名J-POP考 第23回 THE BLUE HEARTS 『TRAIN-TRAIN』
この曲の説明に入る前に主題歌となったドラマを説明せねばならない。『はいすくーる楽書』とは荒れ果てた群馬県の農業高校で奮闘する当時の現役女子教員多賀たかこ氏がノンフィクション作品としてエッセイ作品として投稿したものをドラマ化したものである。ノンフィクション朝日ジャーナル大賞受賞となった。なお、この教員は管理主義教育とも戦った人物であり君が代や日の丸を教育現場に持ち込むことにも反対しております。ただしモデルとなった群馬県立勢多農林高等学校を思い起こさせるのは非常にまずいということでドラマ版『はいすくーる楽書』では工業高校に替えられています。なので、ドラマは一部脚色されてはいるもののかなりが事実です。もし原作『はいすくーる楽書』に興味ある方は一度お読みになることをお勧めします。今のなんちゃって不良と違い本物の不良が登場します。それでも卒業するところっと社会適応するのも彼らの特徴です。原作は朝日文庫での発刊ですがドラマはTV朝日系列ではなくTBS系列で放映されることとなりました。
ちなみに「はいすくーる楽書2」の主題歌が『情熱の薔薇』です。しかし『情熱の薔薇』はややプロテスト的要素が弱くなっており、プロテストソングとしてなら『TRAIN-TRAIN』(1988)の方が上だろうと。また年代(※1988年~2004年という本エッセイのルール)だけで区切ってしまうとブルーハーツがOKで尾崎のほとんどの曲がNGになってしまう。でもこの両アーティストの本質は「社会への抗議」ではないのか。ということで尾崎の曲のいくつかは特別にJ-POP曲とみなし前回のエッセイで『卒業』を紹介したのでした。
では、ブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』がいう「見えない自由」って何でしょうね。じゃあ「見える自由」もあるわけだ。そして本当に欲しいのは「見えない自由」ということですよね。
「見える自由」って所詮おこちゃま扱いで管理された上で与えられる自由の事でしょ。進学校にあるような自由だ。これに対し「見えない自由」って高卒の18歳以降の誰もが手にする責任と引き換えに手にする自由の事ではないのか。無秩序という意味でもない。筆者はそう思うのですが。
つまり15~18歳の俺たちにも高卒以降に手にする自由を寄こせと言ってるんだな。そしてそう言える自信が彼らにもあった。時代は空前の好景気ということもあったがそもそも90年代初頭まではガテン系職業というのはそこら辺のホワイトカラーよりもいい給料が入る仕事なんて腐るほどあった。だから学校がなんぼのもんじゃいと反逆出来た。違うか?
これは氷河期世代になると彼らから就職の口を締め出されるので一気に反抗のエネルギーがそがれることになる。この時期が約25年続いた。そしてここ7年前ごろからなんと工業高校の就職の口の方がFラン大卒・文系よりもいいということでソフトヤンキーはもはや世間公認状態である(特に建設職人系の求人倍率が高い。給与は安いままだが)。それでいいのだろうか。そういうのを反知性主義というのだが。
そして本当の弱者は学校に反逆できない。学生という身分を失ったら良くてフリーター、下手するとヒキコモリニートだ。だから彼ら不良少年は社会的弱者に見えて実は社会的強者だし社会が不良に一部寛容なのも社会に出たら彼らは軍隊のようにころっと態度を変えて従順に働くことを知ってるからだ。しかも理不尽かつ激務な環境にも耐えうる。よっぽど深い犯罪に手を染めない限り彼らは社会適応できるのだ。
結局この国は不良には甘く、本当の弱者には手を差し伸べることも出来ないし歌にもほとんどされない。そういう脆弱さを現してしまったのではないか。もっとも当時は真面目系ダメ人間ってどっかの下級公務員とか受け皿がどっかしらにはあったから問題視されてなく不良・非行の方が圧倒的に問題だったという時代背景もあったのだろうけどね。