輪るピングドラム一気見感想
題名のままの内容です。今更?って感じなんですけどやっと履修しました。そして本日映画観てきます。
結論から言うと最初から最後まで冠葉が好きすぎた。これは…推し…
闇堕ち属性に弱いし人間臭いの大好きだし、多分正義感が強すぎたが故に道を違えた子なのかな、と思います。好きすぎる癖すぎる。最期に全てを終わらせて存在そのものが変わってしまうのもなんかもう…あのあの…別の推しと重なる部分があって本当にこういうキャラが好きなんだなと思いました。
冠葉の話を始めてしまったので先に全部書くのですが。最初はチャラい男で頭が良くて良いお兄ちゃんで、っていう感じだったんだけど。徐々に見せる闇というか、自分の信念の為に手段を選ばないところとかが段々見えてきて、そこからもう刺さってたんですけど。
「組織」に与して人を殺めてるだろうなというのはまあもう一期分で気付けましたね。まるでそう…黒の騎士団ですよね。まあ立場は違うんですけど。理念には限りなく近いものを感じました。彼は守りたいものを守るための手段を選ばなかったというか。多分、陽毱と晶馬の為でしかなかったのかな、と。優しい嘘を吐く人、ダメですねえ。良くないなあ。
ただ陽毱に関しては親愛より恋愛の気持ちのが強かったのかな。どうなんだろう、そこ最後まで私の中では曖昧です。晶馬に関しては、最初から救っているし、何なら運命の果実を分けて食べているのでつまりそういうことかと。お前は一体何処に行くんだい?と思いましたね。
結局この話、大前提が童話モチーフというか、特に重きを置いているのがアダムとイヴの話なので、「運命」とか「愛してる」とかその辺はその辺りから来ているのかな。まあ監督が童話を用いたかったのかなという感想。
アダムとイヴもまた運命の果実を食べたことで真実を知って、という話だったと思うので。林檎=運命と解釈しています。それを分かち合ったり食べさせたりするということはそういうことですね。
んでピングドラムとは、ですけど。
要は生命力、特に心臓かな。若しくは想い・意志とも取るか。蠍の象徴って確かに情熱とかそういう感じだったので、多分蠍の炎については調べたら色々出てくるかと思うんですが。これは考察など見てない段階の感想なので自分が感じた見解として残します。
結局大きな括りとしてはとしては運命(呪い、林檎、呪文)が勝つのか想いによって運命は書き換えられるのか(意志)、だと思うんですけど。そうだな。「人間の想いの強さ」に重きを置いて、描写している感じが凄かったな。
キャラクターそれぞれがイデオロギーに準じて行動しただけであって、それが「運命」なのか「意志」なのかは最後まで分からないし、意志もまた運命とも言える、ってことが言いたいのかなと。要するに意志すらも「運命」という決められたレールの上を走っているだけではないか?という印象。
それを全て知っているのがあの二人かな。桃果と眞悧。この二人がアダムとイヴの象徴だと思います。同じ価値観を得たのに、別れたという辺りからまあそうだよね〜という。桃果の方が「意志」で、眞悧の方が「運命」を象徴してるかな。だから敵対もするし、運命の人であったのに分かち合えない、と。運命の人と一生一緒にいられるか、と言われたら私はそうは思わないので腑に落ちるというか。世間一般だと運命の人っていうと大体は結婚とかそういう印象に繋がっていくかと思うんですけど、私の中のイデオロギーとして運命の人≠好きな人なので。友達だってみんなそうだし。ただそれが決められていたことなのか、自分の意志がそうさせたのかと言われたら分からず、そう、だからこそ絶対とか必然とか運命っていう言葉に言い換えることになるんですよね。この辺なんかもう監督こういうの好きね〜ぅて思ってた。
あと真砂子が好きなんです。愚直で、口癖もいい。頭は良いのに使い方を間違えてるというか。本当に冠葉のことが大好きだったんでしょうね。強い女は最高だ。その点はゆりも好きなんですけど、二人とも身体能力が高すぎてここだけ神話生物か?って思ったのは内緒です。
ただ真砂子もそうなんですよね、真砂子こそが唯一、本当に「家族」というものを求めていたのではないかな。結構大事なポジションですよ、彼女。主人公らと違って本当の家族のことを思ってたのって多分彼女だけじゃないかな。
「愛してる」とただ一言。それだけをみんなが求めているんだ、というのはちょこちょこ出てきますが、そりゃあそう。人間だもの。承認欲求の権化ですよ、「自分自身を見出してくれる存在」に固執するのは当然かと。なので全員の道理に納得が行くというか。寧ろ逆に妹組が怖い。一度満たされただけで命を投げ打つほどに全てを捨ててでも人を助けようとするから。人外感が凄い。まあそれだけ「意志」が二人とも強いんでしょうけど。今更だけど、意志=光とするなら、運命=闇だと思っています。だからこそ、眞悧はそれを「呪い」と称したのかな。
この辺は透明になる、と同じなんですかね。ここちょっと掘り下げ曖昧なんだけど、不可視の存在であり、任意で顕現することが出来るもの、がたくさん登場したと思うのですが。
陽毱の別人格、ペンギン達、眞悧、桃果、多分うさぎの双子もそうかな、等。
恐らくですけど全員元々はただの人間かと。それがこの世界の何かによって「別の存在」に書き換えられている、かな。エンディング後の兄弟もそれですよね。うさぎの双子こそメリーさんの羊なんでしょうね。ちょっと童話、童謡あんま詳しくないんでアンデルセンに聞かないと。ねえアンデルセンくん。
