バーチャル建国で自由な姿に!存在の自己決定権確立-独立個人共同体構想
現実世界で手続きをするとき、自分の肉体や社会的属性について「ああ、私はこんな人間だったんだなぁ…」と悲しみながら記入した経験はありませんか?少なくとも違和感を覚えた人はいるかもしれません。それは、現実世界の国や制度が、個人の意思とは無関係に肉体に準拠して定められているからなのです。
国や制度が、肉体に準拠して定められている以上、存在の自己決定権は個人の手から離れて、外部に握られています。存在は現在、規制されているのです。誰かを傷付ける犯罪が禁止されていたり、経済活動や契約がある程度規制されているのは、他者が存在する以上調整をする必要があるから。しかし自分の存在は、他人に成り済まして悪事を働くなどをしなければ、他者の権利を侵害するものではありません。
本来、存在は自由な概念。しかし人類が現在肉体を持っている以上、最低限社会保障や医療福祉に肉体の情報は必要です。少なくとも現実世界において、制度が肉体から脱却するのはしばらく先になるでしょう。制度が、自己決定された存在に基軸を移すことは可能ですが、現状の社会情勢を見ると簡単には変わらないかもしれません。そこで、公的に存在の自己決定権を認めるために、まずは存在を自己決定できる人間の間で新しい公共を作る必要があります。
新しい公共を作るには、国を作ることです。国とは、一定の制度に則って構成員を保護するために、構成員を動かす仕組みのこと。この制度の根幹となる部分が憲法であり、構成員の保護を国が保障する項目である基本的人権が書いてあります。人権は歴史を通して人類が自由のために明文化してきた概念ですから、万国共通であり、縮小することはありません。ここに「存在の自己決定権」を開拓することで、国は明確に「存在の自己決定権」を保障することになります。
国は、生まれながらにして定められているという感覚がありますが、本質的には人間の権利を認め合うための互助組織ですから、離脱も加入も自由。簡単に建国できます。国民も、なりたい人だけが国民になればいい。権利を認め合うと言っても、「あなたの自由な姿を認めるよ」という原則を明文化して、その通りに動けば権利の保障になります。権利が保障されている状態は統治が行き届いている状態ですから、国は国として成立しています。
他国から国家として承認されるまでの道のりは遠いですが、存在の自己決定権を明文化して認めあっている政体が存在することは、少なからず現実世界における存在の自己決定権実現にも影響を及ぼす可能性はあります。まずは自己決定権が実現できる空間で、サークルのようなゆるいつながりとして国づくりを進めていけたら良いのかもしれません。
国づくりというと政体が気になる方もいるかもしれません。しかし、資本主義や社会主義、議会制民主主義、独裁体制など、既存の政体にこだわる必要はありません。既存の政体はすべて肉体と空間に準拠していますから、参考にはなってもそのまま導入することは合理的とは言えないでしょう。肉体にも空間にも囚われない時代に適した政体はあるはずです。一緒に模索していきましょう。
現実世界では「正しさ」と呼ばれる魔物が徘徊しています。「正しさ」とは、人間の自由や権利よりも、思想や秩序、憎悪が重んじられ、それを他者に強制する動きです。かつて人類が「わかり合える」と夢見ていた、インターネットやSNSと言った新領域は、この「正しさ」のせいでもはや戦場になってしまいました。存在を自己決定できる世界に「正しさ」が侵略してくる前に、我々は、人間の尊厳として「存在の自己決定権」を確立する必要があるのかもしれません。
「存在の自己決定権」は、好きな姿になるためだけの権利ではありません。そのままの姿でいたい人が、そのままの姿でいることを尊重される権利でもあります。いつの日か「存在の自己決定権」が確立され、世界中の人類が、好きな姿になったり、そのままの自分でいたりすることが認められるようになるために、まずは目の前のあなたを尊重してみましょう。