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「選びと聖化」エペソ人への手紙1章4節

私たちがイエス・キリストを信じるということは一体どういうことなのでしょうか?

主イエスはこのように仰せになりました。

「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15:16)

このように、聖書は私たちが「神を信じた」ということは実は二次的なことであり、私たちが神を信じる前に、神が私たちを捕らえ、選んでいてくださったというのです。

今日のみことば(エペソ1:4)は、神の選びによって人はイエスを信じるようになり、救われるということを告げています。

みなさんは救いは神の「選び」による、ということを聞いてどのように思われるでしょうか?

私は神に選ばれているかどうかわからないと不安になるでしょうか?
選ばれる人と選ばれない人がいるなんて聖書の神はなんて不公平なんだと思われるでしょうか?
神が選ばれている者だけが救われるのだとしたら、伝道の必要はないではと考えるでしょうか?

もし、本当の意味で選びを知るなら、私たちは神の恵みの偉大さに圧倒させられます。選びを知ることで、私たちは信仰による救いを正しく理解し、謙遜と安心、確信をいただくことができるのです。

救いは自分の努力や功績ではなくて、一切が神の主権の恵みによってなされることだからです。

選びとは① 神の恵みを根拠とした救いを示す

救いは、私たちの心の内の不確かな信仰心を土台としてはいません。
信仰は一貫した神の恵みに支えられています。
つまり、神を信じるという応答も神の力によっているものです。

私たちの経験としては、人生のどこから「神を信じた」ということなのですが、永遠の神の目から見るなら、そのような時間的な制限は受けません。

神のご計画は、「世界の基が据えられる前から」存在し、時間を超越しています。

このようなことが述べられていることそのものが、聖書はこの世の考えによらないことがわかります。
選びは、私たちの理解を超えた奥義(ミステリー)なのです。

でも、なぜこのようなことが教えられるのかと言うなら、それは神の恵みを告げるためなのだと思うのです。

選びの教理は、私たちが、誰が選ばれ、誰が選ばれないとか、そういう議論をするようなものではありません。
また、人間の意思が問われないというものでもありません。

私たちはただ、恵みによって神の愛に応答させられたということなのです。


選びとは② 信仰者の聖化に関わる

神は私たちを「御前に聖なる、傷のない者にしようと」して選ばれました。
選びは、私たちが信仰を頂いたあとの生き方にまで関わっているものです。

自分では拭い去ることのできない、解決できない罪を神は一方的に赦し、私たちを神の御心にかなう聖い生き方へと導いてくださいます。

本来、人は神の御前に聖なる者となることはできません。だからこそ、神の選びが必要なのです。


それはキリストによること

神はこのようなご自身の計画を実行するために、愛を持って御子イエス・キリストをお与えになりました。

1:4の「すなわち」とは1:3を受けてのことです。
キリストによる祝福とは何かということがここから述べられていきます。

旧約聖書では神に差し出される捧げ物のは、完全なものでなかればなりませんでした(レビ記1:3,10)。
そのためにキリストが人間の代表として「傷のない」ささげものとしてご自身をささげてくださいました(ヘブル9:14)。
ペテロの手紙では、このキリストによる救いは「世界の基が据えられる前から知られていた」(Ⅰペテロ1:20)とあります。

神のご計画はしっかりとご自身の秩序に基づいて筋が通されました。
それが十字架の御業です。

私たちはいくらクリスチャンになったとしても、神の御前に、神の基準で聖く、傷のない生き方をすることはできません。

しかし、神が聖めてくださるので、神の恵みによってそのように生きることができるようにされるのです。


それは愛によること

新改訳聖書では「愛をもって」ということばが5節につながっていますが、いずれにしても神は愛に基づき、私たちを聖く、傷のないものとして、さらに神の子どもとまでしてくださいました。

神の救い、選びは神の愛によることです。
気まぐれの選びではありません。

神は私たち一人ひとりを愛し、ご自分の御子のいのちによって、救いの道を開いてくださったのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)

「だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。」(Ⅰヨハネ4:15)

神は今、このことを皆さん一人一人に勧めておられます。
選びは、それに応答した結果として私たちに理解できるものです。
今言えることは、神はこのみことばを聞いている一人ひとりを招いておられるということです。

神の愛に感謝をします。


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Nobuyoshi Morishita 【晴耕雨読】
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