大喜利でメンタンピンを目指す

 お疲れ様です。ラパスです。
 僕は普段は大喜利を趣味として楽しんでいる人間なのですが、自身としてはどちらかというと長期間推敲する大喜利よりも、生大喜利・3分大喜利の方が適性があるように感じています。
 
 ただ自分自身人間として面白くなったという感覚はありません。かれこれ3年以上はやっているのですが、ユーモアに溢れる人生を送れている訳でもなく、素がつまらない人間のままだなと感じています。

 どちらかというと、つまらない人間なりに戦う方法を探してここまで来たという印象のほうが強いです。才能ある方の中で揉まれながら、何とかやってきているという感じでしょうか。この感覚は以前の記事でも書かせてもらいました。

 こういった感じで僕自身は何とか大喜利を楽しめているのですが、特に大喜利を始めたばかりで、「面白いことが言えない」と悩んでいる方をよく見かけて、その度何とか楽しさを伝えられたら良いのになぁと思っていました。しかし同時に、「大喜利は面白い人じゃないとできないのか?」という疑問はずっと持っていました。

 自分も面白い人間にはつくづくなりたいですし、そういったツイートもしたことがあるのですが、少なくとも初心者の方に関しては、もっと初歩的な部分で勘違いされているのではないかと考えるようになったのです。

 簡単に言うと、「発想の強さによってじゃんけんのように勝敗が決まる」と思い込んでしまっている方が多いのではないかと推測しているんですね。それ故に最初から人とは全然違うスタイルを目指したり、強烈な個性を出そうと足掻く方が頻発するのではないかと思ったんです。それが自然にできるのであれば全く問題ないですし、そのまま伸ばすべき長所だと思うのですが、それで自分らしくないなという違和感を感じたり、お題に沿うことをあきらめてしまったりしているのなら、そこまで無理をする必要はないのかなとも感じます。

 なので、前回は心掛けていることを箇条書きにしましたが、今回は自分の大喜利という競技に対する捉え方について文章で公開できればと思います。そして縁の無い人には申し訳ないのですが、今回は麻雀になぞらえて説明しています。その都度一般化して説明はしますので、ご容赦いただけると有り難いです。

 まず麻雀の翻を生大喜利に例える表を作ってみたので、そちらをご覧下さい。翻というのは「ゴールした時に貰える得点を決めるポイント」のようなものだと思って貰えれば良いです。
 注目して欲しいのは、3翻と4翻の間に大体4000点の開きがあり、一気に価値が高まっているということです。そして、生大喜利・3分大喜利に関しても同様の傾向があるように思います。ある程度の強度の回答まではやや笑いしか起きず、一定レベルを超えた回答からどかっと爆笑が取れるといった感じです。
 さらに、四角で囲んだ4翻~6・7翻の辺りが、「面白い回答」のボリュームゾーン」であるとも思います。その後もずっと語り草になる回答は殆ど出せませんし、Twitterで1000以上のファボが付くこと自体、生大喜利界隈で2~3ヶ月に1回あれば良い方だと思います。
 これは麻雀でも同じで、満貫・跳満は出ても倍満以降は中々出来上がらないんですね。出せれば決定打にはなりますが、愚直に高い打点を目指していても周りがその間に効果的な打点で反撃できる訳ですから、戦い方としては現実的ではありません。
 ですから、まず生大喜利に関する誤解を解いておくと、大喜利を競技として見た場合には、「ただただ最高打点を追いかけるゲーム」というよりも、「十分な打点を何度も作るゲーム」という方が近いと思います。
 そう考えると、初心者や序盤で壁にぶち当たっている方が目指すのは、いつ出るかも分からない役満を目指すことよりも、スルーされてしまった4翻未満の回答を何とかして評価される満貫レベルに引き上げることであってほしいんですよね。そしてこれは自分のことをつまらないと思っている人ほど試して欲しいものではあります。

