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Lapin Ange獣医師の「ネットで見たんだけど・・」 #6: ウソっ! この子,○○○食べた!

これまで,ワンちゃんが誤食すると有害影響の可能性があるものについて解説してきましたが,今回は少し違った視点で。 毒物というわけではないのだけど,愛するワンちゃんが,ウンチを食べるのを目撃して驚くことがあります。 特に,天使のように可愛い子犬の場合,その衝撃は大きく,こんなにも一所懸命世話をして,厳選した食餌をきちんとあげているのに,何故? 腹立たしいような,悲しいような,やり場のない嫌な気分になった経験がある方もいらっしゃると思います。

病気? ストレス?

いつも高価なフードを食べさせているのに,事もあろうにウンチを食べるなんて,どこか悪いのかも。 精神疾患かもしれない。 そんな気になりますね。 でも,ワンちゃんがウンチを食べる「食糞」は,それほど珍しいことではなく,ネットにも多く説明されているので,きっと,よくご存知のワンちゃんオーナーさんも少なくないと思います。 
ワンちゃんがウンチを食べてしまう理由として,ネットでよく言われている説明としては,以下のようなところです。

  • 飼い主の気を引くため

  • 退屈しのぎ

  • 食餌の量が足りない

  • 消化不良(未消化便を食べる)

  • 自然な行動(清潔を保つ等)

これらの説明は,概ね正しいと思いますが,子犬の場合でも同じでしょうか? 「正常な行動です」というけれど,本当のところ,どうなのでしょうか?
この点について,ニューヨークで予防獣医学に携わっている獣医師 Dr. Jamie Lovejoy が Pet MD(ペットの健康に関する米国の online authorityで,多数の専門家が従事しています)に寄稿した内容をご紹介します。

Why Do Puppies Eat Poop?
子犬はどうしてウンチを食べるの?

あなたの子犬がウンチを食べるのを見ると,昨日まで平気だったキスも二の足を踏みますね。 子犬が便を食べること (食糞) は,実は全く正常な行動なのですが,奨励したくはありません。
彼らが便を食べる理由を理解し,適切に対処する方法を学ぶことは,食糞が習慣になるのを防ぐのに役立ちます。
子犬が常時食糞する場合は,獣医師に相談してください。 子犬がウンチを食べる理由は色々考えられます。 医学的な問題があるのか,行動上のものか,または両方の組み合わせによるものか,理由を知ることは,それを止めさせるのに役立ちます。

母親の真似

離乳前の子を持つ母犬が,我が子の便を食べるのは極めて一般的です。 ねぐらを清潔に保ち,子犬を病気や寄生虫,また捕食者から守る(便が溜まると,その臭いが不要な注意を引く)ために発達した本能的な行動なのです。
子犬は,母親の行動を真似て大人になることを学ぶため,自分や兄弟の便を食べることは珍しくありません。 子犬が便を食べる前に取り除いてしまうことによって,食糞を防ぐことができるでしょう。

消化不良

別の原因として,食餌をうまく消化できなかったときに,子犬が食糞の習慣を身につけることがあります。 消化が悪いと,便の一部が食餌と同じ匂いや味になることがあるため,便を食べる場合があります。
消化不良の原因は,食餌の処方そのものや寄生虫,または消化管の異常の可能性があります。 体重の増加不良,嘔吐や下痢などの消化器症状がみられる場合は,消化管の状態と食餌について,考慮する必要があるかもしれません。

退屈・ストレス

社会化や運動が充分でない子犬は,退屈しのぎや,自分が環境をコントロールできると感じて,不適切な習慣を身につける可能性があります。 木枠や家具を噛むケースがよくありますが,一部の子犬は便を食べることがあります。 この望ましくない行動を防ぐには,充分な遊びと対話が重要です。 飼い主の都合で,子犬を長時間ひとりで過ごさせる必要がある場合は,子犬を楽しませストレス​​を取り除くために,安全なおもちゃを用意しましょう。

