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ガネーシャ神と友達として日々を過ごしたスワミの学校の学生たちに起きた驚愕的・神秘的な体験談です。多くの霊的インスピレーションに溢れていて、神様と一緒に楽しく幸せに過ごす方法を教えてくれます。

スルジャンは興奮気味に語りました。
「私にとって、ガネーシャはすべてです。彼だけが、私が何でも共有できる相手なのです。ただ彼の前に立ち、起こったことをすべて打ち明けるだけで、私はとても安心するのです。彼は私の親友であり、最も優しい友人であるガネーシャなのです。ガネーシャのことを考えると、胸がいっぱいになります。」

<甘い絆>
「私がどんな問題を抱えていても、彼はそれを見事に解決してくれるのです。例えば、先日、数学の試験で点数が取れず、悲しい思いをしました。だから、ガネーシャ神の前に立ってみたのです。実は毎回、ガネーシャ神のところに行ってお顔を見ると、いつも違う答えが返ってくるんです。その日、私は彼の前にいたとき、それは私の心を癒すものでした。何をされたのかわかりませんが、私はすぐに悲しみから解放されました。また幸せになったのです。本当に、こんな風に無条件に私のそばにいて、私がいつも幸せでいられるような友達が欲しいのです。」

スルジャンがプラシャンティ・ニラヤムのバガヴァン・サティヤ・サイババの学校に入学して11年になる。5歳を過ぎた頃から、バガヴァンの蓮華の御足のもとで教育を受けるようになりました。 でも、いつからガネーシャと友達になったのでしょうか?どのようにして、彼とそのような親密な関係を築いたのでしょうか?私は興味を持ちました。私は、彼と象の神様との親密な関係に感動したのです。

「それは、私が小学校8年生のときに起こりました。内なる衝動に駆られて、ホステル(学生寮)にいるガネーシャ神へのプージャ(礼拝)や飾りつけをするチームに参加したんです。そうして、神様と毎日会うようになったんです。神と一緒に過ごすようになると、その日に起こったことをすべて話したくなりました。彼が話を聞き、応えてくれるのを感じたのです。最近、あることがきっかけで、彼とのつながりがさらに深くなりました。彼は私の人生を救ってくれたので、私は彼に永遠に恩義があると感じています。」

ガネーシャ・シュリ・サティヤ・サイ学校 プラシャンティ・ニラヤムの校舎前にある、輝くガネーシャ像

<ガネーシャ神によって持ち上げられ、高揚させられること>
「クリシュナ降誕祭の日、男子はみんな鍋割りの儀式で忙しかったのです。ガネーシャ・チャトルティのお祭りも近いので、校舎の前にある大きなガネーシャ像の飾りつけを始めていました。私は偶像の上にライトを並べていて、もう一人の男の子に手伝ってもらっていました。私たちは8フィートのアルミの梯子を置き、その上に登りました。彼は梯子を持っていました。梯子はかなり安定しているように見えたので、私の友人は手を放して、さらに照明を取りに行ってしまいました。しかし、突然、梯子が揺れて、なんと私は約3メートルの高さから地面に向かって落とされたのです。このままでは悲惨なことになる、もしかしたら命にかかわるかもしれないと思いました。最悪の事態を恐れました。私にできることは何もありませんでした。だから、ただ目を閉じたのです。するとすぐに、空中で何かに掴まれるような感覚がありました。その力は、私のお腹の下を掴んでいたのです。固いような、優しいような。それが何なのか見ようとすると、私のガネーシャの手であることがわかりました。だから柔らかかったのです。硬いのは、ガネーシャがいつも片手に持っているアンクーシャ(象の鞭)です。ガネーシャの手は確かに像から伸びていて、間一髪で私を捕らえたのです。それだけではなく、地面に叩きつけられそうになった私を助け、その手は私を持ち上げ、再び梯子の上に戻してくれたのです!圧倒的な体験でした。あっという間の出来事でした。私は完全に呆然としてしまいました。私は、ガネーシャの私に対する愛に驚愕しました。ガネーシャは、私に新たな命を与えてくれたのです。翌日も、私のお腹にはガネーシャのアンクーシャの跡が残っていました。そして、その像のガネーシャの手には、わずかに亀裂が入っているのが見えました。それは今日まで残っています。」

