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【ショートショート】常連とストーカー

「お待たせいたしました。こちら『プロシュートとフレッシュバジルのペンネ』でございます。」

店内に流れるクラシカルなBGMによく馴染む声が静かに響く。
二十代後半と思われるカップルの間に置かれた本日のパスタは、低めの天井から吊るされた暖色のライトの下で美しく輝いている。

僕のアルバイト先であるこのお店は隠れ家風のイタリア料理屋だ。その雰囲気もあってカップル客が大半だが、お一人様も珍しくない。
二名掛けテーブルが四席と四名掛けテーブルが一席、そしてオープンキッチンの目の前にはカウンター席が六席ほどある。今日もそこで常連のおじさんが一人、チーズ片手にワインを愉しんでいる。

「失礼いたします。」

軽く会釈をしてカップルの席を離れる。
料理の説明や立ち居振る舞いも様になったものだな、と自身の接客に酔いしれながらこの店でアルバイトをしはじめた頃を思い返す。
あの頃はたどたどしかった料理の説明やワインの注ぎ方も、3年目にもなれば慣れたものだ。

「須藤くん、Aテーブルのお料理お願いしまーす。」

キッチンから自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
いつものようにお客さんのテーブル状況を確認しながらキッチンへ戻ろうとしたが、とあるテーブルに目が留まる。

そこでは三ヶ月前に入ったアルバイトの美咲ちゃんがオーダーを受けている最中だった。

「ご注文繰り返します。夏野菜のバーニャカウダがお一つ、和牛赤ワイン煮込みがお一つ...」

初々しさのある言葉遣いと声のトーンから不慣れなのが一目瞭然だ。
僕はそんな彼女の接客を厳しい目で見守っている、訳ではなくただただ見惚れている。彼女の可憐さに。

肩まで伸びたつややかな栗色の髪、透きとおるような白い肌、大きく煌びやかな瞳。
その容姿に加え、誰にでも分け隔てない態度で笑顔をふりまく天真爛漫さや、一生懸命さが伝わる働きぶりが相まって、お客さんからもお店のスタッフからも人気だ。
彼女とすれ違う男は皆、彼女の『魅力』という引力に視線が引き寄せられるだろう。僕も例外ではない。アルバイト中はなんとかその引力に逆らおうと奮闘しているが、気がつくと目で追ってしまっている。

「美咲ちゃん、今日も可愛いな...」

思わず口をついて出た言葉は、来店を知らせるドアベルの音にかき消された。

「いらしゃいませ。」

思考を切り替えて入り口に向かうと、そこにはモデルかと思うほどの容姿の男性が立っていた。
整った顔立ちで身長は高く、お店の低い天井に頭をぶつけてしまうのではないかと心配になる。

「また来ちゃいました。」

申し訳無さそうにおどける彼はこの店の常連さんだ。僕はちょっとした嫌味を込めて心の中で「イケメン常連」と呼んでいる。

少し気合を入れて笑顔をつくり決まり文句を唱える。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます。こちらの席へどうぞ。」

そう言ってカウンター席へと案内していると、他のテーブルのお客さんが「オーダーいいですか?」と手を挙げているのが見えた。
「すぐお伺いします。」とだけ声をかけて、イケメン常連を席へと座らせた後、メニュー表だけ渡してすぐに先程のテーブルへと向かった。

オーダーを伺った後イケメン常連におしぼりを出しに行こうと思ったが、既に美咲ちゃんがオーダーを伺っている最中だった。
美男美女が並ぶその光景を目の当たりにすると、嫌でもカップルに見えてしまう。
だが、それはありえないとすぐに分かる。なぜなら美咲ちゃんの顔が明らかに引きつっているからだ。

あのイケメン常連は僕がここでアルバイトを始めた頃には既に常連だった。
しかし、美咲ちゃんがこの店でアルバイトをするようになってから、明らかに来店のペースが上がったように感じる。
彼は美咲ちゃんと話す時、ニヤつきが隠せない口元をし、品定めするかのような目で彼女を見るのだ。それに気がついているのだろう、美咲ちゃんは初めて彼の接客をした時からあの調子だ。

今まではなんとか堪えていたが、今日ばかりは限界だった。
アイツが原因で美咲ちゃんが辞めてしまったら最悪だ。僕が助けないと。

「店員さん、本日のパスタってなんですか?」

イケメン常連が試すような口調で美咲ちゃんに質問する。

「あ、え...と、本日のパスタは...」
「本日のパスタは『プロシュートとフレッシュバジルのペンネ』でございます。」

彼女が口ごもっている隙を見計らって間に入る。

「美咲ちゃん、Cテーブルさんのオーダー伺ってもらえる?」

と、イケメン常連に聞こえないよう彼女の耳元で嘘の仕事を頼む。その瞬間ふわりと漂ったシャンプーの香りに意識を持っていかれそうになるが、なんとか耐えた。
彼女はバッと後退りし、逃げるようにCテーブルへと向かった。
少しは美咲ちゃんの力になれたかな。自分の行動を誇らしく思う。

