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教室と、同期と、思い出と。

今日は学部で卒業を祝うオープンハウスに行ってきた。

午後1時からということで、5分前くらいを見計らって到着。廊下から学部のオフィスに入ると、その中に受付があり、ちょっとした教室と学生用ラウンジ、小さいキッチン、奥には教授たちの個室オフィス、という構造になっており、今日はその教室が会場になっている。しかし、軽食やバルーンが用意されたその部屋にはまだ数人しか来ていない。空間を持て余したような部屋を見ながら、こういうカジュアルなイベントは時間ぴったりにいく必要はないのだったと思い出す。決して時間にきっちりしているタイプでもないのに、こういうアメリカ文化にはいつまでも慣れることができない。

知っている顔ぶれがまだ来ていないことを確認して、学生用のラウンジへ行ってみた。誰もいない。まるで、2年半前、同期のみんなより早く学校に着き全く頭に入ってこない教科書を誰もいないラウンジでもう一度読み直していた時みたい。ただただこの空間が懐かしい。

教室側へ戻ってみると、先生方がちらほら顔を出し始めている。人が少ない時間に着いたおかげで、お世話になった先生方と一対一で話す時間がもてた。長い間Zoom越しで教わっていた先生と対面で会えるのは純粋に嬉しく、ちょっとだけ緊張もした。

開始から30分程経ってからだろうか、一人、また一人と見知った顔が入ってくる。お互いかけ寄ってハグ。一緒に入学し彼らと会うのも、早いもので1年ぶりだ。

プログラムに入ったときには、まさにこの教室でコの字に並べられた机に座って同じ授業を受けていたのだ。近況報告をしながらも、教室を見回しては、〇〇はここに座ってて、△△はあの辺にいて、▲▲がいつもギリギリに来てこの辺にちょこんとしてたよね、みたいな話で盛り上がる。1年目の途中から全てオンラインになってしまったものの、最初の2学期は、文字通り顔を突き合わせて学んだ仲。あの時間、みんなとのつながりがあったから、オンラインになっても乗り越えられたよね、とみんな揃って口にする。

本当に。混沌としたコロナ禍が手伝って思い出がより美化されている部分もあるかもしれないが、そうでなくとも物理的に同じ空間で学んだ時間は私の中でかけがえのない思い出になっている。もちろんその時はキラキラなんてしていなかった。小テストのためにため息つきながらIPA表記の特訓をしたこと、授業と授業の間の10分の休憩で各々ランチを口に詰め込みながら疑問点を質問しあったこと、訳がわからない程の量の課題や複雑な論文にみんなして唖然ながらも助け合ってできるところまでやったこと。時が過ぎ去って、そういう時間がすごくキラキラして思い出されるから不思議だ。

一人の友人がこっそりこう言った。
「こういうこと言うのはなんだけど、うちらのメンバーの方が(他の代より)良い同期だと思う。」
彼は一つ下の代の学生たちと一緒に授業をとることも多く苦労も多かったそうで、比較しやすかったのだろう。私には他と比べてどうかはわからないが、この同期が最高だということは間違いないと思った。

今日会えたのは数人だったけれど、一人一人とこれからもずっと繋がっていたいなと改めて実感できた日だった。

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