8/9深夜 なぜ帯バッグのなのか、を力説
↓にも何故?を書いていますが、
さらに8/9深夜 仕上げる前に、何故帯バッグなのかを力説していて、それがこのプロジェクトの肝にも通じるので、記しておきます。
8/10 2:28
すみません。ちょこちょこ吐き出させてください。
帯バッグのポイントは、収納できるということの他、「取り外せる」ということなんです。
で、着物をストリートファッションの域に、と、考えた時、「裾からげ」や「尻っぱしょり」という変化形を考えた時、男性の岡っ引きとか旅ガラスでイメージするスタイルと異なり、女性の場合は下の画像にあるように長襦袢が剥き出しな形となり、それが正式で構わないにせよ、舞妓さんやら芸妓さんの赤い蹴出しなら見慣れているのでいいけれど、個人的にはできるだけ避けたい感じがして…。
当時はレギンスなど穿く女性はいなかったけど、今では冬場など着物の下にヒートテックのレギンスを穿くことが多いので、そうしていれば結びの部分がなければ岡っ引きスタイルもできるなぁと思っています。
更に襷掛け、なんかと組み合わせたら、例えばフード付きのレインポンチョみたいなものも合わせられそうで。
それこそ冬に向け、前からあったらいいなと思っていたフリース(はもう時代に合わないのかもしれないけれど)的な素材の上着も作れそうでワクワクしています。
そういう観点から、太鼓バックは取り外した後リュックにもできないか?とか。
既存の小さめのリュックを帯代わりにできないか、とか、色々妄想を広げています。
何というか、日本文化の特性というか、着物も和室も共通して「臨機応変性」があるのでそれを示したいです。
こちらは一夜明けた朝に書いていたこと、オリンピックの開会式を見て感じたことなのですが、これも、一連の構想に通じると思うので、記しておきます。
8/10 8:23
巨大な組織(構造物、雇用、産業そのもの?)を維持しようとする為に、簡単に、新しく安価でできるアイディアが解ってても、魅力的だと思ってもできない…みたいなことってきっと多くて、
また、それが面白そう、と、思った個人も、効率を考えると机上の勉強のみするのが得策、もしくは、それしかさせてもらえなかったりして、実は生きて行くのに一番大切何自ら創り出す能力を奪われているので諦めてしまうケースが多いような気がします。
この、一番最後のくだりは最初に服を作った頃にも書いていたと思います。
組織を維持する為に、敷居(価格)が上がっていること、一杯あって。
敷居が上がってしまうことにより、触れることすらできなくなって、多くの人が「知ること」「体感すること」すらできなくなる。
世の中を仕切るのは、発注元も、受注側も、もはや机上の読み書き算盤、もしくは部活的スポーツしかしたことのない人達。
となると、開会式、閉会式があのような形になっても仕方ないと思う。
私は 学校 ですら、随分前からその一つになっている、と、思っていて。
今やネットにさえ繋がれればかなりのことを無料で学ぶこともできると思うし。
組織に入る為のお墨付きを得ようとせず、就職ではなく創職する個人が沢山増えて、それらが互いに協力し合えれば、どんなに素敵だろうと思ったりするのでした。