本当は凄い、シャヴァーサナ(屍のポーズ)
シャヴァーサナ(しかばねのポーズ)は、シヴァナンダヨガでは絶対欠かすことのできない重要なポーズです。シャヴァーサナは、実は深い意味があるポーズです。肉体的なリラクゼーション以上に、精神やさらには魂の浄化に繋がることは、あまり知られてないようです。シヴァナンダヨガでは、クラスの最初と最後、ポーズとポーズの間に必ず、シャヴァーサナ(しかばねのポーズ)を行います。ヨガは緊張と弛緩(しかん)の繰り返しです。いろんなアーサナ(ポーズ)をとっている時は「動」であり、シャヴァーサナ(リラクゼーション)をとっている時は「静」そのものです。究極的には、アーサナを行っている間は「生」を意味し、シャヴァーサナを行っている時はその名の通り「死」を意味しています。つまり、ヨガのクラス中は、世俗と霊性のバランスを保ちながら、人間の生死の輪廻の鎖を解き放つ訓練をしているのです。
ヨガを実践している方々の多くが、運動したいとか、健康になりたいとか、ストレスを解消したいとか、痩せたいとか、さまざまな目的を持っています。ちょっとおおげさかもしれませんが、ヨガを行うきっかけはどうであれ、ヨガをしていることじたいが、これまで何千回も生まれ変わって辿り着いた高いステージなのです。だから「ヨガをしたい」という欲望を持つことは、ある意味高尚なことで凄いことなのです。
話がそれましたが、シヴァナンダヨガのクラスでポーズとポーズの間にシャヴァーサナを行う理由は、疲労回復のためで、ポーズ中の緊張状態から解き放ち、行ったポーズの効果を心身にジワーッと浸透させていくためです。同時に筋肉痛の原因となる乳酸をためないようにするためでもあります。ポーズ中、特にシャヴァーサナ中は、ゆっくりと深く呼吸を繰り返すことによって、きれいな血液と浄化されたプラーナ(生命エネルギー)を、全身に行き渡らせることで、体の約60兆個の細胞の活性化と、魂の浄化を行っていきます。
シヴァナンダヨガのクラスの最初と最後のシャヴァーサナは、目的や効果がかなり異なります。クラスの最初のシャヴァーサナは、これからヨガを行うため、身体と心を鎮めコントロールします。冷静で強くて美しい自分を作り上げるための、まず最初の土台のポーズでもあります。最初のシャヴァーサナでのポイントは、「今」の自分の意識状態を冷静に受け入れます。イライラしている自分さえもです。この時点で、身体と心をコントロールできなくても実は、大丈夫です。シャヴァーサナが熟練していくと、身体の痛みなどの不具合、心にある怒りとか心配などのマイナス感情を、容易にコントロールできるようになります。
クラスの最後、ファイナル・リラクゼーションの時に行うシャヴァーサナは最も重要です。クラスで行うシャヴァーサナの中で一番リラックスしていて、アムリタ(甘露)のような至福を味わっている方もいるかと思います。心身の意識を消して、完全に「無」になった状態です。宇宙に充満する絶対不滅の光輝く永遠の意識とひとつになった状態です。この状態は、瞑想の完成形(サマーディ、三昧のこと。心身の意識が消え、自分という意識がなく、充満する神であるブラフマンとひとつになること)とほとんど同じです。この状態は、生の苦しみや、死の恐怖にとらわれていない、深い平静と静寂に包まれています。
シャヴァーサナは悲しみや楽しみにも左右されない、また幸福にも不幸にも左右されない『解脱』の状態の縮小版なのかもしれませんね。最後のリラクゼーションのシャヴァーサナが終わってから唱える、シヴァナンダヨガの終わりのマントラ、「トリャンバカン・・・♪(神よ、生死の輪廻から解き放ち、解脱をお与えください)」のマントラがまさにそれを象徴しています。ヨガのポーズの中で一番難しく深いポーズが、実はこのシャヴァーサナなのです。