ランダウの統計力学とエルゴード仮説

ランダウ・リフシッツの統計力学の教科書の初版はランダウが30歳、リフシッツが23歳である1938年に書かれており、その1938年の初版の緒言(英訳から翻訳)には

「古典統計力学の基礎の議論では、我々は初めから系のサブシステムの統計分布を考え、閉じた全系の統計分布は考えない。これは、物理的な統計分布に関する基礎問題とその目的にかなったものであり、エルゴード仮説あるいはそれに類似した仮説の問題を避けることが可能になるからである。実際のところ、エルゴード仮説の問題は、統計物理の目的のためには重要でない。」

とあります。また4章の脚注では、

「ここでもう一度強調しておきたいことは、この分布(注:マイクロカノニカル分布のこと)は閉じた系の真の統計分布ではない。マイクロカノニカル分布を真の統計分布だとみなすことは、十分長い時間の間に、閉じた系の相空間での軌跡が等エネルギー面のすべての点の任意の近くを通ることを主張するのと等価である。しかし、この主張(エルゴード仮説と呼ばれる)が一般的に正しくないことは明らかである。」

とあります。

このことから、ランダウは統計力学の基礎にエルゴード仮説を置くことに反対していることは明らかなのですが、

1.なぜか、ランダウ・リフシッツはエルゴード仮説を認めていると読む人

2.ランダウ・リフシッツはエルゴード仮説を字面では認めていないが、実は、暗に認めているという人(これについても誤読なのですが、残念ながら記事が長くなったので今回は述べません。)

が結構いるようなので、何か書きたいと思っていて幾星霜。しかし、最近、田崎さんの統計力学の教科書のエルゴード仮説周りがアップデートされたと聞いて少し(だけ)思うところを書いてみることにしました。

https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/statbook/section41.html

さて、エルゴード仮説は認めていないランダウ・リフシッツにとってマイクロカノニカル分布とは一体、何なのか?というところから始めましょう。彼らは、平衡状態を記述する(時間平均と一致する)統計分布があるとしたら、リウビルの定理があるために、相空間上での運動(流れ)に対して、統計分布は一定値を取らなくてはいけない、つまり、運動の積分の関数である。と言います。ところで、閉じた系に関して、(そのような統計分布は無数にたくさんあるが)一番簡単なものは等エネルギー面に対して定数と取るいわゆるマイクロカノニカル分布である、と主張します。ここで、上に引用した脚注「ここで強調しておきたいことは~」が続きます。

ランダウ・リフシッツは、ここから先、閉じた系の統計力学をするときに、マイクロカノニカル分布を使うわけですが、「真の統計分布ではない」と言っておきながら、それを使う根拠が理解できないという疑問に答えておきましょう。まず、そもそも、他にどんな統計分布が考えられるのかというと、統計分布は運動の積分の関数であればよいので、エネルギー以外の運動の積分の値によってマイクロカノニカル分布にさらに濃淡をつけることが可能です。実際、ある固定された初期値からスタートした閉じた系の統計分布は、全部の運動の積分の値が固定されてしまっているので、いくら時間が立っても、運動の積分の値が異なる軌跡とは交わらず、マイクロカノニカル分布にはならないというのがエルゴード仮説が成り立たない立場です(注:エルゴード理論との関連には測度論的な細かい議論が必要)。

