わんぷり36話感想〜俺カプ厨じゃなかったハズなんだけど……〜

こんにちは、お世話になってます。

わんぷり36話がとっても良かったので、今回は感想としてあることないことを書いていこうかと思います。

そもそもの自分語り

プリキュアと同じ東映アニメーションの作品で「うざいですよ、自分語りは」というセリフがあったのですが、今回は自分語りから入らせてもらいます。
自分はそもそもプリキュアに対してあまり恋愛要素を求めていません。
より細かく言うと、恋愛要素自体はあってもいいけどその前に本筋がしっかり面白いことの方が大事だし、逆に本筋が面白かったら何やってもいいよとも思っています。
カップリング自体は別に嫌いじゃないんです。ただ一旦全体のお話があってからの二の次だよね、という話です。

……という人間がわんぷり36話を見た感想なのですが、「お前その問いと回答は完璧すぎるだろ」の一言です。いやぁ、本当に良くて〜……。

「問い」の設定

わんぷりのストーリー全体のきっかけとして、「動物と話せるようになったら」という問いかけがあります。
1話からいろはは「ちっちゃい頃よく鏡石にお願いしてたんだ、『動物とおしゃべりできますように』って、そしたらもっともーっと仲良くなれるでしょ?」と話しており、その願いは昔から抱き続けてきた思いなのだということがわかります。
同じ1話では反対に、最初からいろはとこむぎの仲の良さが描かれるものの、いろはが学校に行くシーンではこむぎが家の中で悲しそうに吠えているのにも関わらず、いろはは笑顔でこむぎに手を振りながら走っていくシーンも描かれています。
どれだけ仲がよくても、鳴き声だけでは動物は人に気持ちの全てを伝えられないのです。
「動物と話せるようになったら」というテーマはその後もユキとまゆもお互いに思いを伝え合うようになり、映画では悟と大福が会話できるようになることが一つの大きなフックになっていたりと、形を変えて描かれ続けます。

このような「動物と言葉を交わせるようになったら」というわんぷりの大きな軸に対して、わんぷり36話は一つの疑問を投げかけます。
曰く、「元から言葉を使える人間は、気持ちをちゃんと伝えていますか?」と。

悟は「犬飼さんを困らせたくないから」「今の関係を壊したくないから」という、極めて理性的、言い換えれば「人間的」な事情で、ニコさまがニコダイヤの力を分け与えてしまうぐらい、動物たちが奇跡を起こしてしまうぐらい欲しかった「好きな人と会話ができる能力」を持っているのにその気持ちを伝えてきませんでした。
うっかりメエメエが口を滑らせてしまったことをきっかけに悟は気持ちをいろはに伝えるのですが、今度は悟からの好意が「恋愛」のソレだと知らなかったいろはがバグり、エラーを起こしてしまいます。「そんなのまだ習ってないよ!」ですね。
どうすることもできなかったいろはは悟との会話をすることなく、走り去ってしまいます。
かくして、わんぷりのそれまでのストーリーを踏み台にした問いが設定されることになったのです。
「元から言葉を使える人間は、気持ちをちゃんと伝えていますか?」

回答に至るアプローチ

いろははお母さんから「友情と恋愛の違い」について、悟は大福とニコさまから「気持ちを伝えることの大切さ」についてを教わります。
かたや「上手く言えないけど特別なのが恋愛の好き」という、あまりの深淵なテーマに人生経験豊富な陽子さんの言葉をもってしても100%の答えは出せず、
かたや「自分の本音をぶつけることも大事」と、お前にはその能力があるのだから気持ちを伝えていけと普段は喋れない動物から諭されます。
人間と動物の言葉によるコミュニケーションでお互いに仲良くなろうとしたニコさまが通訳をしつつ、言葉が交わせなくても気持ちが通じ合っている大福と悟を見て「みんな、あなたたちみたいだったらいいのにね」という意味深な独り言を発していたのですが、見返していてダブルミーニングのようにも取れるなぁと思いました。
「ガオウはじめ狼たちをはじめとする動物たちと人間たち」があなたたちみたいに気持ちを通わせることができたら動物も人間もニコニコでいられるのにね、という、ニコさま自身が大昔から抱き続けてきた願い、
それにプラスして、恋愛の機微を分かっていそうな描写が前回から続いていたニコさまがこのタイミングで言うとなれば、「いろはも悟と同じ気持ちだったらいいのにね」という励まし、もっと言ってしまうと「いろはも同じ気持ちだから、あとはその気持ちがお互いに通じればいいね」という励ましだったのか、というようにも取れるような気がします。
流石にカプ厨すぎる解釈すぎやしないかとちょっと自分でも引いているんですが、ニコさまは現時点までの描写で自分の経験からスッとパンチラインを差し込んでくるようなキャラづけをされているように感じるので、これぐらい拡張して考えてもいいのではないでしょうか?