食餌の不足

稀に,栄養が足りないために食糞することがあります。
成長期の子犬は,成犬よりも多くのカロリーを必要とするため,その要求量に合わせて用意された食餌を与える必要があります。 子犬には,一貫したスケジュールで1 日 3 ~ 4 回給餌するのが望ましいです。
腸内の寄生虫は,子犬から栄養を奪い取ることがあるため,十分な餌を与えられていない場合と同様の臨床症状を引き起こします。 糞便を調べることで,腸内寄生虫の検査ができます。

飼い主の注意を引く

子犬が食糞などの良くない行為をしているのを見たとき,感情的になったり,怒鳴ったりするのはよくあることです。 しかし,ほとんどの子犬はネガティブな反応とポジティブな反応を区別できないため,飼い主が意図せずに行動を強化している可能性があります。 つまり,便を食べると人間の注意を引くのだと学習し,そのためだけに食糞することがあります。

罰を避ける

トイレトレーニング中の子犬は,怒鳴られたり罰せられるのを逃れるため,間違った場所に排便したことを隠そうとして,それを食べることがあります。 したがって,トイレトレーニングにおいて,罰によって子犬を指導するべきではありません。 そうではなく,良い行動を褒めることに力を入れてください。 子犬が床に便をしたら,反応せずに黙って片付けましょう。 彼らが外で排便したときは褒めてください。 子犬は,室内で便をして食べることではなく,外で排便することで飼い主の注意を引くことを学びます。

結論

Dr. Jamie Lovejoyによると,子犬が食糞する理由の多くは,成犬のそれとほぼ同じようです。 子供のために,という目的で食糞する母親を真似るのが,成長のプロセスの一つなのだと考えると,ちょっといじらしいような気がします。 短期間のうちに多くのことを学ぶ時期であるために,間違ったことも覚えやすく,叱られるのが嫌で,便を隠すために食糞するとしたら,飼い主としては自己嫌悪で胸が痛みます。 とはいえ,可愛い子犬が食糞するところを目撃したり,口の周りが臭かったりするとショックですので,彼らの行動の理由をよく理解して,冷静に対処することが肝要ですね。

雑記

「食糞」と聞くと,私たち獣医師の頭にはウサギが浮かびます。 獣医師でなくとも,ウサギを飼育した経験がある方ならご存知かと思いますが,彼らにとって食糞は,栄養上,重要な行為です。 
ウサギは2種類の便をします。 通常の便はコロコロとした固めの便で,関西人にはお馴染みの鹿の糞(その昔,吉永小百合さんが「奈良の春日野」で ”黒豆よ〜” と歌われた,あれです)を小さくしたようなもので,これは食べません。 一方「盲腸便」と呼ばれる柔らかい便はアミノ酸やビタミンに富み,重要な栄養源として,自分の肛門に口をつけて(床に落とさずに)直接これを食べます。 私は大学の「実験動物学」の講義でこれを習ったとき,その姿を想像して「よほど身体が柔らかくないと無理やなぁ」と思った記憶がありますが,実際,ペットとして飼われているウサギの中には,肥満(ケガの場合もあります)のために身体が十分に曲げられず,食糞できなくて栄養障害になるケースがあるそうです。
何故,便から栄養を摂る必要があるかというと,ウサギが主食とする草にはタンパクやビタミンなどが少ないため,そのままでは栄養不良になってしまうのですが,盲腸の中の細菌が草を分解して,それらの栄養素を作り出してくれるのです(これが重要なので,ウサギの盲腸はとても大きいです)。 「だったら,便として出さずにそのまま栄養を吸収すればいいじゃん」と思われるかもしれませんが,盲腸は,小腸と大腸の境にあり,栄養素の吸収部位である小腸を過ぎてしまっているため,一旦身体の外に出した盲腸便を食べる必要があるのです。
ご存知の方も少なくないと思いますが,腸内細菌叢とかフローラと呼ばれる,このような体内の細菌の働きが,動物の身体にとって重要な役割を果たしていることが知られています。 牛などの反芻動物では,大量に食べた草を胃内のフローラの働きで発酵・分解してくれることは有名ですし,ヒトでも「善玉菌」の働きが重要であるとTVなどで頻繁に言われていますね。
ちょっと衝撃的なのが,医療におけるfecal transplantationです。 特に米国で問題になっているディフィシル腸炎という疾患があり,ボツリヌス菌(昔は辛子蓮根による中毒で,最近はボトックスで有名ですね)や破傷風菌の仲間であるclostridioides difficileという細菌による腸炎で,高齢者や免疫不全の患者では,難治性で繰り返し再発し,死に至ることもあります。 抗菌剤などの投与が引き金になって起こるため治療が難しく,バンコマイシンなど有効な抗菌薬もありますが,一定数の患者で再発・重篤化します。 しかし,この難しい病気に対して極めて有効性の高い治療法として注目されているのが,fecal transplantation すなわち便移植です。 上に述べたとおり,抗菌剤などによって腸内フローラの質的・量的なバランスが壊れ,原因菌であるclostridioides difficileが増殖して産生された毒素が腸炎を起こしているので,「それなら」ということで,健康な人のフローラを患者に移植してやろうという治療法です。 「フローラを患者に移植」というのは,内視鏡や経鼻チューブを使って,患者の消化管内に直接「便」(「フローラ液」などと言いますが,便を攪拌・濾過する程度)を入れることです。 10年ほど前,私が初めてこの治療法を知ったとき,「凄いことするなぁ」と思った(当時,米国の患者さんたちはインタビューで「腸炎があまりに辛いので,効くのならカプセルに詰めた便でも飲む」とおっしゃっていました)のですが,近年,この治療法は非常に注目されており,故安倍元首相の持病として有名な潰瘍性大腸炎など,多様な疾患への適応が研究されています。 消化管内の細菌の働きは極めて重要で,私たちは彼らと共生しているのです。

