のため,ZPTについて,富士フィルム和光純薬のwebサイトに掲載された2023年9月付の安全性データシート(SDS)を見ると「人に対して生殖毒性があると考えられる」(ヒトでは確認されていないけれども,動物試験で生殖毒性が認められたので,おそらくヒトでも同様の毒性のポテンシャルがあると考えられる,というような意味です)と区分されておりますので,全身曝露(内服など)を前提とするならば,特に妊娠の可能性がある女性には注意が必要な物質と言えます。 ネットにはZPTの有害性を声高に述べているサイトも複数ありますが,私が見た限りでは,十分な客観性や科学的分析に基づく論述が乏しく,信頼に足るサイトとは考えにくい印象でした。
イヌが暗闇でも見える理由は,タペタムの存在以外にも,光を感じる視細胞のタイプの分布が人間とは異なることがあるようです。 視細胞には大きく2つのタイプがあり,ざっくり言うと,一方は優れた解像度で明晰に見ることができるけれども暗いところには弱く,他方は,高感度で暗い所でも見えるけれども解像度に乏しいものです。 私たちが何かをしっかり見ようと凝視するとき,その像は網膜の中の,前者の視細胞(高解像度)が多く集まっている部分(黄斑部)に映されています。 夜空の観察で,ある弱い光の星を探して「あの辺りにあるはずなんだけど・・」と,特定の場所を一所懸命見ようとすると,その星が見えないのに,少し視線を外すと見えてくる,ということを経験した方もいらっしゃると思います。 一所懸命見ようとして黄斑部に視線を合わせると,その視細胞は暗い光には弱くて見えず,視線を黄斑部以外の周辺部にずらすと,高感度の細胞によって見えるけれども,詳細は見にくいのです。 イヌの網膜には,ヒトに比べて前者の高解像度の細胞の数が少なく,黄斑部もありません。 主に低解像度で高感度の視細胞で見ているイヌが暗闇に強い理由の一つと考えられます。
なお,色の識別(色覚)は,高解像度の視細胞が担っていますが,ヒトの場合,この細胞がさらに3種に分かれ,それぞれ光の三原色(青,赤,緑)を担当しています。 イヌでは,ヒトに比べて,この細胞の総数が少ないうえに,2色(2種類)の細胞しかないため,色覚が弱い(赤色が見えにくい)と言われています。 このように解説すると,暗いところはともかく,イヌはヒトよりも眼が見えにくくて可哀想と思われるかもしれませんが,霊長類以外の多くの哺乳類の色覚は2色の細胞で構成されていて,暗視能力が高く,高速の視覚(動体視力)を有しているので,獲物を捕らえるのに不自由はないようです。 「プレデターと同じなのかも」と思ったのですが,あれは赤外線が見えるサーモグラフの機能でしたね。