【コラム】何故ソシャゲはクソゲーになってしまうのか【どうすれば神ゲーになるのか】
今や、誰もが1つはソシャゲをやっている大ソシャゲ時代だ。
しかし、どんなソシャゲでも「〇〇はクソゲー」という意見を見かける。
この世には全てのユーザーが神ゲーと言い続けられるようなソシャゲは何故無いのだろうか。
つまらないものをクソゲーと言うのは簡単だ。でも何故つまらないのか、果てはどうすれば面白くなるのか、ここでは自分の考えているコトを書いていこうと思う。
そもそも「ソシャゲ」という物の定義を決めないことには進まない。
ソーシャル(ネットワーク)ゲームの略ではあるが、実際のところ明確な定義は無い。狭義ではSNSを通して提供されるオンラインゲームを指すが、最近ではオンラインでのコミュニケーションの多様化によってソシャゲの定義は確実に広がっていると思う。
例えばかつてPSPでモンハンが流行り始めた頃、一緒に狩りに行く仲間は近所の友達などで、ゲームの上手さとか強さもそのグループ内でのものだった。攻略情報もファミ通の分厚い本だった。(当時からネット通信していた人もいるだろうが)
しかし今では、コンシューマーゲームであっても当たり前にオンライン機能を持っているし、ゲームについて語ったり攻略情報を交換するコミュニティがオンラインで構築されている。
つまり現代に発売されるゲームは、そのほとんどがソシャゲと言っても過言ではないのだ。
まぁその定義についての議論は本題ではない訳だが、大事なのはこの先の文章はソシャゲに対するコラムというよりかは、現代のゲーム全てに対して適応できるだろうという事だ。
ランキングの功罪
ソシャゲというのものはほとんどの場合「ランキング」というのが存在する。何故存在するのかと言えば、ゲームで人は「勝ちたい」し、その勝った証こそがランキングだからだ。
では何故人は「勝ちたい」のか、これはもはや哲学の領域だが、闘争本能あるいは単純に人間は他者の上に立つことで快感を得てしまう生物だからであろう。そもそも「GAME」という行い自体が勝敗を決めるコトという話もある。ゲームは代理戦争という側面もあり、そういう意味でも勝敗はゲームに必要だ。
鋭い人はここで例えば「え?でも僕はどうぶつの森で勝つためじゃなく純粋に町づくりを楽しんでいるよ」とか思うだろう。しかし、では何故あなたはどうぶつの森でキレイな町を作ろうとしているのだろう。何と比較してキレイなのだろう。
結局の所、このようないわゆる盆栽ゲームであっても心のどこかでは他人に勝ちたい、他人より良いものを作りたいといった欲望があるわけだ。納得できないのであれば、他人を「過去の自分」という言葉に置き換えてもいい。
ゲームにはランキングが存在すると言ったが、それは必ずしも運営がゲーム内で実装するランキングのことだけではない。これこそがソシャゲがソーシャルである故の現象だが、例えば〇〇というキャラのLvがいくつだとか、あるいは最速でLvカンストしたとか、そういったゲーム内のあらゆる要素がSNSの存在によって可視化され比較できてしまう。これもまた、一種のランキングなわけだ。
さて、ここで問題が起こる。勝負をすると、「敗者」が生まれてしまう。
「おっ、そうか!負けるからつまらなくてクソゲーだと思うのか!」と思った人もいるだろうがそれも違う。
実は負けること自体はゲームの面白さ・つまらなさとはあまり関係が無い。
3つのパラメータ
端的に言えば、ゲームのランキングを上がっていくには以下の3つのうち最低でもどれか1つ、あるいは3つ全てが必要である。
何が必要かはゲームによって違うし、それこそが現状のソシャゲの違いでもある。
問題なのは、ゲームごとに「最低でも1つを指定して求められている」ということだ。つまり、その1つが欠けている場合、絶対にそのゲームのランキングでは上位に上がれない、そんな要素がどのゲームにも存在している。
少し分かりにくいので、まずは3つのパラメータそれぞれを求めるゲームがどのようなものか具体的に示す。
課金が"必須"なゲーム
大半はガチャで強いカードを引いたり、それを何枚も集めて重ねる(いわゆる凸)をするゲーム。無課金でも運良く上位に行けることもあるが、基本は課金をすればするほどランキング上位に上がりやすくなる。
時間が"必須"なゲーム
ステージを周回などしてポイントが加算されていき、その累計でランキングが決まるゲーム。集計期間は様々だが、ゲームプレイに時間を割けば割くほど上位に行けるし、割かなければ絶対に上位には行けない。
能力が"必須"なゲーム
例えば麻雀のようなボードゲームで「思考力」が必要になるパターンと、FPSや音ゲーのように「操作力」が必要になるパターンに分別される。一番ゲームっぽいと言えばゲームっぽい。
さて実際には、3つのうち1つだけを求められることは少なく、2つないし3つ求められることもある。課金で凸したカードで周回が求められたり、音ゲーで周回が求められたりとかだ。
ゲームがつまらない状態とは何か
ランキングに必要な要素はわかったが、じゃあ何故それが面白くないと感じるのか。それはズバリ「勝てる見込みすらない」ことを知ってしまった上でゲームをするのがつまらないのだ。
つまり課金ゲーであればより課金している人には勝てないし、時間ゲーであればより暇な人には勝てない。そう悟ってしまった瞬間、その"求められるものを潤沢に持っていないプレイヤー"にとってそのゲームはクソゲーと化すのだ。
そんなのは当たり前ではと思う人もいるだろう。持つものが持たざるものに勝つのは当たり前だと。しかしソシャゲはそれだと長期的に見てプレイヤーが減るのは必然になってしまうわけだ。「このゲームはクソゲーじゃない」と思って残っているプレイヤーは単にそのゲームに求められているものを持っていただけなのだ。でもいつかはそうしてプレイヤー層が圧縮されていき、上位だと思っていた自分が下位になってしまえばあっという間にリタイアする側になる。
これは決して「〇〇はクソゲー」と言うプレイヤーが悪という話ではない。ソシャゲのシステム自体がそういったプレイヤーを必然的に生み出しているのだ。
じゃあどうするか
パラメータの相互変換
例えば、課金と時間がランキングに絡むゲームであれば、課金ができない人は代わりに時間をかければ同様にレベルが上げられるとか、あるいは逆に時間がない人はお金をかければ瞬時に強い武器が手に入るとか、そういったパラメータの相互変換を考えてみる。
はて実際にはこのようなゲームは多くあると気付く。何故うまくいっていないのか。
結局の所、相互変換が必要なゲームでは2つのパラメータが加算状態になっていることが多い。つまり例えば親が裕福で働く必要もないプレイヤーがいれば、課金と時間が必要なゲームで最上位に君臨してしまう。
これは結構深刻であり、なんなら必要なものが1つだけのゲームよりたちが悪い。何故なら、課金だけはできる、あるいは時間だけはあるという層の両方が勝てないという悟りをしてしまうからである。つまりクソゲーだと思う率が増してしまうわけだ。
やはり神ゲーを作るのは不可能なのであろうか?
