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【シャニマス】[liminal;marginal;eternal] をなぜ私が肯定できるのかという話【283 Production LIVE Performance 】

概要/知らない人向け

アイドルマスターシャイニーカラーズのライブ『283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]』が4公演行われて、その2公演目の途中で出演者の緋田美琴が体調不良になり、3公演目の途中からの復帰となった。

この文だけ見れば普通のライブでも起こりえることだが、なんとこのライブはバーチャルライブであり、いわゆる声優さんが歌って踊るライブではなく、全編CGでのライブである。(なので当然体調不良なんて本来起こるはずはない)

つまりこの2次元のキャラクターの体調不良という『起こるはずのない不測の事態』は演出として起こされたのであった。

悲しみの声

私が言っているわけではないが、Xなどではおおむね批判的に以下の声がある。
・美琴の出番を楽しみに来たのに、その出番が少なくなり悲しい

私Pの考え

そもそもシャニマスはよく”実在性”があると評されることがあるが、私はこれは少しだけ違うと思っている。
より正確には、シャニマスは現実で起こりうるあらゆる事象をエンタメとして表現することを目標としているのだと思っている。(これが結果的には実在性があるように見えることがある)

今回のライブや、かつて5thライブのDay1(シャニマスのアイドルが解散した世界線のライブをやるといういわゆるバッドエンドなライブ)もだが、ここで表現されているのはいわゆる『悲劇』に近い。

悲劇の目指すところは、観ている者に喜怒哀楽の怒や哀の感情を抱かせることだ。本来『アイドルライブ』というものは『喜劇』である。それをある意味では"期待"して来たPたちが悲劇に打ちのめされ、悲しむ感情そのものが、皮肉にも悲劇には求められるものなのだ。

しかも美琴が体調不良になったとき、このライブは中断して観客席も明転し、スタッフも慌てていた。私たちは悲劇の登場人物の観客としてこの世界に取り込まれてしまった。

結果として運営の表現者としての狙いは100%完遂され、我々はこのライブに様々な喜怒哀楽な感想を述べる羽目になっている。

という結果も踏まえ、私はこのライブを『面白い(楽しい ではない※重要)』と思っているし、シャニマスの表現したいことは今も昔も変わらないなと思っている。

もっと端的にいえば、表現者が鑑賞者に、様々なエモーショナルを感じさせる作品を提供するということを、私は肯定している。
逆に言えば、鑑賞者がしか受け取れない作品ほど駄作なものはない。(シャニアニ、お前だよ)


おまけ

「4公演を通しで見れない人のことを考えていない!1公演のみの人を軽視している!」(体調不良も含め、この4公演は演出の大きな流れが繋がっていたので)
これは今の時代では仕方ないと思う。
この公演は事前から匂わせられてもいたが、最初から4部立てのエンタメなのだ。昔はライブに当たらないとライブを見れなかったが、今や配信で誰でも見れる時代で、それを前提としたエンタメにライブというコンテンツ自体が移り変わっている。(ほぼ同じセトリで6公演やった3rdライブは、それもそれでつまらんと叩かれていたし)
そうは言っても金が…という気持ちも分からんでもない。

「美琴だけ出番が少ない!優良誤認!違法!」
という意見も極小ではあるが見かける。アンチは大体こういう意見に乗っかるもの厄介である。
悲劇を作りたいが故の演出で特定のアイドルの出番が少ないのは確かに腹立たしい気もするが、そもそもライブでアイドルの出番が完全に均等でないといけないというのも実はかなり思い込みだ。(シャニマスのライブは他のアイマスと比べてもユニット制の影響で出番が元々均等に近いというのもあるかもしれないが)

現に例えば4公演目では、羽那・はるきがルカより出番が2曲少ない。対して美琴が体調不良で少なくなった曲数はにちかと比べ3曲(全体曲も入れると5)だ。全体で見ればもっと差がつくが、4公演通しで見ないとダメなのはおかしいという意見と相反しているし、そもそもシャニマスのライブに限らずいろんなライブでも出番の差なんてよくある(これも言ってみればすべて「演出の都合」だ)

あと外野では美琴が一切出なかった公演があったと思い(だから違法だと)騒ぐ人もいる。まったくもってこれだから外野の意見は厄介である。

こういうクソみたいなコミュニティーノートを却下する仕事をしています

「体調不良をライブでネタにするのは不謹慎だ!」
言わんとしたいことは分からんでもないが、
「殺人事件をネタにするのは不謹慎だ!」
「地震をネタにするのは不謹慎だ!」
とどう違うのかと言われると私には答えられない。
それが目指したい演出に必要なことなのであれば、どんなことでも作品の要素になって良いと私は思う。

「変な演出のせいで高山がライブ中に頭に浮かんできて嫌だった!」
前に高山P(シャニマスの責任者)が自分で、私は裏方なのであんまり持ち上げられたくないと言っていたし、これは高山Pも不本意なんだろうなとは思う。オタク達が持ち上げすぎている弊害で、悪いのは私たちの可能性がある。でも高山Pも最近ノリノリでアイマスエキスポでDJやってたりもしたけど

完璧・永遠であることは美徳であり 彼女達は幾度も到達の機会を与えられる
このライブの副題のようなものである。(まぁこんな怪しい副題がつけられている時点で、喜劇だけを期待して行かないほうがいいと思う、5thDay1の前科があるからね。ホームページとかライブの告知も全部不穏だし)
結論的には今回のライブでシャニマスが僕らに伝えたいことそのものであった。
これを表現するうえで、美琴に完璧でない機会を与えるのは、きっと必要であったのだろう。


ここまで読んでる人で、ライブは見てない人がいたらぜひ見てほしい。冒頭が無料公開されているので。
ストーリー的な演出は置いておいても、バーチャルライブとしてはとてもクオリティーが高くて見どころがあります。


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