「昭和少年事件帳⑮」生涯で一度っきりのヒッチハイク事件!
(はじめに)これは、私が青少年期を過ごした昭和時代の話です。
同じ時代を生きた皆さんをはじめ昭和をご存じない世代の皆さんにも楽しんでいただければ幸いです・・では、事件の始まりです。
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中学1年の時のとある日曜日です。
この日は、宮崎市まで親友と二人で汽車に乗って遊びに来ました。(当時、宮崎にはディーゼル機関車しか走っていなかったので汽車と呼ばせていただきます。)
私には不慣れな汽車の旅でしたが、親友の方は乗車経験が豊富な上に宮崎市出身で土地勘があり頼もしい存在でした。
その親友から、帰りの汽車を待っていた宮崎駅の待合室で思いも寄らぬ提案がありました。
“まだ時間も早いし、青島辺りまで汽車の旅をしようか?”
「えっ?どうやって?・・汽車賃なんて帰りの分しか持ってないし・・」
私達の住む町は宮崎駅から日豊本線で片道約30分ですが、青島方面に行くには日南線に乗ることになるのでまるで方向が違います。
“帰りの切符を使って改札を抜けたらワザと日南線の汽車に乗るとよ、その後、どこかの駅で必ず対向列車とすれ違うから、その時に乗り換えれば宮崎駅に戻るやろ、それから改めて日豊本線に乗って帰るって訳!”
複線沿線にお住いの大多数の皆さんにはピンとこないと思いますが、現在でも宮崎県内の線路は全て単線です・・つまり上りの汽車も下りの汽車も1本の線路を走るので対向する列車同士がすれ違うためには、必ずどこかの駅のホームで停車待ちが発生するのです。
今にして思えば完全なキセル行為ですが、既に時効も成立しているのでお許しください。
「お~さすが~頭いい~♪」・・この単細胞で脳天気な判断が、地獄の入口でした。
爽やかな秋晴れの中を汽車が進みます。
身近な日豊本線ですら数回しか乗ったことないのに初めての日南線でしたので、私はハイテンションで大はしゃぎでした。
見たことのない車窓からの景色に夢中になっていたのでまったく気付きませんでしたが、彼(親友)の方は恐らく最初から相当緊張していたんだと思います。
冗談半分の話に私が激しく食いついてしまったため、引くに引けなくなってしまい出発直後から戻るタイミングに神経を集中させていたようです。
現に走り出して数駅過ぎた「こどものくに駅」で停車した瞬間に“今だっ!”って突然立ち上がったんです。
「えっ!青島まで行かないの?」
この次の駅が青島だったので私としては少々名残惜しかったのですが、リーダーの指示に従わない訳にはいきません。
「こどものくに」は、当時宮崎で唯一の遊園地です。
観覧車や大型の有料遊具に加え、本物のラクダに乗って散歩できることで有名でした。
このため、当時は日南線を終点まで進む汽車と「宮崎駅」から「こどものくに駅」の間を折り返し運転する汽車に分かれていたのです。
この時、彼が見つけたのは後者の汽車です・・つまり、私達が乗車して青島に向かっていた本線側のホームではなく、並列された隣のホームに停車していた汽車です。
でも、この早すぎた決断が悲劇を生みます。
乗ってきた汽車を降り、停車中の車両を目指して隣のホームに移ろうとした、その時です。
“お~い、ソコの君たち~”って声に呼び止められました。
ギクッ! 恐る恐る振り返ると、駅員さんが手招きしています。
ヤバイ、無賃乗車がばれた・・って思ったのですが、“その車両の出発までにはまだ30分以上もあるから、待合室で待ってなさい。”
「はい!」ここは素直に従わないと危険だと思ったので一人急いで待合室に出たのですが、遅れて出てきた親友が耳元で囁きました。
“出ちゃダメだめなんだよ~・・” 「えっ!何で?」
“次に改札を抜けるための切符がない、もうホームに戻れない・・”
蚊の鳴くような声でしたが、それを聞いた衝撃は言い表しようがありません。
この駅で降りずに、当初の計画どおりに本線上ですれ違う汽車に乗り移るか、慌てて待合室に出ずに「汽車で待たせてください。」ってお願いする手もあったのでしょうが、もう後の祭りです。
「で、どうすんの?」 “・・ここから、歩いて帰るしかない・・”
「はぁ?? ア・ル・ク??」
こうして、ローカル線の旅はあっという間に強制終了です(苦笑)
放心状態のまま「こどものくに駅」を後にしました。
でも、後で考えたら田舎の中学生が路線を間違えるなんてよくありそうな話だし、駅員さんに泣きつけば宮崎行きの汽車に乗せてくれたような気もするのですが・・
確信犯としての後ろめたさがあったのか、その時は思い付きもしませんでした。
歩き出してみたものの、途方もない距離です。
宮崎市中心部から町までまっすぐ歩いたとしても約20km、それが、90度方向に10km以上逸れているのですから、最短距離で結んでも25kmぐらいになると思います。
この窮地に、親友が名案(迷案?)を思い付きました。
“ヒッチハイクして帰ろう!”