大喜利点数計算

(追記:3倍満は24000点です・・・失礼しました)
 そして、もう少し大喜利と連動させたい麻雀の概念があります。それはドラ・裏ドラの存在です。

大喜利ドラ説明

 麻雀にはドラ・裏ドラという概念があり、それは各ゲーム開始時に決まっているボーナスポイントのようなものです。ただしドラは最初から分かるのに対して、裏ドラはそのゲームが終わったタイミングでしか分かりません。
 この性質を大喜利に例えて、自分が面白いと考えていることをドラ、観客が面白いと考えていることを裏ドラと表現してみます。

 特に、大喜利の中でもインパクトのある回答ができる人は、凄い面白いことを考えている(=ドラが沢山ある)ことが多いですし、それが観客のツボにもがっちりハマることもしばしばあります(=裏ドラも沢山乗せる)。
 しかし初心者の方、特に自分を面白くないと考えている方にとって、そもそも面白いことを思いつくこと自体が難しいです。僕もそちら側です。ですから上にも書きましたが、ドラが1、または0なんていう、面白いかどうかも自信がないところからスタートしなければならないということも大いに考えられます。
 そして、自分の面白いと考えることは何処まで行っても主観的なものですから、必ずしも確実なものではありません。しかも、初心者の方がその確実性が低いので、少なからず裏切られることがあります。自信満々で出した回答が全くウケなかったというのは誰もが通る道です。

 さらに悲しいことに、ドラ1(個レベルの発想)がドラ3・4(個レベルの発想)に育つことは中々考えにくいです。よくこの単語を変えれば良かったんじゃないか、この語尾なら良かったんじゃないかという反省をされている方がいますが、それでもせいぜいドラ2程度にしかならないかな・・・と感じてしまいます。しかもその作業すら主観的な調整ですから、元々の発想同様お客さんのツボを外しているかもしれません。
 もっと言うと、真剣に悩んでいる最中に他の方が似た回答を先出しして、折角の発想が潰されてしまう可能性まであります。大喜利が終わった後に様々な回答を模索するのは非常に大事なトレーニングですが、ライブ会場や集まりの中で細部に熱中するのはあまり得策ではないでしょう。

 ここまでの話を読んでいただければ理解していただけると思いますが、僕は「自分のように根が面白くない人間が、面白いと思ったことをそのまま出す」ということを危険な選択だと考えています。アイデアそのものの面白さでまず差を付けられており、その上ウケる確率が低いにもかかわらず、相手の満貫・跳満クラスのド本命回答と戦わなければならないからです。しかし残念ながら、自分は面白い人間ではないのでまだ見ぬドラを掘り起こすということも期待できません。

 そこで、僕は客観的であったり、安定している評価基準によって土台を作るということを重視しています。何度も言いますが各々の面白さというものは非常に主観的で不安定なものであり、空振りしてしまう可能性も高いものなので、万が一他の方に通用した時に最高の結果となるような準備をしなければいけないと考えているんです。
 あやふやでは想像しづらいと思いますので基準の具体例を述べますと、

・文章としてスムーズに読めるor言葉として発した時に一発で理解して貰える
・お題から想像しやすいワードを利用しており、無理がない
・(画像お題に対して)台詞が自然であるor読み上げる時に感情を乗せられる
・どこで笑って欲しいのかが明確である(ギミックがシンプルまたは整理されている)
・まだその観点が他の人の回答では利用されていない
・回答形式が主流となっている回答とは一歩離れた位置にある
・展開に対して異質な性質を持っている(序盤なのに手が込んでいる・終盤なのに根本的な部分を掘り返している)


等です。これらの評価ポイントは観客の層によって評価のブレが少ないものだと考えています。まだその時点で使われていない要素というのは、誰から見ても使われていない訳ですし、形式をずらしたり、少し違った視点から着想したりしている回答は誰の目から見ても明らかです。また、お題に沿っているということは必ずしも評価して貰える訳ではありませんが、意図が伝わらないということは大喜利を数年やって来て殆どなかったので、効果があるのかなと感じます。

 僕がやっているのは、これらを必ず忠実に守るということではなく、これらの要素のいくつかを杭やペグとして打ち込んだ状態で登る(回答する)ことを心掛けているということです。ここに挙げていない要素もありますし、とにかくスベって滑落しそうでも何処かには引っ掛かってくれと思いながら進めると安定感が違います。くれぐれもこの観点を遵守しろとか、これしか基準がないということではありませんのでそこはご理解ください。「落ち着いて向かって行けそうな理由を見つける」くらいに思って貰えると嬉しいです。

