はじまりのはじまり
昨日、初めて作った服3部作その1、その2,3のオマケとしてエプロンのことをアップしようとした時、そのエプロンの前に作った対のエプロンのことを思い出し、遡って調べるうち、布を使った物作り熱のはじまりのはじまりがいつなのかが気になり、ずっとスクロールして、その年の1月まで遡って調べたのだけれども、それが判る記事が見つからず、さっき、ミシンの購入履歴が判ればと、調べてみたら、2015年の4月21日に購入していて、その日に書いた記事は見て抽出していたことを思い出しました。
「4/21 12:27
半年ほど前から創作意欲が炸裂して素敵な作品を連発している友人を見ていましたが、私も何か、いい物が作れるかどうかは判りませんが、封印して来たそういうのもが爆発しそうな予感。
で、よく、今時の子ども達はどうして小さい時から電子機器を扱えるのか?というアホな?ことを言う人がいますが、それは、それが身近にあったからで、そういう意味でも「道具がある」というのはかなり大きいと思うこの頃。
以前、服飾系の学校を卒業して仕事をしていた友人に子ども達にバッグの作り方を教えてもらったことがあるのですが、例えば自分など、もし作るとすればいつも自分が持っている、濡れても平気なナイロン素材と皮や帆布を合わせたようなものを作りたい…と、思った時に、「そういう素材は家のミシンでは…」ということだったので、だったら作らない…となっていたので、ここんところ集中して、コストパフォーマンスや持ち腐れにしない可能性なんかも色々と頭が痛くなるほど考えに考えて、道具を色々注文しました。
そもそも苦手意識が先に立ち、使ったことすらロクにない機械達ですが、とにかく届いたら使って、想いを形にできるようにしよう。
そう決心してから、妄想?が、後から後から湧いて来て、そもそもは廃版?番?になってガッカリしている何代も渡って同じものや色違い大きさ違いを持っていたバッグと同じ物を作りたい…だったのですが、つくり帯…も、お太鼓だけじゃなくてもいいんじゃないか?とか、こんなものも、あんなものも、と、自分の技術は全く棚に上げて妄想が膨らんでいます。
でも、昔、ピアノを習っていた頃、練習曲では腕が上がらなくても弾きたい曲ならそれまでのレベルより相当難しい曲でも弾けるようになった経験もあるし、とにかく「やりたい、作りたい「気持ち」」が大事なのだと信じて頑張ります!
もとい、夕べ、頑張ります!って言ったら「趣味なんやから楽しんだらいいんや。」と言われたんで、楽しみます♪」
どうやらこれが始まりの始まりなようです。
そして、今と同じようなことを言っていて、びっくりしました。
そして、この時どんな妄想を膨らませていたかは思い出せないけど、この時想っていたものを、最近作りました。
改めて自分の「諦めなさ」、「執念深さ」に驚いています。
さらにスクロールしていたら、その前に、元々工業用ミシンの使い手で、カイロプラクティターの主人がカイロプラクティックの治療に必要な道具を縫う為にヤフーオークションで工業用ミシンを購入、その運搬、搬入に付き合い、早速使っているところを見ていました。それに触発されたのかもしれません。
更に、同じ日、
「4/2112:45
そもそもは、先程言った廃版になった実用的なバッグ…もきっかけだったのですが、着物…特にデニム着物のような普段の着物に合う普段のバッグ…例えばそのバッグの手持ちバージョンとか…、また、スパイスのようになるバッグ…みたいな物が作ってみたい…が、出発点だったのですが、実際にデニム着物を購入して着用することによって、色々な疑問→妄想が膨らんできました。
・やはり、基本単でも八掛けまではいかなくても、チラッと気の効いた裏が覗いた方が可愛い。
・裏がないとまとわりつく。
・「着物」の普通の仕立て…には、着物地の反物の幅による制約によるものが大きい。
その制約がない幅の広い布で仕立てる時に、果たしてわざわざ反物の幅で生じる場所で「切り替え」をする必要があるのか?
・様々な二部式が考案されては「も一つ」なものとして普及せずにいるけど、下着などは上下別なものもあるわけで、着物としての完成した形を保ちつつ、さっと着付けられる上下別なものはできないか?