じゃあ、何なんだ?と思うかもしれませんが、ここで思い起こすのが、ランダウ・リフシッツの統計力学の原理は(他の和書にあるような等重率の原理、これはランダウ・リフシッツにはこそっと(ボルツマンの理想気体の取り扱いでは)正当化が難しいと書いている、ではなく)2章で書かれているサブシステムの統計的独立性であり、あくまで、サブシステムが満たすカノニカル分布を一直線に目指しているという点です。2章で提示される彼らの原理は、(個々の粒子の物理量でなく)「マクロな物理量」に関しては、閉じた系の(マクロな)サブシステム間で統計的に独立である、というものです。ここから、サブシステムの統計分布は加法的な運動の積分、つまりここではエネルギーにのみ依存し、他の運動の積分には依存しないことが導かれます。そこで、この統計的独立性が担保される「マクロな物理量」に関しては、サブシステムの統計分布から求まったもの(つまり、カノニカル分布)と、閉じた系で計算したものが(無視できるゆらぎを除いて)一致するはずです。よって、「マクロな物理量」に関しては、閉じた系での真の統計分布で計算しようとしても、エネルギー以外の運動の積分による細かい統計分布の違いは効かないはずで、それ故に、真の統計分布でなくても、(田崎さんによる至言を借りれば)「装置として」マイクロカノニカル分布を用いれば(簡単に)正しい答えが出る。ということになるわけです。

つまり、極端なことを言えば、相空間上の等エネルギー面のすべての点で平均しなくても、(もし実際に計算可能であれば)相空間上のある一点から始まる軌跡の上で「マクロな物理量」を平均すれば、マイクロカノニカル分布と同じになるはずだとも言えます。エルゴード仮説では「すべての物理量」に対して、マイクロカノニカル分布と時間平均が一致すると主張するのと対比的です。量子力学をご存知の方は Eigenstate Thermalization Hypothesis (ETH)に対応するものになっています。つまり、量子力学で、時間依存しない(等エネルギー面上での)一般の密度行列はエネルギー固有値を $${|a\rangle}$$ として
$${\hat{\rho} = \sum_a |c_a|^2 |a \rangle \langle a|}$$
となるため、上で述べたエネルギー以外の運動の積分の濃淡によって、$${|c_a|^2}$$ の値を適当に選べます。しかるに、ETH が正しければ「マクロな物理量」に関しては、どんな $${c_a}$$ でも、$${|c_a|^2}$$ を $${a}$$ によらない定数に取ったマイクロカノニカル分布と同じ期待値を与えることになります。(ここで、マクロな物理量に限るのは、例えば、物理量としてあるエネルギー固有状態 $${|n\rangle}$$ への射影演算子を取ってくると期待値は、$${|c_n|^2}$$ とマイクロカノニカル分布と違う値がでるなどすぐ反例が作れるからです。ある物理量がマクロかミクロかはこの立場ではハミルトニアンに依存することに注意します。)

なお、ランダウ・リフシッツの教科書では、エルゴード仮説を使わない根拠として、閉じた系の統計分布を定義するために必要な時間平均がとてつもなく長くなる「エルゴード時間」の問題は触れていません(ただし、彼らはサブシステムの統計分布にしか興味がないため、系が大きくなればなるほど待つ時間が増えるという疑念はサブシステムの統計分布には当てはまりません)。上の量子力学の議論でも、一般の純粋状態に対する行列要素では、$${\hat{\rho}(t) = \sum_{a,b} c_a c_b^* e^{-i(E_a-E_b) t} |a \rangle \langle b|}$$ なので「全ての」物理量に対して時間平均が一定とみなすにはエルゴード時間程度待つ必要があります。(ここでエルゴード時間が出てくるのは、ボルツマンの式より等エネルギーシェル上での「エネルギー差」が$${S}$$ をエントロピーとして典型的に $${e^{-S}}$$となるからです。) 

さて、最後に、なぜランダウがエルゴード仮説を認めなかったのか?について私見を述べたいと思います。1938年というのは、もちろん、フェルミ・パスタ・ウラムの実験の前であり、KAM理論の生まれる前です。その当時、ランダウが複雑な力学系に対してどのような直感を持っていたのか明らかではありませんが、ランダウの力学の教科書の古いバージョン(を解説した記事)によれば、可積分系に小さな摂動を加えても可積分的な性質が「ほぼ」保たれると考えてたらしいと聞いたことがあります(これは、KAM理論によって精密化・否定される)。もし、そうなら、ランダウがエルゴード仮説は一般に正しくないと考えていたのは、自然なことだったのかもしれません。


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