「すみません、Cテーブルのお客様が彼女の知り合いみたいで、代わりに僕の方でご注文承ります。」
「あ、そうなんですね!じゃあその本日のパスタと〜、あと、それに合う赤ワインお願いします。」

彼は気にしていない素振りを見せながらも、Cテーブルへ向かった美咲ちゃんをチラチラ見ている。これまでの言動から、彼女へなんらかの執着があるのは明白だった。

キッチンにオーダーを通した後、自分でワインを注いで彼のもとへと運ぶ。

「失礼いたします。こちら『キャンティ クラッシコ』イタリアのフルボディでございます。」

そう言いながらワインをテーブルに置く瞬間、彼の見ていたスマホに映る写真が目に入った。同時にとても嫌な予感を覚える。

「あ、ありがとうございます〜。」

こちらに目を向けながらスマホをしまおうとする彼に咄嗟に声をかけてしまう。

「猫、お好きなんですか?」

彼が一瞬戸惑った表情をしたので「すみません、覗き見するつもりはなかったのですがスマホの写真が目に入ってしまって。」と言い訳をする。

「いえいえ、気にしないでください。写真撮るの好きで動物とか風景をよく撮影するんですよ。猫は好きですけど特別猫ばかり撮るわけではないです。」

そう言いながら先程の写真をこちらに見せてくれる。
夕暮れに染まった空の下、塀の上にいる猫が欠伸をしている、という構成のいたって普通の写真だ。だが僕が気になったのは猫ではなく塀の向こう側。そこにはモダンな色使いで無骨な二階建ての一軒家が写っている。そして僕はこの家を知っている。

この写真を見かけた時から、頭の中であらゆるピースが繋がり始めている。
だが、まだ確信がない。もしかしたらこの写真のどこかに答えがあるかもしれない。

「へぇ〜、すごくいい写真ですね!」

とにかく話をつなぎ、確信を得るためスマホの画面に顔を近づける。
もし写っているとしたらここだ、という箇所に目のピントをあわせる。

見つけた──。

その瞬間、全てが繋がった。
写真に映る家の二階の窓にとある人物の横顔。
それは間違いなく美咲ちゃんだった。

残りのバイト時間は完全に上の空だった。二年間で染み付いたスキルだけを頼りに身体を動かすが、頭の中はあの常連と写真のことでいっぱい。

あの時僕が得た確信とは「イケメン常連は美咲ちゃんのストーカー」であるということ。
今までの彼の美咲ちゃんへの態度。以前から怪しい節はあったがあの写真で確信した。猫を撮ったように見せかけて彼女を盗撮したのだ。間違いない。
自分の中で怒りと正義感が膨張していくのを感じる。

「絶対にあのストーカー常連の犯行を暴いてやる...」

僕の中で「イケメン常連」の呼び名は「ストーカー常連」に変化した。

アルバイト終わり、じっとりとした夜の中彼女を待つ。
今日は彼女の身の安全を考慮して一緒に帰る提案をすることにした。

「あ...須藤さん。お疲れ様です。」

バックヤードから出てきた彼女が、こちらに気づいて声をかけてくる。
私服姿の彼女は先程までとは一味違う大人っぽい雰囲気をまとっている。こんな子を夜一人で帰らせるのは危険すぎる。

「美咲ちゃん、今日は夜も遅いし一緒に帰らない?」
「え?」
「いや、その、もし接客のことで困ってることとかあったら相談にものれるかと思って。」

あまりにも直接的すぎたセリフをごまかすように、少し前のめりになりながら理由を付け加える。

「いえ...特に困ってはないです。あの、今日は...」

彼女は右上あたりに一瞬目をやり、言葉を続ける。

「あ、そうだ!兄が近くにきているはずなので送ってもらいます。心配してくれてありがとうございます。お疲れ様です!」

すごい勢いで言葉を並べて、固さを感じる笑顔のまま僕の脇をすり抜けていった。

「お、おつかれ〜。」

呆気にとられてこの言葉しか出なかったが、彼女の表情から察するに今のは嘘だろう。
あの常連への接客態度を見れば困っていないはずが無いのだ。僕に迷惑をかけないために自分で解決しようとしているに違いない。
そうであれば、僕ができることは間接的に彼女のサポートをすることだ。まずは一番の危険因子であるストーカー常連の犯行現場を押さえてやる。