・着物から洋服を作るの逆で、洋服から着物は作れないか。(帯も含め)
などなど、思いのままに布をパッチワークして作品を作る“素パッチワーク”で作品を作る友人もいるので、彼の作品に勇気をもらって、やってみたいことが一杯!あるのですが、それは、たまたま訪れたバングラデシュで出会った一つ一つが一点ものの手仕事あふれる民族衣装やこの間訪れたカンボジアでまさに腰巻きと同じ要領で着付ける巻きスカートの民族衣装に出会ったり、アジアを旅したことの影響もとても大きいです。
例えば、デニム着物にも、このバングラデシュの服のようなパイピング・ちらっと裏…が施されていたらもっと楽しいに違いないのに!
とか。
着物の上前にミラーワークが施されても面白いよな〜・とか。
とにかく楽しみたいと思います。」
と、
の写真を添えて書いています。
そうこの時既に、バングラデシュに行き、この服と出会っていました。
今回のメインとなるべき2021年6月からの波、これから作りたいものへの構想/妄想も既に持っていました。
そしてまた、今後、今年の波を紹介する中伝えたいと思っていたことも、既に思っていました。
「5/3 8:35 今、友人の投稿を見て、最近考えていたことを思い出した。
それは人間の劣化?のこと。
なんちゃって普段着物生活を始めて、そう言えば母に母が父のところにお嫁に来て、立石信子となる前に既に未亡人だった父の母・四方信子と同居していた頃は、家で「洗い張りの手伝いをした。」と言っていたことを思い出した。
旦那のお母さんは私の祖母よりは下だけど同じ明治の人なので旦那にその話をすると、うちでも同じようにやっていたと。
で、私が「洗い張りを自分でするってことは、その後自分で縫ってた、ってことやんなぁ。」と言うと、「もちろんそうや。むしろ縫えない人の方が少なかった。」
そういうことやんなぁ!一張羅はどうか知らないけど、普段着は家で洗って仕立て直した時代!(◎_◎;)。
おばあちゃんが嫁いでからの鳴滝の家にも和裁をするお手伝いさんがいたのも思い出した。
だから、祖母から下がって来たものには、この間から活躍している作り帯のように、明らかに元は普段の着物であったと思われる半幅帯が結構ある。
身近に物を作る主人がいると、この頃つくづく、よく「手づくり」というと、ちょっと不恰好なできそこないのイメージがあるけど、殆どの場合、製品も「誰かの手作り」だと思う。
いつの間にか、リアルな針仕事よりペンを走らしてハッタリかます人の方が偉い?(結局、稼げる…っていうこと?)みたいなことになり、そのうち他人のお金(というよりは「数字」)を右から左に動かして、リアルには殆ど何もせずに巨万の富を築く人がカッコいい、みたいになった結果、人として誰もが当たり前に持っていた、生きる為の術が急速に失われたのだと思う。
自分はなんか、その辺のことを、取り戻したい!と、思っているのだと思う。
まずはミシンから入るけど、最後は手で着物を縫っているような気がする。」
と。
また、これを読んで、こんな準備もしていたことを思い出した。
「5/5 11:10
刺繍もできるミシンでオリジナル画像をプログラムする為のブラザーが出してる「刺しゅうPRO NEXT 」というアプリケーションの最新版が、まさかのWindows XP, vista, 7対応なので、今はネットからも外し、ラ・ネージュの会計のみに使っているASUSのミニノートにインストールしたら、無事使えるようになり、主にオリジナルのイラストなどを刺繍データにするのに使うつもりだけど、試しに内蔵データの猫を出してみたら、今、ここで寝ている人にそっくりだったんで、またどこかで使ってみようと思いました。
準備はできたので、次の作業に移ります。
」
長らく触っていない、古いノートパソコン。これ専用に使えると思うので、やってみよう。この時買ったミシンの機能も、まさに今、取説を見ながら頑張って一つ一つ試してみて、都度感心しているので、どんどん活かしていきたいと思う。
このミシンの刺繍ソフトの準備の後、前回の投稿の最初のポーチ作りに続くのでした。
そして、いよいよ2021年6月の波!と、行きたいところですが、2017年の初めての服づくりの前年の2016年の鯉のぼりのことを書かせてください。
どうやら2015年のエプロンの次が、その鯉のぼりだったようです。
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