追記

私が上の記事を4月12日に公開してから2週間後,4月26日に米国食品医薬品局FDA (U.S. Food and Drug Administration) は,経口投与による初の糞便微生物叢(フローラ)製品である Vowst を承認したとプレスリリースしました。 これは,18歳以上の患者における,再発性ディフィシル菌感染症 (CDI: Clostridioides difficile Infection) の再発予防に対する承認です。 FDAは「経口摂取できる糞便フローラ製品が利用可能になったことは,生命を脅かす可能性があるこの病気を経験した人にとって,患者ケアとアクセシビリティを向上させる上で重要な一歩である」と述べています。
これまでにも,医薬品としてFDAが承認したフローラ製品は僅かながら存在したのですが,それは菌液を直腸内に注入するもので,これを複数回繰り返して行うことは,患者の時間的,経済的そして精神的な負担が大きいものでした。 経口摂取できる(Voustの場合,1日1回,4カプセルを3日間連続で服用するそうです)ということは,通院の必要がなく,何度でも自分で服用できるので,非常に意義が大きいことです(もしかすると,副作用の確認や保管中の品質確保のために,入院下で投与される可能性もありますが)。 繰り返し点滴が必要な医薬品の投与を受けた経験がある方は,よく理解できると思います。 
「雑記」の中で,「経鼻チューブを使って・・」と書いた通り,直腸ではなく胃内に投与する治療は,国内でも一部の医療機関で既に実践されています。 しかし,これは(私の理解が正しければ)「医薬品」として承認を受けているものではなく,医師の裁量で実施される「療法」であるため,複数回投与するには,それだけ通院して,医師の手によって経鼻チューブを挿入して投与する必要があります。 経鼻チューブでの投薬の費用は存じませんが,参考までに,直腸への投与を行なっている国内の病院のwebサイトによると,6回投与のコースで150万円以上と記載されています。
私が初めて便移植による医療を驚きとともに知ってから10年ちょっと,いよいよ,糞便フローラが医薬品として広く使用される段階に入りました。

なお,4月12日の公開時,ディフィシル菌を「Clostridium difficile」と記載しておりましたが,2016年に「Clostridioides difficile」に名称変更されたのを失念しておりました。 失礼しました。


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