回答基準

 そして、この準備をすることによって、発想(ドラ)が貧弱でも戦える可能性が出てくることが最大の利点であると考えています。ドラ1(個分)の発想でそのまま勝負すると、かなり不安定ですし無謀ではありますが、自分で2・3個根拠を確保した状態で回答すれば、自分のユーモアが伝わったときに満貫・跳満クラス=笑いが取れるレベルには到達する可能性が出てくるため、自信を持って押していけるんです。「何となく面白そうだな・・・」で突っ込むのではなく「文章としても整ったし、あんまり周りが言ってないな・・・」の方が強く打ち出せる、と言えば想像しやすいでしょうか。
 そしてつまらない発想を何とかしようとしてもせいぜいドラ1からドラ2(大体1000点分の加点)にしかならないことが多いのに対して、自前で2・3翻確保できれば、虎の子のドラ1発想が満貫への後押し(4000点分の効果)に使える可能性がでてくるということからしても、出てきた発想の効果・効率を上げるという考え方に近いのかもしれません。
 また、しっかり演技が出来ている台詞回答や、狙いが分かる回答のことを0点と判断する方も少ないとは思います。前にも述べたとおり理由付けをした上で回答をすれば、ただただスベっていくということも体感的にはかなり防げます

 よって大喜利においても麻雀と同様に、相手に負けない笑いを取れるレベルを想定した上で押し引きをしていけば、例えつまらない発想しか出てこないと卑下する方でもわずかながら勝ち筋が見えてくると考えています。猛者であっても発想を外すことはありますし、そうなった時には対抗することが十分可能です。大番狂わせのチャンスが掴みやすくなるとでも言いましょうか。
 大喜利をこれから始める方の感覚とはかなりずれているかもしれませんが、

・いくつか客観的に見ても評価されるポイントがあれば、面白さに自信はなくともとりあえずまとめて回答してみる(自分の手に2翻・3翻が見込めれば、観客の反応=裏ドラに賭けてみる)
・自分でも面白さが感じられない回答は、条件が厳しい(時間に対して回答数が少なすぎる・ラスト一答をしなければいけない)以外は一旦控える
(リーのみ・ドラ1のみの安い手で相手の満貫クラスに突っ張らない)
・どんなに面白いなと思った発想でも、せめて文章としてだけは整えてみる(ドラ2・ドラ3が見込めるなら、リーチして満貫を引き寄せる)

といった具合で、常に生まれた発想に対して「実際に笑いが取れそうかどうか・周りに対抗できるか」を想像することはかなり大事だと思います。

 ただし、この考えには当然不利な点も多く存在しています

・土台を作るという作業を重視するために慣れていないと時間がかかり、かつ小回りが利かない
・整えたり吟味する中で、ウケる可能性があったにも関わらず捨ててしまう発想が出てくる
・回答が比較的「行儀が良くなってしまう」ため、よく言えば統一感があるが、悪く言うとマンネリ感が出てくる
・突拍子もない発想から生まれた回答に上から叩かれることもあり、比較的印象審査(誰が一番面白かったかで決める審査)に弱い
・個性が出しづらいため、自分ならではの回答といったものが残りにくい

のように、あまり良く無い面も包み隠さず言えば相当あります。ですから、僕のような考え方になれと決して強制はできません。ただ、ずっとスベってしまっている、苦手意識があるという方には、「笑いを取れるラインを想定する」「面白いか面白くないかではなく、笑いを取れるか取れないかを考えてみる」といったことを試していただけたら嬉しいです。その中で大喜利に楽しさや面白さを感じていただけたら、是非自分なりの発想法・個性を探ってみてください。色んな発想をする人が集まっている方がやっぱり楽しいですし、そういったコミュニティが健全だと思いますので。

 長々とした文章申し訳ありませんでした。とりとめのない内容にはなってしまいましたが、何かの参考になっていれば幸いです。今後も大喜利には関わっていこうと考えていますので、どうかこれからも宜しくお願いします。

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