<神の祝福を受けたビブーティ>
「私が9年生のとき、お正月にガネーシャを豪華に飾ったのです。1月3日、私は夜通しでその飾りを外し、食器棚の中のものをきれいに並べ直しました。夜も更けてきました。疲れてしまいました。赤いドーティ(服)の山を戻そうとしたら、突然、手から滑り落ちて、服が全部落ちてしまったんです。再び、たたみ始めました。そうしたら、驚いたことに、ドーティにヴィブーティ(神聖灰)がついているではありませんか!畳むたびに、ヴィブーティがどんどん増えていくのです。とても神秘的でした。その夜、私は器一杯にヴィブーティを集めました。私はその静謐な香りに包まれました。私はエネルギーを得て、高揚していました。」

「これは2012年に起こったことですが、それ以来、彼と私の友情は以前よりずっと強くなりました。それは単なる愛ではなく、甘い友情です。」
そして、スルジャンは胸に手を当て、優しくこう言いました。
「私はどこに行くにも、いつも彼を胸に抱いています。」
それ以上、何も言おうとしませんでした。その唇には、満足げな笑みが浮かんでいました。

シュリ サティヤ サイ ジュニア ボーイズ ホステルで、スルジャンと一緒にガネーシャの世話をしているのは、サティヤム、アルヴィンド、サティヤ プラサドの3人の少年たちです。私は、彼らのガネーシャの話を聞いてみたくなりました。

<ガネーシャは私に似ている>
「毎日、ガネーシャ神を洗い、きれいにし、服を着せ、飾るのはなぜですか?」 私はサティヤムに尋ねました。
「単純なことです。」と彼は即座に答えました。
「私がお風呂に入り、新しい服を着て、きれいに整頓するのと同じように、ガネーシャにもそうしなければならないと思うのです。ガネーシャはいろいろな意味で私たちを見守ってくれています。私たちの行く手を阻むものを常に取り除いてくれているのです。ガネーシャの像が汚れたまま、放置されたままになっているのはどうしたらいいのでしょうか?ガネーシャのところに来る人は、清潔で穏やかな場所に入るべきです。これが、私たちが神様のためにすべき最低限のことだと思うのです。」
若者の美しい思考回路だと、私は自分に言い聞かせました。

ガネーシャ・スクール プラシャンティ ニラヤムの男子学生寮の前にある愛らしいガネーシャ像

ガネーシャと共に私は最初に 私はもう一人の少年にきいてみました。
「アルヴィンドはどうだったんですか?」と尋ねました。
「僕にとって、ガネーシャは親友です。私は11年生になるためにシュリ・サティヤ・サイ高等学校に入りました。私は、学業がうまくいきませんでした。私の成績はクラスで9番目でしたが、他の学校ではもっと良い成績でした。12年生になったとき、私は衝動的に男子のガネーシュ・プージャ・チーム(ガネーシャ神の身の回りのお世話と礼拝のチーム)に参加することにしました。ホステルでのスケジュールはかなりタイトだったので、その責任に耐えられるかどうかわからず、ちょっと怖い気もしました。最初のテストの結果は残念なものでした。それからは、真剣にガネーシャ神に仕えるようになりました。毎日、ガネーシャに礼拝を捧げ、すべてをガネーシャと共有するようになりました。ガネーシャ神と一緒にいると、なぜか心が軽くなり、大切にされているように感じたものです。それが私の自信につながりした。信じられないかもしれませんが、2次試験以降、私はいつもクラスで1番になっています。ガネーシャが、他の誰にもできない方法で、私を引き上げてくれたのです。そして、それは学業だけではありません。全校集会で話すように言われたときは、かなり緊張しました。それまで一度も話したことがなかったのです。そこで私はガネーシャのところへ行き、自分の恐れや不安を打ち明けました。その直後から、私の頭の中はたくさんの美しいアイデアでいっぱいになりました。私のスピーチはとてもうまくいきました。今では、ガネーシャと分かち合わないことは何もありません。家族の問題もすべて話しています。休みの日には家でプージャ(礼拝)を続けています。彼とのつながりは、私に強さと勇気を与えてくれるのです。」
そう、アルヴィンドは言いました。

<私のガネーシャは私の心を開いた>
「ガネーシャは、あなたにもそのような変化をもたらしたのでしょうか?」と私は4番目の少年のサティヤ・プラサードに尋ねました。このような体験談を聞いていると、きっとそれぞれの少年が、心を奪われるような献身的な物語を語るに違いないと思ったからです。

