名J-POP考 第11回 槇原敬之 『どんなときも。』
これって「就職戦線異状なし」という映画の主題歌なんですよ。
でもなあ、主人公は「早稲田大学社会科学部4年」って設定だからなあ。とは言ってもこの時代は日東駒専とか大東亜帝国でも内定拘束・豪華旅行プレゼントですよ。まあバブルは異常だとしても80年代って無能が公務員になる時代で公務員ほど安月給なんですよ。だから、大学に行く意味はあった。早稲田までいったらこの映画のようにもう頼んでも居ないのに就職雑誌が家の前に突然舞い込んでくる。ちなみにバブル期は3社受けたらだいたい内定もらえる。バブル前は6社で氷河期だとこれが100社受けても0内定なんてのがざらなんですよね。台本は1990年に書いて映画の公開は1991年ですから最後の「就職戦線異状なし」なんですよ。地獄は1994年からです。
つまり、「就職活動」って苦労するものじゃないし、苦労したくないからみんな受験勉強をするのね。それを氷河期世代は裏切られるわけ。大学合格=大企業内定(下位大学ならどんなに下でも地元中堅企業)でOB訪問でだいたいどこの企業に行くかなんてもう大学1年で分かっちゃうように出来てた。リクナビが出来るまでは。そういう意味ではリクルートは万死に値する。
そして大学4年の6月で俺はまだ大学で勉強したいのにとか言う人達が居てびっくりするんですよね。今や大学3年の6月あたりから就職活動して大学3年の3月に内定出す感じで4年はもはや企業による講習期間ですよ。どれだけ「就活」というものが大学教育を破壊してきたか。それを考えると本当にいい時代だったなと。
そんな恵まれた時代でも社会人になることは嫌だった。そんな悩む当時の若者の応援歌が「どんなときも。」だった。
いわゆるバブル世代は旧来型雇用・旧来型人生の最後の人生を送れる世代だった。リストラにさえ逢わなければという条件だが。でも60歳になっても65歳まではフリーターを強制される。しかも人生の頂点が入社時という人生なんだしね。後は地獄だし「この使えないバブル世代が」といびられる。
それでも氷河期世代というスタートすらも切れない世代よりは100倍マシだよ。ただし下の世代となる氷河期世代の中にはいわゆる『選抜隊』(エリート)がいる。氷河期エリートにどんどん出世競争に負けてボロボロになって役職定年も迎えてしまったというのがバブル世代の今の現実なのだ。違うか?頭のスペックからして違っただろ?厳選採用だったんだしな。
氷河期エリートは高確率でタワマン貴族でもある。今のところは勝ち組である。しかしいつまでも体に無理は出来ない。たぶん氷河期世代に真の勝利者は居ないはずだ。そして適度に舞台から降りたバブル世代の方が本物の勝利者だ。氷河期エリートは勝ちにこだわって自滅する。
なぜかって?
バブル世代は負け方を知ってるし勝負以外の世界を知ってるからだ。受験戦争→就職氷河期という世代とはまるで違う生き方だ。そう、人間として本当に勉強するべきことをちゃんと大学・高校で勉強したからだ。だから企業社会という競争では負けても人生では負けない。「どんなときも。」とはそこまで意味を含ませてる曲だ。
就職氷河期世代はこの曲を中高時代に聞いてしまった。つまり「どんなときも。」を受験応援ソングにしてしまい、他人を蹴落とすことの道具にしてしまった。実に残念である。バブル崩壊という意味を知っていたら違う選択肢を取れたのに。
最後に槇原氏の人間としての復活を願います。