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コスモポリタン

4月に入り、新規の受講生の方々とオンライン越しではじめまして。の日々。我がラボは入学式はないけど皆さんの希望をひしひし感じて何だか新学期モードが続いています♪

気取らず嘘偽りなく等身大の自分を表現していこうーというのが合言葉。

たとえマニアックな事柄であっても

体験したこと、

琴線に触れたこと、

を自分のことばで。

うれしいのは「背伸びしなくていいんですねー」とか「英語の学びを始めると決めてから、世界のことに目を向けるようになって今起こっている軍事衝突や環境問題やー視点が変わってきました。」とのお声をいただくこと。

知ることで見えること気づくことありますよね。
そういうゆるやかな繋がりで何か自分の歩幅でできることあるな、と受講生の方々からまたまた気づきを頂き、この循環の感覚がフレッシュなまま次のような取り組みを始めることにしました。

・doersの祈りとしてこちらにできうる範囲で

・もしお住まいの地域で避難された方を受け入れるとなり(英語に限ってしまいますが)コミュニケーションの手段のひとつとして最小限の日常会話を身に付けておきたい方へ無料レッスン(なので、あ!と思う方がいらしたらこの情報をシェアください。可能な範囲でお手伝いができたら幸せます。)

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折しも敬愛する千里さんのnoteにコスモポリタンや帰郷のラインナップ。わたし的にはかなりの原点回帰モード。

コスモポリタンの一節、”今 世界は軌道をなくし、やり場のない孤独のありか誰かに求めてる”ーに改めて我がセンサーが反応しています。

若かりし頃のわたしは、国際協力に関わる仕事をしたいと望んでいて、コチラにあるような心持ちをすごく大切にしてたのです。

社会人になり、描いていた仕事に就いたある日、旧ユーゴ内戦から何年か過ぎたボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、セルビアを訪れる機会を得ました。
このときの争いはもともと同じ国で多民族同士仲良く共生していたのに、独立を願う派と反対派とのせめぎ合いで、衝突が起き分断が起こった惨禍。
美しい海、なだらかな山々、牧歌的で平和だった宝石のような場所で。

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そのとき訪問した小学校では(教育系の人材育成での仕事)戦後数年過ぎてもなお、貼りだされていた子どもたちの絵には黒とグレイの世界が広がっていました。
美しい渓谷の近くの国立公園を歩けば、突如輝く芝生の上にドクロマーク。これは地雷に注意。ということ。
唖然としました。

他方、希望を見たのは、広場で人々が歌を歌い、詩を朗読していたこと。
絵筆を動かしていたこと。
驚きました。
決して復興が進んでるとはいえないのに笑顔がある。よろこびがある。文化が人々の活力になりえている強さと無限の可能性を見た気がしました。成熟した文化とはこんなにも暗闇に光を注ぎ、生きることの支えになるのかと。

その時案内してくれていた現地の女性が何度も言ってくれたこと。

「24時間はどんな状況下であろうと平等。絶対悔いのないように生きること。家族を大切にする人生なら家族を一番に。仕事なら仕事に全力。個人の平和が大きな平和にきっとつながる。そう思わない?だから通勤時間に往復2時間とか考え直さなきゃダメよ~、Miki!」

家族と離れ離れになりたくさんの苦労を抱えていたのに終始明るかった彼女はいたずらっぽく笑っては話しかけてくれました。帰国し、東京の通勤ラッシュにもまれながら何度もこのときのやり取りが脳内再生されたなあ。

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まさかあの時のような出来事がまた世界で起こりうるとは、と記憶のフタが開いて気持ちがぐらり揺らいだこの春。

けれどもその彼女の言葉のとおり、自分なりのpeacefulな日々を模索した結果、長い間国と国、みたいな大きな仕事に関わっていたところから足元に戻ってきて、今があるのだった、と改めて現在地を確かめ深呼吸・・・。

身の回りの大事な人たち、大切にしたいこと。
シンプルにそれを好きだといって表現してー世界に横たわってる不安や憤りや悲しみやーそういう巨大な渦に対峙することはできないかもしれないけど、目にはみえない何かの振動。
届くかもしれないvibes。
自分なりに耕し、発電し続けることが今のわたしの身の丈です。

(*往年の千ちゃんファンがスルメのように聴きこんで聴きこんでその歌詞やメロディーに没頭した時間と比例して響いていただけるマニア向け限定トピックスも差し挟みましたが好きは止まらないのでご容赦を(笑))

ではマガジンも明日あたり更新しまーす♪




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