自慢じゃありませんが、私の長い人生の中でヒッチハイクをしたのは、この時が最初で最後です。
初めのうちは躊躇もあって恐る恐るといった感じでしたが、悠長なことをいっていられる状況ではありません。
いったい何台の車に手を振ったのか覚えていません、というか数えきれていません。
そもそも選択したルートがまずかった・・
一旦、市内中心部に向かう車を捕まえ、それから国道を通る車を探せば交通量も多いし確率も上がったと思うのですが、私達が選んだのは住んでる町まで最短の山越えルートです。
通る車自体が少ない上に信号機がないため、殆どの車が猛スピードで通過します。
「恐怖のヒッチコック、もといヒッチハイク劇場」は・・まだ始まったばかりです・・
必死になって親指を立て手を振ります・・でも中々車は止まってくれません。
これには理由があって、この少し前の時期に一世を風靡していたヒッチハイカーですが、この頃は既に激減していました。
その大きな原因は、交通事故を起こした際の責任が親切心でハイカーを乗せた運転手に全て負わされるなど道路交通法の問題があったのです。
リスクを冒してまで乗せる車が少なくなり、ヒッチハイクが成立しづらくなっていました。
この間どれくらい歩いたでしょうか、半ば諦めかけていた時に一台の車が止まりました。
乗っていたお兄さんに、“どこまでいくの?”と聞かれ、目的地を告げましたが・・“いや~流石にそこまでは行けないなぁ~、手前の町の入口付近までならいいけど”
って、聞き終わる前に半分乗り込んでいたような気がします(笑)
恐らく歩いていたのは5kmちょっと、そして車で移動した距離も同じぐらいですが、驚くほど早かった・・歩きと自動車の差をイヤというほど感じさせられました。
せめてもう少しって言いたかったのですが、無理も言えずお礼をいって分かれました。
こうして、どうにか交通量の多い国道までは出たのですが、残る距離は約15km・・交通量は格段に増えたものの、秋の日は釣瓶落とし、じわじわと薄暗くなってきました。
一か八か暗くなるまでヒッチハイクを続けようということになったのですが、夕方の忙しい時間帯だったこともあり一向に停まってくれそうな車はありません。
もう諦めて歩こうかと話していた時、目の前を通過した車が20mほど先で突然停車したのです。
えっ!まさか停まってくれた?
親友が駆け寄り、隣町まで行きたいと言うと乗りなさいとの返事が!!
奇跡だぁ~と、喜び勇んで飛び乗ったのですが、運転席と助手席に座っていた二人を見て驚きました。
乗っていたのは、ウチの近所に住む年配のご夫婦だったのです。
ヤバイ、事情を知られたら親にばれる。
でも、このご夫婦と最後にお会いしたのはもう3、4年も前の小学生低学年の時ですので、その後大きく成長した私には気付かないはずです。
とは言っても多くを語るのは危険です、乗ってすぐにウトウトと下を向き寝たふりをすることにしました。
親友が“あれっ?こいつ寝ちゃった”と驚いた様子でしたが、“疲れてるんだろうから寝かしてあげなさい。”との優しいお言葉が、こうして、この日出発した駅まで無事送り届けて貰ったのです。
降りるときも半分寝ぼけたような素振りで簡単にお礼をいって分かれました。
その後で親友には寝たふりした理由を話し「危なかったねぇ~」って事でこの珍道中はようやく終わったのですが・・話は更に続きます・・
奇跡の生還(?)から既に一週間近くが経過し、すっかり元の生活に戻っています。
そんな時、外出先から戻った父親に突然呼びつけられました。
そしていきなり、“お前、隣町から駅までご近所さんに車で送ってもらったってのは本当か!”
げっ!何でばれてんの?
咄嗟のことだったので、「汽車を乗り間違えて、こどものくに駅まで行っちゃったので、仕方なくヒッチハイクで帰ってきた。」って答えたのですが・・
それを聞いた両親共に“ウソだっ!”って断言します。
“そもそも何で降りたのが、こどものくに駅なんだ?その手前に駅はいくつもあるだろ!しかも、やましいことがないならお前のことだから大威張りで話すはずなのに黙っていたってことは、言えなかった理由があるハズだ!”って言うんです。
もはや、観念するしかありません・・事実をありのまま白状しました。
“バカヤロ~!(以下省略)”そこから長い時間怒られ、”親に恥かかせやがって!しかもウソで言い逃れしようとするなんて10年早いわ!”で終わりましたが、私の嘘を見破った自分達に酔いしれていたような気がしないでもないような・・
きっと、“親は自分の子供には絶対に騙されないんだぞ!”って言いたかったのだと思いますが、私としてはこれまで幾度となく、コレ(嘘)で親を欺き難を逃れてきた成功体験があったんですけどね・・(苦笑)
ただし、親にばれて、しかられて、それで終わりってことにならないのが田舎生活です。
お茶菓子を持たされ、お礼の挨拶に行かされました。
親に怒られるより、こっちの方が何倍もハードルが高い・・
中学生にもなって、恥ずかしいし、気まずいしで、何とか勇気を振り絞って訪問しました。
おじさんの方は不在で、おばさんが一人で迎えてくれました。
“あら~わざわざお礼に来てくれたの~”って言って頂きましたが、もう既に一週間以上経過していますし、親に怒られ渋々やってきたことはバレバレです。
それでも、にこやかな顔でおっしゃいました。
“自分達で青島方面に行ったんだってぇ?単なる乗り間違いなら対応した駅員も冷たいなぁ~って、おじさんと話してたのよ。”
(何もかも筒抜けじゃん・・)
“あの時、何気なく助手席から外を見てて、あれっ!今、手を振ってたのって、近所のいくおちゃんじゃなかったかしら?ちょっと停めて!って言って、おじさんに停まってもらったのよ~”
「えっ?・・・そうなんですか・・」
あの時の停車は、奇跡でも何でもなく私の素性がバレた上での必然的な停車だったってことです。
結局、この3~4年で大きく成長したと思っていたのは自分だけで、私は未だに「こどものくに」から一歩も抜け出せていなかったのです・・