ランダウが19歳で導入した密度行列の解釈を巡って
量子統計力学における密度行列(統計行列)という概念はランダウが若干19歳の1927年に初めて発表しています。この密度行列については、ランダウ・リフシッツの統計物理学の教科書の§5でも説明があるのですが、この説明の一部箇所がとても高度でSNSなどでもさっぱりわからないと言う意見を聞いたので少しだけ解説してみようと思いました。
そのさっぱりわからないという該当箇所を和訳してみると
「とりわけ、密度行列の方法による系の記述を、部分系がいろいろな波動関数で指定される状態にいろいろな確率で見いだされ、それらの確率について平均している、ともし考えたのなら、その解釈は非常に間違っている。そのような取り扱いは量子力学の基本原理と矛盾する。」
となります。手元に和書がないので英訳から自分で訳しました。
ここが難しいのは、量子統計力学をある程度理解していたつもりの人でも、自分の密度行列の理解が、「量子力学の基本原理(ここでは重ね合わせの原理のこと)に矛盾する」と木端微塵にされる可能性があり、それについてはこれ以上全く何がいけなかったのか書かれていない点にあります。カノニカル分布の密度行列 $${\rho = \frac{1}{Z}\sum_n e^{-\beta E_n}|n\rangle\langle n|}$$は、エネルギーが $${E_n}$$ の状態に確率 $${P_n = \frac{e^{-\beta E_n}}{Z} }$$ で分布している状態を表しているのではなかったのか?と。 俺、その理解で授業の単位も取ったし大学院も受かったのに…と。
この理解のどこがどう間違っているのか書かれていないので、読者は推測するしかないのですが、私の理解はこうです。確かに、純粋状態の確率混合を想定して密度行列を作ることはできるけれど(実際にランダウもそうやって作っている)、与えられた密度行列を純粋状態の確率混合として理解する方法は一意でない。たとえば、2準位のスピン系を考えたときに、スピンがz軸+に定まった純粋状態とz軸-に定まった純粋状態を確率1/2で混合した密度行列と、スピンがx軸+に定まった純粋状態とx軸-に定まった純粋状態を確率1/2で混合した密度行列は等しく区別が付きません。こういう例はいくらでも作れて、スピンがz軸+に定まった純粋状態とスピンがx軸+に定まった純粋状態とx軸-に定まった純粋状態を確率1/3で混合した密度行列は、スピンがz軸+に定まった純粋状態とz軸-に定まった純粋状態を確率2/3と1/3で混合した密度行列と等しく区別が付きません。
つまり、確率混合に基づいた密度行列の「古典統計的な解釈」は使う波動関数の基底に依存していまうために、文字通りに、ある波動関数にどれくらいの確率でいて~と解釈することは(波動関数の基底の取り方に物理的な予言が依らないという)重ね合わせの原理と矛盾することになるというわけです。あるいは、古典的な確率混合による解釈は無限の冗長性があり、量子力学で区別できないものを区別しようとしてしまっている、その無駄を取り除いた本質が密度行列であるとも言えるでしょう。(ただ、そう解釈することが「非常に間違っている」とまで言えるかは私だったら留保しそうですが。)
多分、こうやって説明してもまだ難しいと思います。実力不足で申し訳ない(コメント欄に少しだけ補足しました)。そう思うと、あえて説明をしないランダウの書きぶりが金に思えてきました(しかし、これを19歳で一人で作り上げるとは…)。だからといって、皆さんの大学の統計力学を教えている先生に、該当箇所の意味とか聞きに行ったり、その対応で教員を値踏みしちゃ絶対だめですよ!
さて、こういう事情があるために、密度行列が「客観的に存在する物理対称」とみなせるかどうか、議論が必要だと思います。これは、古典的な確率分布は解釈が一つしかなく、アンサンブルに客観的な意味を持たせられることと大きく違うからです。量子(統計)力学の確率が古典(統計)力学の確率と一番違うのがここで、量子力学における確率は「測定しようとする前」には存在しないのです。晩年、ワインバーグは(コペンハーゲン解釈では客観的に存在すると言えない)波動関数に基づかない量子力学を模索しました。その中で、(波動関数と比較して)密度行列は客観的に存在すると言えるだろうか?と考察します。その議論をまとめた論文を紹介して本稿を締めくくりましょう。
その中でワインバーグは「(系を記述するのに)状態ベクトルがいろいろな確率を持っているというアンサンブルによる記述は諦め、単に密度行列を使うほうがよい」と言っています。あ、これランダウと同じこと言ってる?
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