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アメリカ大学院の出願プロセス②

約3ヶ月でアメリカ大学院へ出願したドタバタな体験談を書いています。
前回までの話はここから→ アメリカ大学院の出願プロセス①

1月 - 締切まで1ヶ月 ! -


志望理由書&履歴書の修正、仕上げ
年末年始に志望理由書の下書きを完成させ、年が明けてすぐ、いつもお世話になっているC先生に見てもらいました。”Don’t panic.” と前置きされた後にワードファイルを開けると、赤でびっちり直しが。そのまっかっか具合に一瞬ひるんだものの(笑)、それだけ細かい文法や単語まで見て直してくれたということ。さらに、よりより単語やフレーズのメモまで記してくれていました。そして一方的に直すのではなく「ここで言いたいのはつまりこういうこと?」「この動詞でどうかしら?」と私の意思を確認しながら、赤だった部分を一つ一つ黒に直して仕上げていくというプロセスを、一緒になってやってくださいました。C先生の面倒見の良さには、感謝してもしきれません。

履歴書は、ネットで調べながら手探りで書き、学校のキャリアセンターで見てもらいました。ここで出てきたキャリアセンター担当者のおばちゃん。私は勝手に履歴書クイーンと思っているんですが、履歴書作成に関して知識が豊富で、小一時間で段違いにブラッシュアップしてくれました。どのような実績を書くべきなのか、どのような動詞を使うべきか、箇条書きに使うのはハイフンかドットか、太字にするかしないか、などフォーマット一つとっても、ここが変わるだけでこんなに見やすくなるの!?と心の中でずっと拍手喝采。学校の無料のサービスでここまでしてもらえるなんて思っていなかったのですが、学校のリソースはフル活用すべきと改めて感じました。

一発勝負のはずのTOEFL受験が…
11月に出願決意、2月1日締切、という非常にタイトなスケジュールの中で、1月のTOEFLは私にとって一発勝負のTOEFL受験になるはずでした。ところが試験日の数日前に、急に熱を出してしまった私…!病院での検査でインフルエンザではないと診断されたので、体調が許しさえすれば受験できる状況。キャンセル期限も過ぎていたし、何よりスコアがなければ出願できないので、這ってでも行って、受ける!と決めました。

当日、一応アメリカの強い市販薬を飲み、「やるしかない!」と気持ちだけはしっかり持って会場入り。が、しかし。リーディングが始まって20分ぐらい経った頃、目の前がサーー….っと暗くなってきて、まぶたがピクピクなり、いわゆる貧血のような症状に。問題解くどころか、もう座ってられない、ここで倒れでもしたら同じ部屋で受けている他の受験者のスコアに影響しかねない、それだけは避けないと、、、意識飛びそうな中で妙に冷静な自分もいて、静かに席を立って部屋を出てスタッフに体調が悪いと伝えました。会場まで送って行ってくれ、近くのスタバで自分時間を過ごしていた夫が、会場からの電話ですぐ駆けつけてくれたので、そのまま帰宅。

その日は本当に体調が悪く、帰ってからずっと寝込んでいたのですが、それでもうつらうつらし、ちょっと目を覚ましては「これからどうしよう」という途方もない気持ちだったのを覚えています。
私のために書類作成を手伝ってくれたり、推薦書を書いてくれた理、何より応援してくれた人たちがいたのに、それを全部ムダにしてしまった、、、。どうしよう、どうしよう、と。

ところが数日後、なんとか私の首はつながることになります。学校に戻りC先生に恐る恐るTOEFLを受けられなかったこと、スコアが提出できないから出願そのものが無理になりそうだということを伝えました。そこで一呼吸おいたC先生。「担当教授にメールしてみましょう。」と。

日本の文化では、締切に間に合わない=応募資格なし、と捉えられるかもしれない、条件を満たせていない人が機会を得たいとアピールすることは非常識と思われるかもしれない。でもアメリカでは助けを求めることは恥ずかしいことでもなんでもないこと。聞いてみなければわからないでしょ?