陽毱に関してのみ、これは神格の類ではないかと思うんですけど。どの神をイメージしてるのかまでが掴めなかった。神話多すぎ問題ですね。日本神話、ローマ神話、ギリシャ神話、等色々ありますが。今回は日本神話ではないかなと勝手に思ってます。帽子の謎自体も解けてないしそもそも何故ペンギン?って話なので。ペンギンについては調べたら考察の余地はありそう。特質とかね。まあペンギン達は神格の眷属かな。だから選ばれた人間にしか見えないって言われたら納得は行く。まあそうなるとペンギンを連れていた四人には何かしらの神格との接触、若しくは気質があるのかと。
んーまああちこち触りたい放題なカテゴライズしてないままの感想書き殴ってるんですけど。
結論から言うと、分かりにくい!謎が多い!監督の意図したいものが多すぎる!情報過多!これに限ります。
でもまあ答えは簡単だと思います。意志も運命も何もかも覆すのは愛だと言いたいんじゃないか、と。いや、愛こそ運命とも言えるが。
ただ物語の重要な部分は、種別問わず必ず「愛」が関連してたので。勝手にそう思ってます。キャラクターのイデオロギーですら全て愛ですよね。友愛・親愛・恋愛。はたまた人類愛とでも言いますか。大体はこの四種類に分別出来るようになってる気がします。陽毱や桃果は人類愛タイプですかね。
まあなんか描写の塩梅が絶妙だったもんで、適度に謎を残しつつ、分かるものは徐々に出して。ちょこちょこどうでもいい話を繰り広げる。その描写の仕方自体に「人間」を感じましたね。私は考察大好きなので、視聴者に余韻とか考察の余地を残してくれるのが大好物なので大変楽しませて頂きました。自分が文を書く時の醍醐味でもあります。なので監督の話は非常に興味深い。是非お前の深層心理を暴かせてくれ。
やっとのことですが、シナリオ全体の感想として。まあそうだよな、の部分とそう繋がるのかあ、が絶妙でした。素晴らしい。最後に謎を残していくのもまた趣よな。
うん、やっぱり冠葉と真砂子が好きですね、としか。キャラに対する感想が色々ありすぎて書くの面倒臭えなのレベルですね。ただテーマが一貫してるので、あんまり深く書けることがない。掘り下げは出来るけど。強いて言うなら林檎は桃果には絶対なれないし、多蕗もゆりもED前の形が最善だと思う。
運命を覆すことって本当に難しいんですよね。寧ろ何処から何処までが運命なのか、何をもってそれを運命と呼ぶのか、という「運命」そのものの定義が曖昧なので、そういう話なのかなあと。懲りねえ監督だなあとしか。好きなんだなあ、そういうの。っていう感想でしかない。(ウテナは途中までしか観てません)
これは私のイデオロギーですけど、起こった事象・起こした事象そのものが運命だと思っているし人生そのものが全て運命だと思っているので。その「運命の輪」の中に意志だったりが入ってる、と認識してますね。運命の輪、うーん。タロットカードかな?もっと考察の練度を上げるなら占星術を紐解くべきかもしれんな。蠍も星の一つですし。
「輪るピングドラム」とはそういうことだと思います。輪の中で渦巻いているもの、ということかな。意志・寿命なんかはこの中に全て含まれているかと。なので本来ならばやはり陽毬は死ぬ輪の中にいたのに、それを覆しちゃったんですねえ。円環の理から外れてしまったら、そりゃあ人間としての姿は保たないし、そもそも人間ではなくなる、概念になり、世界になり、神にすらなり得るでしょうね。だからこそ記憶だって消えるだろうし、無かったことになる。認識できないのが当たり前だから。でもそれは確かに存在した。うーん、まどかさん?
まあ円環の理という言葉を使いましたけど、これ多分if世界線というか。円環を脱した場合の結末を描いただけで、それ以外の「運命」が勝つ世界も、「意志」が勝つ世界も、ちゃんと存在してると思いますよ。それを今後監督が書いてくれるかは分からないですけど。もしかすると、既に作中に書かれているのに気付いていないだけかも。
まあどのルートに行っても陽毬だけは生きているでしょうね。キャラクター全員の最後の「願い」だったので。なんせ陽毱にはようわからん存在ついてますし。あれは下手をするとアダムとイヴを生み出した張本人かも知れん。なので生きますね。
まあなんか、最後の兄弟の姿を見て、そっか、ってなりましたね。陽毬にとっての運命の人は晶馬ですけど、晶馬にとっての運命の人は冠葉なので。監督さん?
でもいいよねえ、そういう「兄弟だったもの」のぶつかり合い。良かったです。彼ら二人が光と闇そのもので、どちらも世界の均衡として居なくてはならない存在なので。どちらがどちらなのかは言わずもがな伝わると思うのですが。まあこのEDでは互いが互いを滅ぼすことはないのかなと。でなければ「二人の望み」が消えてしまいますからね。時に光は眩しすぎて闇を消してしまうし、闇が全てを覆い隠してしまうこともある。それは作中で存分に表現されていたし流石にみんな感じ取ったのではないだろうか。でもまあ、このEDなら今後は大丈夫じゃないですかね。二人は互いの光の眩しさも闇の深さも知ってるわけですし、均衡は取り合えるし、何よりも世界では陽毬は笑って過ごせてるし。そしてダメ押しで二人は「運命の人」ですからね。
まあとりあえずこんな感じで。あとは布教してきた人間に問い詰めたいと思います。(問い詰めるとは?)私が冠葉くんみたいなキャラに弱いのを…知っているというのに…なんたる所業……許すわ
俺は世界を壊し、世界を創る、そういうことです。
こんな感じで。気が向いたら映画の感想とか考察書くかもです。終。
一番大事なことに気付きました。書き漏らしでもあります。
「生存戦略、しましょうか」
って言ってるんでやはり彼女はアダムとイヴの生みの親かもしくはその子供ですね。この2択だと思います。以上!