サティヤ・プラサードは、「はい、もうとても。」と言いながら、話を始めました。
「私は悪名高い子供でした。一人息子で、母はいつも私のことを心配していました。11年生でここに入ったとき、なぜ少年たちのガネーシュ・プージャ・チームに入りたいと思ったのかわかりませんが、毎日神様のお世話をして礼拝をするようになってから、自分が変わらなければと思うようになったのです。ガネーシャを自分の兄弟、親しい兄と思うようになりました。だから、ガネーシャには何でも話していました。ガネーシャは、私の学業を助けてくれると知っていましたし、実際に助けてくれました。以前は3位と5位の間を行ったり来たりしていましたが、今は2位につけています。しかし、私は学業よりも、自分自身を大きく変えたかったのです。ある日、私はガネーシャ神の足元にひれ伏し、この努力に力を貸してくださいと懇願しました。それ以来、私は自分の中の変化に驚いています。例えば、以前はクラスメートからの提案やアイデアに対して、常に閉鎖的でした。自分が正しい、誰が私に助言するのだと思っていました。でも今は、もっと我慢して、もっと話を聞いて、もっと親身になっています。実際、家に帰ったとき、母は私のこの変化を見て、深く感動していました。ガネーシャを友達にする前は、私は試験に対してひどく緊張していました。試験の直前には、パラセタモール錠を飲むほど緊張していました。でも今は、試験の日にはまずガネーシャのところに行き、心からすべてを捧げます。『この試験をあなたに捧げます。この試験をあなたに捧げます。親愛なる兄弟よ、どうか私を助けてください。』と言うのです。その時点から、試験を書くのは私ではなく、"私たち"-ガネーシャと私-なのです。もし、私が行き詰まったとしても、ガネーシャがそばにいることがわかります。人は私の結果を見ますが、ガネーシャは私の努力を見ています。だから、私は自分の成績や順位をあまり気にしていません。その代わり、自分の努力に全神経を集中させています。ガネーシャは、私の努力を見て判断してくれるということを、私は確信しています。だから、一生懸命やって、あとはガネーシャにお任せしています。時が経つにつれ、私は学業や行動など、あらゆる面で向上してきました。そして何より、私はずっと幸せです。」
サティヤ・プラサードは、そう言って、穏やかな笑みを浮かべながら、幸せそうな顔で締めくくりました。 

<アーナンダ(至福)を広めることがガネーシャへのアビシェーカム>
2004年のガネーシュ・チャトルティでは、プラシャーンティ・ダンスチームの主要メンバーであるK V S K ガネーシュがバガヴァン・サティヤ・サイババの前で美しい踊りを披露しました。この踊りは、ガネーシャ・パンチャラートナ(ガネーシャ神に関する5音階のサンスクリット歌)をもとにしたものでした。 バガヴァンはこのパフォーマンスを大変気に入り、ガネーシュを近くに呼んでこう尋ねました。 「あなたはガネーシャが好きかい?」 ガネーシュが返事をすると、バガヴァン サイババの手が空中に上がり、美しい金色のガネーシャが出てきたのです。高さ4センチほどのそれは、金色に輝く精巧な芸術品でした。 ガネーシュは感激しましたが、同時に、このような偉大な作品を最もふさわしい方法で拝むことができるのだろうかと心配になりました。このような偶像は、特にスワミご自身から贈られた場合は、定期的にアビシェーカム(像に水やギーなど注ぐ儀式)を行う必要があると聞いていたのです。 これらの不安を取り除くために、彼はこう祈りながら尋ねました。 「スワミ、私はこのガネーシャに毎日アビシェーカムをするべきですか?」 バガヴァンがおっしゃった答えは、ガネーシュを完全に驚かせました。 「あなたはプージャをする必要はありません。ただそれを人々に見せて、幸せを与えなさい。」そのように、スワミは明確に解消し、甘く付け加えました。それが、バガヴァンがその美しいガネーシャに求めた礼拝と崇拝、儀式とアビシェーカムのすべてでした。

スワミがガネーシャのために物質化した美しいガネーシャの偶像

ガネーシャ神の恩寵は、手の込んだお祝いのプージャをするときではなく、私たちの人生を神の手の込んだ愛の祭典にするときに、私たちの中に流れ込んでくるでしょう。 私たちが悲しみを避け、喜びと仲良くするとき、私たちはガネーシャと仲良くなります。 私たちが傷を忘れて奉仕と仲良くするとき、私たちはガネーシャと仲良くなります。エゴを捨て、謙虚さと仲良くするとき、私たちはガネーシャと仲良くなります。プライドを捨て、感謝の気持ちを持つと、ガネーシャと仲良くなれます。 ガネーシャが私たちの友人になれば、私たちの信愛につまずきはなく、幸福に終わりはないのです。 

- 聞き手 : Bishu Prusty (Team Radio Sai) -

参考 :     
https://archive.sssmediacentre.org/journals/vol_15/01AUG17/My-Friend-Ganesha.htm      


愛と優しさをいっぱいありがとうございます!