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2012年、気仙沼、唐桑地区の牡蠣養殖場にて

2011年のあの東日本大震災の時、直接どこかに届けられるものを、と、思う中、ネットで三陸で壊滅状態になった牡蠣養殖を支援する為1口1万円で牡蠣オウナーにならないか?という情報があった。
そのお金で養殖に必要な資材を購入して養殖を再開し、いつになるかはわからないけど、いつか牡蠣がまた採れた日には、その牡蠣をお礼として送ります。というものだった。
私は牡蠣が送ってくることにはあまり期待せずに、とりあえず、お役に立てれば、と、2口だけ支援させてもらった。
そのことなどすっかり忘れていた翌年6月、宅配便で何やら送られて来た。
それは何と、立派な牡蠣だった!!
本当に、美味しく、立派な。
産地には、「唐桑」と書いてあった。
オウナーになりながら、できた牡蠣については何年先になるか判らない、ずっと先、忘れた頃に、いや、送って来ないかもしれない、と、思っていたのに何と、1年後にこんなに立派な牡蠣が??
唐桑の養殖場を見に行きたいと思った。

その当時、ドイツから高校2年生の留学生が来ていた。1年前、震災が起こった時、彼女はクラスメイトとマフィンを焼いてその売上金を日本に送ってくれていた。原発事故があり、日本に来るのを辞退した学生も沢山いた中、彼女は来た。
だから、聞くと、彼女は一緒に行きたいと言った。
ご両親にも承諾を得て、彼女と彼女と同い年の8月にオーストリアへの留学を控えた次女、三女、四女、そして主人と、子ども達の夏休みを待ち、初めての東北旅行に京都から車で行った。
その方が近いということで、名神から北陸道、磐越道を通って東北道を通って行くのに、行きは会津若松で一泊、そして唐桑地区で評判のいい民宿は全て復興の土木作業の人達で埋まっているとのことで、気仙沼大島に一泊、帰りは柏崎刈羽原発を見るのに柏崎で一泊して帰ることにした。

初日、会津若松で一泊した後、二日目、いよいよ気仙沼へ。
会津で鶴ヶ城に寄った時、石垣が落ちるなどの爪痕は見たけれど、磐越道、東北道と高速道路を通っている時には1年経ち、それほど被害は感じられなかったが、一関から気仙沼方向に向かい、太平洋が見える辺りに出た瞬間、景色が一変した。
あの、テレビや写真で見たことのある、陸まで上がってしまい、そのままになっている船もあった。仮説の屋台村のようなお店があった。
そのお店の一つで牡蠣の話をして、唐桑の養殖場の場所を聞くと、「畠山さんのところだな。」と。どうも気仙沼の中でも唐桑地区というのはその、「森は海の恋人」というポリシーで環境保全活動をされているところなことが判り、だから復興も早かったらしい。
養殖場に近づいて行くと、津波で家々がさらわれ基礎だけになり、水が残っているような状態のところに出た。早馬神社という神社の入り口、その上の方に見える神社の建物だけが残っていた。
牡蠣の養殖場と思しき入江まで歩いて行き、そこにいた漁師さんと思しき方に事情を説明し、お話を伺った。
その方は牡蠣の養殖ではなく帆立養殖をされている方で、その部会長の方とのことだった。
その方によると、「とにかく津波が来て、下にヘドロ状に溜まったものが上がって流され湾の中が浄化された上に、見て解るように家が流され基礎だけになり、人の暮らしがなくなり、生活排水が流されなくなったから、普段2年かかって成長する大きさに1年でなり、自分達も大変驚いた。」というのだ。

津波、大地震・・人間にとって大災害が必ずしも自然界全体、人間以外のものにとってもそうだとは限らない、むしろ、環境が好転するのだ…ということを、ただ知識や想像としてではなく実感として持つこととなった。
人間、もっと謙虚にならないと…。

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