次の日の土曜日。
僕はいても立ってもいられず、彼女の家の前の公園に来ていた。
あの写真は夕暮れの空が写っていたので、もし来るとすればまた同じくらいの時間だろうと推測し、17時頃からこうして待機している。現在時刻は18時半。

その間に一度、二階の窓から美咲ちゃんの姿を確認できたので条件は揃っている。あとは、犯人が現れるかどうか。
19時には日が落ちるのでそれまでに現れなければ帰るか、と考えていると足音が聞こえてきた。

薄暗くなった公園から目を凝らして美咲ちゃんの家の周りを見る。
すると、そこに現れたのは紛れもなくあのストーカー常連だった。

「ほんとに来やがった...」

急いで公園の木の後ろに隠れ様子を伺う。
彼はいかにも怪しい雰囲気でキョロキョロと周りを警戒しながら美咲ちゃんの家の前までやってきた。やけに僕のいる公園を警戒していたので何かあるのだろうかと不思議に思っている間に、あろうことか彼は美咲ちゃんの家の玄関に手を掛けた。

それを見た瞬間、僕は怒号とともに走り出した。

「何してんだ!」

彼は突然の大声と人影に体を跳ね上がらせ、こちらに振り向く。
僕は目の前にいる人物の顔を改めて見て人違いではないことを確認した。

彼もこちらの顔を認識したらしく、驚いた表情で口を開いた。

「え?あのお店の...確か須藤さん?どうしてここにいるんですか?」
「あなたこそ、どうしてここにいるんですか?」
「いや、どうしてって...」
「美咲ちゃんのストーカーですよね。」

言葉を遮るように核心をついた言葉を放つと、彼は驚きの表情のまま眉をひそめたが構わず話を続ける。

「あなたのことは以前から警戒していました。明らかに美咲ちゃんをターゲットにしたような言動、そして昨日見せてもらった写真で確信しました。」
「写真?」
「とぼけるんですか?あの写真は猫を撮ったように見せかけて美咲ちゃんを盗撮したものでしょう!しっかり証拠は残っているので言い逃れできませんよ。」
「待ってください!勘違いです。だって美咲は俺の...」

「お兄ちゃんどうしたの!?」

目の前の玄関が勢いよく開き、慌てた様子の美咲ちゃんが飛び出してきた。
というか今なんて言った?

「お兄ちゃん...?」

理解が追いつかないまま言葉だけが漏れ出す。

「え...なんで須藤さんが...」

美咲ちゃんも理解が追いつかない様子で口元をおさえてこちらを見ている。

「いいとこに来てくれた美咲。家に帰ろうとしたらいきなり須藤さんが現れて、俺が美咲のストーカーだって言い出して困ってたんだよ。」

美咲ちゃんの兄と名乗る人物は参ったなと言った表情で妹に助けを求めている。
その目線の先にいる美咲ちゃんは怯えた表情で自分の腕を体に巻き付け、口を動かそうとしているが声が出ていない。

「俺はむしろ美咲のストーカーを探しているんですよ。なんか三ヶ月くらい前から美咲が『誰かに付けられてる気がする』っていうから、今日も辺りを確認しながら帰ってきてたんです。」

どうりで家に入る前にやたらと周りを確認していたのか。

「あ!もしかして」

彼は難問が解けてスッキリと言わんばかりの様子で膝を打ち、自慢の回答を披露する。

「お店での俺と妹のやり取りを見てそう思ったんですかね?確かにあの時の美咲はだいぶ嫌そうにしてましたね。」

彼はあの時の美咲ちゃんの態度を思い出し微笑んでいるようだ。

「こっちとしてはあそこの料理が好きだから通ってて、ついでに妹もからかってやろうかなくらいの気持ちだったんですが、美咲は嫌だろうからあんな態度にもなりますよね。帰ってから毎度しかられてます。」

固まっている僕と美咲ちゃんをよそに彼は一人で楽しそうに話している。

「でも須藤さん、よくあの写真だけでうちの家だって分かりましたね。遊びに来たことあるんですか?」

彼は返答を求めるように僕の方を一瞥した後、美咲ちゃんの方を見る。僕もそれにつられて彼女の方を向く。
もともと色白な彼女の顔はさらに血の気をなくして青白くなり、自分の体を抱いているその姿はこの蒸し暑い宵の口には不釣り合いだ。
そして、そのままの格好で首だけをゆっくりと左右に振った後、振り絞るように一言。

「その人が私の家、知ってるわけがない...」

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