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仕事とプライベート混在の休日に考えた、私にとって充実した時間の過ごし方
今日はお気に入りの、でもふらっと行くにはちょっと遠いコーヒー屋さんまで行ってブランチし、午後は2-3時間ほど英語コーチの仕事をしていた。
ちょっと前の私だったら、これは理想の休日とかけ離れていると感じたことだろう。オンとオフはわけるべき。休みに仕事を持ち込むのは仕事ができない、仕事が遅いことの証だと。
確かにオンとオフをしっかり切り替えた方がいいというスタンスは変わらない。やるときは集中し、休むときは休む。やるべきときにダラダラして後回しにしてしまったり、逆に休みながらもやらなきゃいけないことを頭の片隅で考えていたりするのは悪循環だ。
しかし、理想の在り方について深く考え実践していく中で、それ以上に大切だと思うのは、仕事だろうが休みだろうがそのときを「どう感じて」過ごしているか、なのかもしれないということ。
仕事をしながら私たちはどんなことを感じてるだろう。
無心?考える余地なんてなく仕事だからやらなきゃと思ってる?それとも、あぁこれ早くやらなきゃ。もっと早くやっておけばよかった。なんでこれこんなに時間かかるんだろう。
休んでいるときはどうだろう。
休みだから休みっぽいことしたい。とりあえず外にでる?人と会う?とにかく充実した休みにしないと。そしてどっかで、本当はあれやってないんだよなぁ。〇〇のことどうしようかなぁ。とかとか。
これらはすべて今までの私の頭の中で起こっていたこと。一見オンオフわけて過ごせているようで、頭の中では常に行ったり来たりしていた。
そこから少しずつ、どんなときも目の前のことは自分が決めてやっていることであって、それならば心地よく楽しんでやるのが私の理想だと日々プラクティスしている。
だから今日は、カフェではカフェ時間を思い切り満喫した。丁寧にトーストされベストな熟れ時のアボカドの乗ったオープンサンドを見て、味わう。このペーストには何が入っているんだろうと観察してみたり、自分では買わないパクチーやライムがこんなにアボカドの味を引き立ててくれるのかと感動したり。焙煎所ならではのラテを目をつぶって味わったり、夫の頼んだアメリカーノと飲み比べて香りと味の違いに驚いたり。そしてたわいもない日々のことや夏にやりたいことの計画を、時間に追われることなくのんびり夫と話す。
帰宅してパソコンを開いてからは、生徒さんのライティングのフィードバックのことだけをやると決めた。調べる中で自分の中の語彙や表現もアップデートされていくから単純に面白い。ただ生徒さんの書いたものをこう言えばいいと直すのではなく、すでに持っている力を改めて気付いてもらえるようにコメントしたり、授業で扱った内容とつなげてちょっとした解説を入れたりする。そこで考えていることは、ただただ一人の生徒さんのことだけ。彼女が決めて学ぶ、そのプロセスで必要なサポートのことを考えると体がじんわりあったかくなって、目の前にはいない彼女のことをもっと応援したくなる。
だから、一見休みの日に半分は仕事をしているのだけど、今の私には仕事が遅い云々といった劣等感もないし疲れもない。あるのは、自分のために今日できることをやってどの時も充実していたなぁ、と満たされる感覚だ。
どう過ごすのが正解とかより生産的かなどを論じたいわけではないし、皆がこうするべきと主張するつもりもない。ただ、誰でもない「自分自身」が心地いいと思える時間をその時その時過ごせているか、それが私にとっての充実した時間というものに繋がるのかなという気がしている。