見出し画像

「昭和少年事件帳⑰」やま育ちの子が遭遇した哀れな事件!

(はじめに)これは、私が青少年期を過ごした昭和時代の話です。

 同じ時代を生きた皆さんをはじめ昭和をご存じない世代の皆さんにも楽しんでいただければ幸いです・・では、事件の始まりです。

////////////////////////////////////

 中二の一学期末のことだったと思います。

 仲のいいメンバー5人が輪になって夏休みに遊ぶ日の相談をしています。

坊主頭の5人を上から見た図

 みんなそれぞれ部活があるため、日程調整が必要だったのです。

 やがて日にちも決まり、その日に何をするかに話題が移ります。
 その時、メンバーの一人がある提案をしました。

 “中学生なんだし、思い切って河口まで行ってみないか?”

 お~!! 何て素晴らしい~提案でしょう!

 河口から20kmほど上流にあるこの町の川は狭くて流れが速い上に水温が低いため長い時間浸かってはいられませんが、河口であれば広々とした穏やかな流れで水温も程よく泳ぐには最適なハズです。

 ただ一つ、この計画に問題点があるとすれば小遣いの乏しい私達には交通手段が自転車しかなかったことだけです。

 平地であれば中学生の体力で20km程度は問題ないと思いますが、河口までの行程の約8割は坂道です。

 つまり、行きは殆ど下り坂ですが、帰りはず~ぅっと上り坂なんです。

 「いや大丈夫だ! 遊ぶためなら頑張れる! 決行しよう!」 
 そしてこれが、予期せぬ事件の幕開けです。

 計画実行の日がやって来ました。

 行きは思ってた以上に快適でした、自転車をこぐ必要が殆どないし、朝の爽やかな風が頬をなで最高の気分です。

すり抜ける風が気持ちいい~

 ワクワク感も重なり、あっという間に河口まで辿り着きました。

 そして、到着後すぐに釣りを始めます。

 ですが、実を言うと私達は普段余り釣りをしたことがありません。

 水の澄み切った渓流にしか入ったことがないので、釣りよりもモリを使った素潜りでの魚とりが中心だったのです。

 練れない釣りですし、さほど期待していなかったのにもかかわらず、何故かこの日の釣果はびっくりするほど好調でした。

まさに入れ食い状態です。

 親には黙って出てきたけど、これだけお土産があれば堂々と報告できます。

 釣りを十分堪能したら念願の川泳ぎです。
 流れもゆったりしてますし川幅も深さも申し分なく、普段泳いでいる川とは別物でした。

 どれくらい泳いでいたでしょうか?
 1時間から1時間半ぐらいじゃないかと思います。

 そろそろ上がって帰り支度しようってことになって岸の方を振り返ったのですが・・

 あれっ? 泳ぎ始めた時とはどこか雰囲気が違うような? 
 川岸にあった大きな平たい石が見あたりません。

川岸の石が忽然と消えました。

 ん、どういうこと? 訳が分からず唖然としていると、仲間の一人が言いました“もしかして?水嵩が増えてるんじゃない?”

 「まさかぁ~ 雨も降ってないのに?」

 でも、現実はそのまさかで石は完全に水没していたのです・・どうして?

 お恥ずかしい話ですが、山で育った私達は河口付近の川が潮の満ち引きで水深が変わることを知らなかったのです。

 この事件、ここからが悲惨です。

 何故、岸に戻ろうとした時に川岸の大きな石の方を真っ先に見たのか?
 それには理由があります。

 私達は、着てきたモノ、履いてきたモノに加え、釣り道具から釣った魚まで持ち物の全てをその石の上に置いていたのです。

 慌てて戻ったものの流されたものが近くにあるはずがありません。

 きちんと持ち物をバッグに入れていたヤツとかゴムゾウリを履いてきていたヤツのものが数点 水に浮いた状態で見つかっただけです。

水に浮いてたもの数点・・

 では私はというと、無造作に脱ぎ捨てた服は勿論、運動靴も見つからず持ち物の全てを失いました。

 突然のことで暫くは放心状態でしたが、いつまでも悔やんではいられません。

 何としてでもここから自力で帰らなくちゃいけないんです!

 ところが、乗ってきた自転車のカギも流されたズボンのポケットの中です。
 となると、残された手段は一つ、小石で叩いてカギを壊すしかありません。

 当時のカギは構造が単純ですので、壊すだけなら至って簡単です・・ただし、帰ったら間違いなく親から怒られるっていう余計なオマケがくっ付いているだけです。

 でも、躊躇している場合ではありません・・カギを壊して、さぁ~帰ろう! 

 とは言ったものの、皆さん既にお気付きかと思いますが、私は海パン(紺のスクール水着)一枚で、上半身裸です。

これで自転車は哀れです。

 この間抜けな恰好で自転車を漕いで帰るわけで、格好悪いったらありゃしない。

 ですが、見た目以上に問題だったのは裸足だったことです、この時、履き物があったかなかったかが、その後の明暗を大きく分けることになります。

 当時私達が乗っていた自転車は、ジュニアスポーツ自転車と呼ばれるもので昭和の中高生男子の必需品です。

イメージ的にはこんなヤツです。

 中にはフラッシャーという電機部品(テールランプやウインカー)の付いている高級品もあり、あこがれの的でした。

 ご存じない世代には分かりづらいと思いますので「ジュニアスポーツ自転車昭和」でネット検索していただくといいかも知れません。

 このジュニアスポーツ自転車にはメーカーが違っても共通点がいくつかありますが、その一つがペダルがオール金属製だったことです。

 常々、銀色に輝くペダルはカッコイイと思っていましたが、このペダルは、漕ぐときに靴底が滑らないようにギザギザの突起が付いていました。

 これを裸足で踏み込むことになります・・しかも帰りは8割が上り坂です。

 自分の体重と自転車の重みが足の裏だけに集中します。

痛いけど、踏み込むしかない!

 地獄の剣山のぼりに匹敵するのではないかと思えるほどの苦行でした。

 足裏の位置を微妙にずらしながら帰ったのですが途中で痛くない場所なんてなくなりました。

 痛いなら降りて押せばいいじゃん・・と思われるかも知れませんが、真夏の炎天下の中ですので、アスファルト道路はまさにフライパン状態の火の海地獄です。

 漕いでも地獄、降りても地獄なのです。

 満身(足裏)創痍で帰った後、いつものように親に怒られたはずですが、その記憶がありません。

 きっと、記憶が飛ぶぐらいの激痛のお陰だと思います・・・ 

いいなと思ったら応援しよう!