翌日の学校、なんとなくギクシャクした感じの雰囲気が続き、悟は本心を隠す中、いろははユキから「あなたの気持ちを伝えたら?」と諭されます。
いろははまだ気持ちに整理がついていないような、自分の中で答えが見つかっていないような状態です。
ここでも一貫して動物サイドから人間へ「気持ちを伝えることの大切さ」が描かれています。
いろはは尖ってた頃のユキに「あなたの気持ち、あなたの声、聞かせてあげて」とアドバイスをし、その結果まゆはユキを溺愛し、ユキはまゆを守るといった相互一方通行の愛から、お互いをより想い合うような愛へと絆を進化させてきました。
人間は言葉を喋れることが当たり前だし、それにプラスして悟のように人間が社会生活を円滑にするために本心を隠すこともあるけど、ユキはそんな状態の二人を見て「せっかく言葉で思いを伝え合えるのに」と思ったかもしれません。
言葉を使ってコミュニケーションを取ることができるのは、人間にのみ与えられた特権なのです。

完璧な回答へ

戦闘中に悟に対する自分の思いに気づいたいろはは、戦闘終了後に悟へ自分の気持ちを伝えます。

「あのね!わたし、悟くんといるとすっごくワンダフルなの
普通のワンダフルじゃなくて、特別なワンダフルなの!
(中略)
こむぎやみんなといる時は『ワンダフル〜!』って感じで、
悟くんといると…『ワンダフル…』って感じ
つたわったかな…」
「うん…今、ものすごくワンダフルだよ」

わんだふるぷりきゅあ!第36話「特別なワンダフル」より

このシーン、初見だと「もう『好き』って言っちゃえよ!」と思ってたのですが、単に「好き」と言うよりももっと多くの感情を掬い上げられるいろは自身の言葉として「ワンダフル」を選んだのだ、と思いました。
このシーンの本質は「告白に対するOKの返事」ではなく、「『ワンダフル』という言葉を用いて二人が同じ感情を完全に共有したこと」にあります。

言葉というのは他者とコミュニケーションを取るためのツールですが、同時に集団を規定するツールとしても機能します。
日本語を母語とするから日本人だし(アイデンティティとして)、自分の育った土地の方言を聞けばどこにいても出身が同じ人だ、ということがわかります。
コミュニケーションのためのツールとしては理解できる人が多い言葉が有利です。話者が多ければその方が多くの人とコミュニケーションが取れます。
それは私たちが普段話している言葉の中でも同じで、外から見たら、「好き」「愛してる」の方が気持ちを伝えやすいように思うでしょう。

しかし、いろはは「二人にしか通じないけど、その二人の中だけなら気持ちを余すことなく伝えられるワード」として悟に「ワンダフル」と伝えることを選びました。
同時に、いろはの「ワンダフル」を完全に理解でき、同じ感情を共有した悟は、いろはと同じ言葉で完璧に通じ合える特別な存在になったと言えます。
「世界中の動物たちと喋ってもっと仲良くなりたい」と言っていたいろはが、世界でたった一人にしか通じない言葉で、いくら他の言葉を尽くしても足りない感情を伝えたというのが、先にも述べたわんぷり全体を根底からひっくり返すような「元から言葉を使える人間は、気持ちをちゃんと伝えていますか?」という問いに対しての完璧かつ痛快なアンサーになっているようで、そのことに気づいた瞬間大声で叫んでしまいました。すげ〜このアニメ……。

その他


・作画と演出についてはもう見ての通りというか、もう全然いいわ、言うことねえわでしたね。
Bパートに入った途端曇り空で一気に彩度を落としたり、表情を読みづらいカットを多用したりでお互いのモヤっとした気持ちをグッと溜めた後、戦闘後に一気に画面が色づいて表情もイキイキとし始める全体的な構成、すっごく動く戦闘シーン、やっぱコイツ強い。
・個人的にいろはのモノローグのバックでぷにぷにシールドをの反動を使って水飛沫を上げながら射出されるスワンニャミーはガンダムSEEDを彷彿とさせるようなシーンでSEED世代的に激アツでした。
「ミント砲」とかドキプリ36話のロゼッタリフレクションみたいな「盾の拡大解釈による攻撃への転用」を攻撃技なしのわんぷりでやるとこうなるのか、みたいな趣もあり、現状わんぷりで一番好きな戦闘シーンかもしれません。
・まゆとユキ、いろはと悟のようにお互いの瞳にそれぞれの顔が映るシーンが印象的なわんぷりですが、「顔が映る」という所から連想されるのは「鏡」の存在なので、やっぱここでも鏡か……と思いました。
もう力がないはずの鏡石が願いを叶えたこむぎやユキが飼い主の人間にとって特別な存在であることを考えると、鏡石がらみでもうひと捻りふた捻りぐらいしてきそうだなと思います。信じてるぞ成田先生……
・今回は「言葉」を中心に見ていったのですが、ニコさまが横暴な人間たちに絶望して鏡石の力を無くしたことを「言葉を奪った」と考えるとやはり「バベルの塔」を思い出させるな、とも思いました。
実はこれ、前回もそれっぽいことを書こうとしたんですが、神道とどう絡めて書こうか悩んだ結果書かなかった部分です。
そういう神話モチーフも探せばもっと見つかりそうな気がしています。頼んだぞ成田先生……。

ちなみに放送直後の感想も置いときます。
だいたいこの記事で言いたいのはこの2点だったりします。

おわりに


読み返すとお前こんなカプ厨だったっけ?みたいな文章になっててびっくりしてます。
うるせえ、俺はわんぷりから「気持ちは言葉にして伝えろ」って教わったんだ!

また何かあったら書こうと思います。
ご意見ご感想ご指摘などはコメントかTwitter/BlueskyのDMまでお願いします。それでは。

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