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温故知新ガイドツアー①

🍵横浜のやきもの、宮川香山をこよなく愛するnoteにようこそ🐉
毎週木曜日に更新しております。どうぞおくつろぎ下さいまし。
🍵今回は、2024年3月2日に参加した、
横浜市西区制80周年記念イベントの
「温故知新のみち謎解きデジタルスタンプラリー」
の概要になります。

🍵このイベント、参加希望者が殺到して、私は一回抽選に落ちたのですが、参加枠を大幅に増やし、ガイドさんを増員して、
「来ても大丈夫ですよ🚶🚶👍」
の再連絡が来たので参加できました。嬉しい!!

🍵ガイドツアーを予約したのも、もちろん宮川香山先生の事をより知るためでございます💗
🍵初代香山が開窯したのは、桜木町駅近辺、まさにこのガイドツアーのコースになっています。横浜の激動の中心地、湾岸都市としてどのような発展をしてきたか、その痕跡を辿ります。

💡今回は、ひとり言はありません💡
直接、本文の目次からどうぞ📄


3月2日の9時30分。JR桜木町駅の南改札西口辺りで集合しました。
参加者とガイドさん達スタッフ合わせて50名以上集まっていたように見えます。
人だかり🧍‍♀️🧍‍♂️🧍🚶‍♀️🧍‍♀️🧍🚶‍♂️🚶🧍‍♂️🧍‍♀️🧍
30名程度の参加者を4チームほどに分け、一人のガイドさんともう一人スタッフさんが付いてくださり、出発です!

ロコ・サトシ


ガイドスタート地点は当時の横浜の名残を残す壁から。
この壁の落書きはほぼ消されましたが、ここで落書きアートをしていた人が現在大物アーティスストとして活躍しています。
それが、ロコ・サトシさん。

1970年代後半より、桜木町東横線高架下で、不思議なシルエットの壁画を描き始め、現在ではウォールペイントの創始者として周知されている。1989年横浜博覧会で最大級のパビリオンをペイント、新本牧地区、みなとみらい21地区、横浜ポートサイド地区など、横浜のシティー・キャラクターを形成する重要な景観に作品を提供。
1995年には市営バスのペイントが話題を呼んだ。民間からも数多くの壁画などの依頼を受ける。1995年より彫刻の森美術館に作品を常設。渋谷同潤会アパートのイベント、表参道の大壁画を担当。
一方、1990年よりカリフォルニア州・サンディエゴ市に拠点を構え、その活動に対し、同市長より謝意宣言書が発布されている。ボブ・マレー生誕50周年記念コンサートでは平和賞受賞。その年のアートオブザイヤー・ベスト10に選ばれた。そして1999年に横浜市文化賞奨励賞 芸術部門受賞。
作家活動と平行してさまざまなワークショップを行う。特に、街と学校と家庭とのつながりを深めるため、父兄、教職者、自治体などと話し合いを重ね、美術を通して子供達の生活や学校の環境の改革に力を入れている。

ロコ・サトシ オリジナルHPより

川村屋

この近くにある川村屋は、歴史ある蕎麦屋だそうで。一度足を運んで蕎麦を堪能してみたいと思いました。


川村屋

明治33年伊藤博文を通じて営業許可を得て開業して以来、
桜木町駅と共に歴史を刻んでいる桜木町駅のシンボル的なお店です。
天然だしを贅沢に使った「手作り」のお汁が自慢です。
出汁取り一筋数十年のおばちゃん達も健在です。
一番人気は山梨県産のブランド鶏を秘伝のタレで煮込んだ「とり肉そば」です。

CIAL桜木町 フロアガイドより

さあ、みんなで歩きます。まだまだ始まったばかり。

日本の鉄道発祥地

「150年前明治5年鉄道発祥地として1872年横浜駅が整備されました(新橋と横浜間を繋いでいた)。当時の横浜駅は現在の桜木町駅の位置にあり、30年不便な接続でしたが、高島町に引っ越しをして8年後関東大震災に罹災し、現在の形に至っています」

崎陽軒

「崎陽軒は今でこそ有名な横浜土産ですが、元はシュウマイを売っていたわけではありませんでした。明治41年に4代目横浜駅長が駅内売店の許可を取り、飲み物や食べ物を売っていたのが始まりです。横浜でしか買えないものを作ろうということになり、それがのちのシュウマイなのでございます」

高島町の高島さん

高島さんと言えば、この高島町の由来となった有名なお方です。

高島 嘉右衛門(たかしま かえもん、1832年11月22日〈天保3年11月1日 〉 - 1914年〈大正3年〉10月16日)は、幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家、易学家である 。江戸三十間堀生まれで、幼名は清三郎。後に嘉兵衛、嘉右衛門と改名した。

ウィキペディアより

内田町の内田さん

「高島さんは横浜に日本初のガス灯を設置させた人でとても有名な人ですが、あまり名の知られていない内田さんもすごいのです」

「内田清七さんは桜木町を埋め立てた人です。中区の内田町の名前の由来はこの人で、現在ランドマークタワーの近くにあるこの内田町は、町が色々編成したことでほぼ道路の土地であり住民0人である。とても狭く飛び地になっていて、変わった形で残されています。
桜木町とは変わった街で、中区と西区に跨っており、ここだけの話、市の職員でも良く分かっていない人もいるほどなのです」

🍵次回に続きます!!



今回の記事は、ガイドツアー中、私が延々とメモを取って持ち帰り、それをまとめたものを使用しています。一人ひたすら書き書きしてる変な人でした。

今思いだしても楽しかったなあ……
宮川香山の生きた時代も、今も、横浜は面白い🥰🥰🥰

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