余談:能力が必須なゲームの問題
思考力や操作力などの能力が問われるゲームは一番ゲームらしいイメージがある。実際には課金ゲーや時間ゲーにも周回効率とかダメージ倍率とか多少頭を使うことはあるが、それだけではどうしようもない部分のウェイトが大きい。
これらのゲームで負けたときというのは結局は自分の能力不足であり、頑張ればどうにかなるかもという点で”勝てないという悟り”を抱くことも少なく、恐らくクソゲーと言われる率も少ないのではないだろうか。(この手のゲームの多くがいわゆるレート制で、いきなり強者と戦ったり、いきなりランキングを上げられないという側面もあるだろう)
ただソシャゲとして致命的な点がある。それは収益性が低いことだ。
能力ゲーは能力以外で差が付いてしまうことを嫌う傾向にある。課金すれば将棋で飛車がいっぱい使えるようになればそれこそクソゲーだ。
なので基本的にはいわゆる「スキン」であったりの見た目だけの課金要素だったり、1プレイ自体にお金がかかるシステムであったりする。
が、残念ながらそれだけではあまり儲からない。ので世の中のソシャゲは大半がガチャゲーと化しているわけだ。
提案:神ゲー
ここまで書いておいてなんだが、自分は別にゲームクリエイターではないのでじゃあ神ゲーを作れと言われても作れないだろう。
でもここまで書いた責任として何か考えて提案ぐらいはしてみようと思う。
例えば以下のように、プレイヤーのゲームの強さに与える影響の割合を、プレイヤー自身で決めて割り振れるというのはどうだろう。
あくまで決めれるのは割合だけで、上限としての強さは一定としてみる。
こうすれば、自分に足りないものを補え、かつ得意分野で戦えるのではなかろうか。
3つとも十分にない人はどうすればという意見もありそうだが、そういう人は多分ゲームにかまけていないでもう少し現実のプレイを頑張るべきだと思うので割愛する。
ただこうすると勝負は100vs100みたいなパワーバランスになるので勝敗が運で決まって面白くないのではという説もある。そこは正直一番悩ましいポイントだが、課金時間能力に三つ巴の相性をつければどうにかなる気もする。(それはマッチング運ではという指摘もあるだろうが)
結局の所、勝率が五分五分に収束するということ自体は問題ではない。逆に言えば収束しないということは負けが込む人が出るということであり、先にも言ったように見限る人が出てくる。いかに自分の手持ちの中で勝負を五分に持っていけるかというところを試行錯誤するだけでも実はゲームとしては面白く、常勝しないと楽しくないというのは一般解ではないのだろう。
〆
やはり全てのユーザーに神ゲーだと思ってもらえるようなゲームはなかなか難しい。遊びのための「ゲーム」に苦しめられる日々はこれからもしばらく続いていくのだろう。
余談2:ウマ娘
ウマ娘、人気ですよね。私もプレイしています。人気なのは色んな要因があると思いますが、せっかくなので今回の記事と照らし合わせて見てみましょう。
ウマ娘には複数のランキングがあります。そしてよく考えると先に上げた3つのパラメータというのにキレイに対応しています。
サークルランキングは間違いなく時間が必要です。周回してファン人数を集める他ありません。チーム競技場ランキングは課金ランキングと言っても過言ではないでしょう。今でこそ無課金・微課金などでも逆転の余地がありますが、恐らく将来的にはどんどん厳しくなってきます。そして定期的に開催されるジェミニ杯やレジェンドレースなど、これは広義に見れば課金などもあるに越したことはないですが思考力のウェイトが大きいと言えるでしょう。
つまるところ、ウマ娘は様々なプレイヤー層に対して活躍の場を設けているという点で、やはりきちんと考えられたゲームであって、それが流行に一役買っているのではないかと思います。
ただやはり長期的な目で見れば”負けの悟り”を解決しているわけではないので、今後どうなっていくのかは気になるところであります。