🍵宮川香山の普及活動noteに、ようこそ!!
🍵今回は前回に続いて、香山の開窯した横浜ゆかりの地を、
歩いてご紹介したいと思います。
🍵ご興味湧きましたら、是非あなたも、
横浜の歴史街歩きをしてみてくださいまし🎶
観光地としての側面で歩くのとは違った発見があるはずです💡💡
岩亀楼
横浜スタジアムは横浜公園の中である。
町の名主となった岩槻屋佐吉が経営する遊女屋は、岩槻の音読みから「岩亀楼」(がんきろう)と呼ばれ、遊廓の中でも特に豪華で、昼間は一般庶民に見物料を取って閲覧させていた程の設備を誇った。江戸幕府は外国人専用遊女(羅紗緬)を鑑札制にし、岩亀楼に託した。岩亀楼内は日本人用と外国人用に分かれており、外国人は羅紗緬しか選ぶことができなかった。
この岩亀稲荷の辺りは遊女が静養した施設があったので、岩亀横丁と名が付いた。由来である。戯曲家の有吉佐和子が、「亀遊の死」という、外国人に身請けされるのを苦にして自殺した遊女の戯曲を書いており、その一部がこの神社に記されている。
この神社は近隣住民が維持している。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(ふるあめりかにそではぬらさじ)は、1970年に婦人公論で発表された有吉佐和子による短篇「亀遊の死」を、有吉が自身で戯曲化したもの。幕末の横浜が舞台の喜劇。初演は1972年の文学座公演、主演・お園は杉村春子が演じた。
掃部山公園(かもんやまこうえん)
ここに使われている石垣は山手の建物にも使われ、フランスの技法を用いており、ブラフ積みと呼ばれる。
不動山から、鉄道山、そして掃部山と名称が移行している。
飯岡幸吉を偲んで、虫の声の歌 毎年8月に虫の音を聞く会が主催して、野点などのイベントを行っている。
「一期一会」という言葉は井伊直弼が考案した。
茶道をたしなんでいた井伊直弼は、茶道に元々ある教えを四字熟語に集約した。
外国で古い蛇口は大抵ライオンの顔の意匠が使われている。ライオンは水の神様だからだ。
当時の井戸から水道へ。水栓の仕組みを横浜はイギリスから600基、輸入。日本らしくとの事で水栓の顔をライオンではなく龍の意匠を採用した。それが、「蛇」口、蛇口の由来である。
稼働している日本最古の能楽堂
明治8年から稼働している、使われている(保存されているものではもっと古いものもある)能楽堂の中では日本最古である。
加賀藩前田家にあったものをここに移設した。
この能楽堂の特徴として、鏡版に松の他、梅と笹も描かれている。
松はお決まりなのだが、他のものが描かれているのは大変珍しいため、テレビなどで鏡版だけ映っているのを見ただけで通はこの能楽堂だと分かるという。
下記分かり易い鏡板の説明です↓↓↓
神奈川県立図書館
神奈川県立図書館。とてもきれいな図書館。ここはもともと前川國男館が建っていた。
柱や、くりぬいたレンガなどの意匠を、図書館に残している。
歴史への敬意を残して新しいものを作る精神がとても素敵。
海の日7月20日の由来は、今はでっかいホテルになっている所に、明治天皇がお使いになっていらした横浜御用邸があった。明治天皇が初めて横浜に宿泊された日が海の日。
さあ、ここまでで、私のメモは終っています。ガイドツアーは終了、
桜木町まで戻って解散したということです。
このあと私は、同じツアーガイドについて行った参加者の女性と二人で、スタンプラリーを最後まで回ったのですが、それはまた次回番外編でお話するとしましょう。
では、またこのnoteでお会いしましょう🍭🥰🍭