「ていねいな暮らし」をする
「人生を生き抜いていくモチベーション」について考えることがよくある。
その答えは、これまでの記事にも書いているように「幸せを積み重ねていく」ことだと今は考えている。この幸せは、短期的なものと長期的なものの2種類に大別されると考えていて、現在の生活で幸せを追い求める姿勢をベースにしつつ、今やっている辛い・逃げ出したいことは長期的な幸せをつかむための助走部分だととらえている。
話は変わるが、最近自分はあまりnoteの投稿をしていなかった。つまり(?)、自分の思考を整理する機会を見失っていた。夏休み期間には海外に行って、国内旅行にもたくさん行って、友達とこれ以上ないくらい遊び倒して、バイトもたくさんして、マジックもして、陶芸も十分して、カラオケもして、帰省もして、彼女までできて、ほぼ全ての短期的な幸せはつかみきったんじゃないかと思う。
でも、なぜか不安な感じがする。心の中にモヤモヤがあって常に落ち着かない。なぜだろうと考えたときに、脳内会議をする機会がめっきりなくなっていたことに気づいた。自分は昔から脳内での独り言が多い。死について考えたりとか、コミュニケーションの取り方について考えたりとか、自分の中でもう1人の自分と相談してなんとか答えを紡ぐ。そんなことを日常的にやってきた。対外的な活動が多すぎて、自分と向き合う時間が無くなってしまっていた。
「自分の思考を整理する機会を定期的に設けよう」と戒めるのは今回のテーマではない(もちろん頭にとどめておく)。問題はむしろそうなってしまった原因のほうにある。「ていねいな暮らし」ができていなかったからだ。朝はしっかりと起きて顔を洗う。そしてご飯を作り、食べ、歯を磨き、着替える。その後は大学に行き、講義を受ける。サークルに行って、家に帰ってくる。やるべきことを片付け、自分の時間をとり、寝る。
短期的な幸せは、何も簡単に言語化できる物事だけから得られるわけではない。「ハイキュー!!」で北さんが言っていた。「反復・継続・丁寧は心地いい」。毎日の生活の中で自然に行っていること、たとえば朝起きること、部屋を掃除すること、料理をすること、そういった生活の中の行動からに活力を見出し、幸せを感じる。その姿勢が足りていないんじゃないかと思った。
思えば、自分は突発的な行動に身を任せてしまうことが多く感じる。ギャンブルだってそう。日々の生活の中に内在している幸せをきちんと感じられるように、「ていねいな暮らし」を継続していく心持ちを忘れないようにしたい。
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