そこですぐさまC先生はメールを開き、担当の教授宛のメールの下書きを一緒に描いてくださいました。受験当日の体調不良のこと、その他の書類は全て揃っていること、TOEFLの点数のみ翌月受けて提出したいと考えていることを含めたメールを作成し、ドキドキしながら送信。
すると翌々日、担当教授から返信があり、それでいいですよ、とあっさりOK!!!聞いてみなければわからない、を実感した瞬間でした。

さらにまさかの締切延長が決定
そんなこんなでギリギリつながった私の出願でしたが、1月最終週になり、州立大学(第一希望)の応募締め切りが2/1から4/1まで延長されることが決まりました。
その大学はRolling basisで合格者を発表していると聞いていたため、基本的には早く出した方が有利な状況でした。ただ、私の場合はそもそもTOEFLの点を満たせてないことが不利に働くと思われたため、締切延長はより長くTOEFL対策できるむしろ絶好のチャンス!!C先生には “Study super super super hard!” と言われました。笑

2月 - 締切まで2ヶ月 ! -


TOEFL対策、そして受験
1月後半は公式問題集や中国TPO(公式に似た問題が無料で受けられるサイト)でひたすらTOEFL対策をする日々が続きました。そして2月の上旬に迎えた当日は、もうあっという間。緊張しつつも集中はでき、約4時間のテストが一瞬で終わりました。

6-10日後にオンラインでスコアが見られるのですが、おそるおそる開いて見えた結果は、95点。第一希望の公立校の条件100点に対して、あと一歩、足りていませんでした…。

もちろん自信があったかというと全くなくて。100点取れてたら奇跡!くらいの感覚だったので納得感というか、むしろ近い点数は取れていたこと、第二希望の私立大のスコア80点を満たせていたことに、どこか安堵感もありました。ただ、第一希望の大学の応募条件が満たせていないということは事実。ここまで、カツカツのスケジュールで準備して、諦めそうになったりもしたけど、なんとか可能性はつながってきた。締切が伸びるという予期しないチャンスもきた、、、なんとしてもねばって目標点を取って出願したい、ということで3月も受験することを決めます。

私立大、まさかのプログラム自体が…
ここまでずっと2校に出願すべく準備をしてきたのですが、2月中旬、私立大からimportant updateというタイトルのメールが届きます。
「学校の組織改編に伴い、本プログラムの募集は打ち切りとなりました。」

まさかのプログラム自体閉鎖…!第一志望としては公立大に傾きかけていたのでそこまでショックは大きくなかったものの、滑り止めとしての私立の選択肢がなくなるというのは大きくて。公立一本で出願、ここにきて本当に一発勝負になってしまいました。

できた時間で志望理由書さらに加筆修正
TOEFL中心の2月でしたが、締切が延びた分できることは全てやろうと書類もさらに加筆修正していました。その中でESLの別の先生にも志望理由書について意見をもらうことに。これまでお世話になりまくっているC先生は、日本に住んだこともあり、日本の大学生を対象に教えていたこともあるくらい日本文化や日本人をよく知ってくれている人。なんなら、私がものを言う前に言わんとすることを察し理解してくれるくらいの人!笑 なので、私のことを知らない誰かの意見も聞いてみたいと思ったからです。

そこで出会ったのがESLのF先生。なんとF先生、第一希望のプログラムのOGでした。志望理由書を読み終わったF先生からは「すごくよく書けていると思う。正直、私が応募するときに書いた志望理由よりずっと良いわ。」と、もったいないくらいの言葉が。そんな風に言ってもらえるなんて思ってもおらず、それまでのギリギリの精神状態もあってちょっと泣きました。別れ際「大丈夫だから、自信もって、頑張ってね。」とハグまでしてもらって、こんなによく言ってもらったんだから、もうひと頑張りしなきゃと思いました。

3月 - 締切まで1ヶ月 ! -

3度目の正直!でTOEFL受験、そして応募書類最終提出へ
書類はほぼ完成しており、だめ押しでTOEFLのラスト受験でした。3度目の正直…!慣れもあってか、前回よりスムーズに解けた感覚もあり、手応えとしては良かったんじゃないかな、という感じ。

しかし。またもや。しかし。
蓋を開けてみたら92点。むしろ前回より下がってる…!
短期戦だったとはいえ11月からずっと勉強してきたにも関わらず、目標点を取れなかったということ、そして、もう笑っても泣いても今あるベストスコアでしか評価されないということにショックと不安が一気に押し寄せました。

そこからの日々はもう、考えても仕方のないシナリオが頭をぐるぐる。出願条件が満たせていないんだから足切り的な感じでそもそも候補者として見られないんじゃないか、でも、応募人数が減少傾向って言っていたからチャンスはあるんじゃないか。ダメだった時の心の準備とそれでもまだ捨てきれない期待との間で揺さぶれれまくる日々。

そんな中、個人的にL先生(ESLの先生であり、推薦書を書いてくれた1人であり、さらには同じくプログラムに応募している同志でもある先生)と会う機会があり、ここでさらにことが動きます。
③に続きます!


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