海外のチップ文化 心の中身
ところで、海外へ行くとチップという文化がある。
きっとチップをもらう側の人は、「これだけしてあげたんだから、これくらいもらえる」という期待を込めてサービスをしている。
インドでも、渡したチップに不満げで、トラブルにも巻き込まれたくなんかないので、結局言い値を払うこともしばしば。
それが交渉というか、それで食べているわけで、もらえないと困るよね。
そんなことは分かっているチップ文化自体の話をしたかったのではなくて、チップの文化は人の本質だよなと思う。サービス業なのではあるものの、金額も当事者同士がお互いの感覚で決める物なので、すごく身近なところにあって、人らしさが浮き彫りになる商売だなとおもう。
これだけしてあげたんだから、このくらいしてもらえるという期待。そうでなかったときに不満な気持ちになる現象。または、こんなにしてもらったから、これくらいしなくちゃいけないのかなという気持ち。
それを正確に測る物差しなんかなくて、そんな気持ちに振り回されて、疲れた経験もたくさんある。
“無性の愛“ってのは世の中にたくさんは転がっていない。
でもやっぱり、大切に思っている人には、自分の物差しで決めた「期待する見返り」を求めたくない。
自分の身の丈に合った、自分にできることの範囲で、ただこうしたいなと思うことをしてみる。
大切だと思っていることを伝えるための一つの方法として考えてみる。
ちゃんと私がそうしたいのか、そうしたくないのか、心の中をのぞいて素直に生きる。
したいことをするための、そして、いろんな人から日々もらっているあったかい何かを感じ取るための、心と時間の余裕を持っていたい。
あとはね、人から与えられ過ぎるのも、自分が与え過ぎるのも、結局は心をくたびれさせてしまうので、喜びはできる限り自分で生み出せるようになりたい。
簡単ではないのでね、そんな老後を送るのが目標。