駿台で1年浪人した話
今はもう消してしまったが、昔noteでつらつらと浪人生雑記というのを書いていた。
大学4年の今、特にすることがないので全く進まない就活の代わりに書き連ねようと思う。
浪人のことを聞かれると「人生の夏休みだったよ」といつも返している。最初は強がっていたのかもしれないが、今となっては本当に夏休みだったような気もする。
しかし浪人生の夏、友達と「浪人生、耐えきれなくて1%位自殺してそう」と話し合ったのを覚えている。よってメンタル強度下位1%の自覚がある人に浪人は勧めない。
思い返せば私が浪人で挫けそうになった時は大きく分けて2回ある。
1回目は忘れもしない自分の誕生日である。誕生日になった瞬間、誰からも誕生日おめでとう!のLINEが来なかったのだ。
本当にこれだけのしょうもないことである。ちなみに私は友達は多くなく、高校時代は一人でラーメンを食べ、カラオケに行き、まちをぶらついていたタイプの人間である。コミュニティで円滑に生きるために数人の友達はいたが、必要性は感じたことがなかった。
それでも高校時代は数人からパラパラ誕生日おめでとうのLINEが来てた。それに対して浪人中はものの見事に一通もこなかった。
高校の友達の多くは、大学に行き、新しいコミュニティの中で私のことなど忘れてしまったことに気づいた。それが否応なく悲しかったのだ。(ちなみに昼ごろになってきました。ありがとうみんな。)
2回目は2次試験の2日前である。私は国公立大学志望だったので、センター試験の後に個別の2次試験を受ける必要があった。
不思議と「無理だ」と思ってしまった。
きっと私は会場にたどり着けないと思った。
電車に乗って、試験会場に行く。それだけなのにハードルが無限に高く感じてしまったのであった。
きっと電車に乗っても、途中で降りてしまって、駅のベンチでうずくまりながら1日を終えるのだろうと思った。
とにかくもう無理だった。情けない。
そんなことを考えながら、何もせず半日が終わった。夕方になんとなく駿台に行った。
階段を登ると、偶然友達と会った。「もう会えないと思っていた!!」と言われた。
その子は入試までに会いたい人をリストアップしていて、そこに私が入っていたらしい。会えてよかった。と言われた。
その後、その子も含めて、駿台の同じクラスの人たちと少し話した。久々の会話だった。
くだらない話を30分ほどした。そして1日が終わった。
帰り道は不思議と元気だった。きっと私は試験会場にたどり着ける。そんな気がしたし、それで十分だった。
結果として私は試験会場にたどり着けた、しかし第一志望の入学には手が届かなかった。
そして私の浪人生活は幕を閉じたのであった。